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中央労基署長(就職情報誌等会社)編集者くも膜下出血死事件

事件の分類
その他
事件名
中央労基署長(就職情報誌等会社)編集者くも膜下出血死事件
事件番号
東京地