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廿日市労基署長(鉄工所作業員)くも膜下出血死事件

事件の分類
過労死・疾病
事件名
廿日市労基署長(鉄工所作業員)くも膜下出血死事件
事件番号
広島地裁 − 平成2年(行ウ)第2号
当事者
原告個人1名

被告廿日市労働基準監督署長
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
1992年09月30日
判決決定区分
棄却
事件の概要
H(昭和27年生)は、昭和45年3月に工業高校を卒業後、実兄の経営する建設設備請負業者であるO鉄工所に入社し、主として設備機械の据え付け、配管、製缶の仕事をしてきた。O鉄工所の労働時間は午前8時から午後5時まで、日曜日は休日であって、残業は多い月で4、50時間、1日の残業時間は多い日で3時間程度であった。

 O鉄工所は、昭和60年2月頃、広島市の団地造成工事(本件工事)に関して、A社が元請けし、以下T社(一次下請)、B社(二次下請)が請け負った工事を三次下請として請け負い、Hは従業員5、6名と一緒に広島のビジネスホテルに宿泊して本件工事に従事し、現場責任者としてB社の作業指揮者との工事の打合せ、その他の下請業者らとのミーティング、O鉄工所の従業員らに対する指示等のほか、工事現場においては自らも他の従業員と一緒に機械の据え付けや配管工事等の作業を行っていた。本件工事期間中のHらの労働時間は、残業時間を含め、平均して、3月は8.55時間、4月は8.9時間であり、5月の残業時間は1時間ないし1時間30分であった。

 O鉄工所がB社から請け負った工事の工期は昭和60年2月15日から同年4月末日であったが、O鉄工所が工事を開始したのは同年3月7日であり、工事が遅れたことについては雨の影響によるところが大きく、T社やB社から工事を急ぐよう指示されたことはなく、また工事の遅れに対するペナルティも、トラブルもなかった。

 同年5月28日、Hはいつもと同じように工事に取り掛かり、配管等の工事をし、午後3時頃B社の作業指揮者から、凝集沈殿槽内の汚泥かき寄せ機の作動不良のためパッフルプレートのひずみを取る工事の指示を受け、その準備としてHは酸素ボンベ(満タンで約60kg)を担いで2、30m運んで右沈殿槽の近くに移動した。そして、午後3時10分頃、凝集沈殿槽に入った直後、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血で倒れ、同年6月9日に死亡した。
 Hの妻である原告は、Hの死亡は業務上災害に当たるとして、被告に対し、昭和60年7月11日に労災保険法に基づき遺族補償及び葬祭料の支給の請求を行ったが、被告は、同年10月24日、これらを支給しない旨の決定(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として、審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。
主文
1,原告の請求を棄却する。

2,訴訟費用は原告の負担とする。
判決要旨
1 脳動脈瘤破裂の機序ないしその要因について

 脳動脈瘤が形成される原因については、確立した見解は存在しないが、先天的要素が強く、脳動脈の中膜及び弾力繊維の発育不全、欠損により動脈壁に薄弱部が生じ、動脈圧により突出膨隆して嚢状動脈瘤が長年月を経て徐々に進行してできるとの考え方が有力である。このようにして形成された嚢動脈瘤は、瘤の脆弱な部分に対して血圧が作用し、あるいは血流自体が作用することにより瘤が膨張し、その部分が更に脆弱化して次第に破裂しやすい状態となっていく。

 このように、脳動脈瘤に対しては恒常的に血圧あるいは血流が作用することから、外的要因が作用しなくてもいつでも脳動脈瘤は破裂する危険性があるが、何らかの外的要因が作用するなどして血圧が上昇する場合には、更に脳動脈瘤が破裂する危険性が高くなる。すなわち、脳動脈瘤の破裂は平静時においても生じるが、一般に活動期に多く見られ、血圧の急激な上昇が関与するとみられている。しかし、反応には個体差が大きいことから、同一の脳動脈瘤が存在し、同一の外的要因が加えられたとしても、同じように破裂するとは限らない。右の血圧の上昇をもたらす要因としては、一般的には、精神的ショック、精神的ストレスないし緊張、精神的疲労、急激な肉体運動、機微微意環境、急激な環境の変化などがあり得る。

2 業務起因性について

 労働者災害補償保険法12条の8が準用する労働基準法79条及び80条における「労働者が業務上死亡した場合」とは、労働者がその業務に起因して死亡した場合、すなわち、労働者の業務の遂行とその死亡との間に相当因果関係がある場合を意味する。そして、本件のように労働者に脳動脈瘤という基礎疾患が存する場合における右相当因果関係は、脳動脈瘤は諸々の要因によって破裂する危険性を有するものであることに照らせば、労働者が業務の遂行中に死亡したというだけでは足りないが、業務以外の要因である脳動脈瘤の存在が共働原因となって労働者が死亡した場合でも相当因果関係を認めることを妨げず、業務が相対的に死亡の有力な原因になっている場合には、右相当因果関係は肯定されるべきである。そして、本件において業務が相対的に有力な原因となっているか否かの判断に際しては、当該業務が脳動脈破裂の自然的経過を超えて急激に発症させるに足りるだけの過重な負荷を与えたかどうかが重要な要素となるというべきである。なお、日常業務自体が過重負荷となって疾病発症の原因となっている場合もあり得るから、当該業務が過重負荷になっていたか否かは客観的に判断すべきであり、日常の業務に比して過重であったか否かだけによって判断するのは相当でない。

3 Hの死亡の業務起因性について

 Hが昭和60年3月7日以降広島市に出張して工事した際の1日の労働時間は、5月14日から本件疾病発症の同月28日までの間がそれ以前より若干長いが、それでも雨のためとはいえ、同月14日と20日は完全な休暇となり、19日(日曜日)は2時間労働であり、その他の日の残業時間は1時間ないし1時間30分であって、その後工事の後片づけ、翌日の工事等の打合せをしたりしても、午後6時30分ないし午後7時には終了していた。Hは入社以来15年間現場責任者として下請の仕事をしており、本件工事が従前の工事と比較して困難であった事情も窺えない。本件工事の場合、雨で工事が遅れてもB社の担当者から仕事を急がされることもなく、手直し工事も下請工事として通常あり得ることであり、また雨で工事が遅れたとしても、それらのためにO鉄工所の採算が取れなくなったり、他の工事の遂行に特に支障になったりしたことも認められず、社長からHが責められ、板挟みになるようなこともなかった。右のようなHの労働時間、業務の内容、労働状況等からすると、本件工事が出張業務であることを考慮しても、Hの従事した業務が身体的・精神的に特にストレスを与えたり、疲労の蓄積をもたらしたりしたと考えることは困難である。

 酸素ボンベ(満タン時60kg)の運搬も配管工なら誰でも1人で運搬し、Hにとっても慣れた作業であって、それも2、30m移動しただけの短時間の作業であったから、これが身体的に過激な業務であったということはできない。凝集沈殿槽内に入ったことについても、同糟内の温度が25度より高温で湿度が高かったとしても、それが急激な血圧上昇をもたらすとも考え難いし、右糟内の設備工事はHらがしたものであるから、Hは右糟内に入ることに慣れており、特別緊張することもなかったと考えられる。右糟内の塗装の臭気についても塗装から1ヶ月以上も経過し、B社の社員らは何度も右糟内に入っているから、その臭気がHの気分を悪くさせたということも考え難い。Hは発症当時32歳と若かったが、脳動脈瘤の大きさは約5mm位で破裂しやすい大きさであった。

以上検討したところによれば、Hが従事した業務が急激に同人の脳動脈瘤を破裂させるに足りるだけの過重な負荷を与えたということはできず、右業務が右破裂の有力な原因となったということはできない。したがって、Hの本件疾病による死亡と業務との間に相当因果関係を認めることはできない。
適用法規・条文
99:その他労働基準法79条、80条,

労災保険法12条の8、

16条の2、17条,
収録文献(出典)
労働判例624号55頁
その他特記事項
・法律  労働基準法、労災保険法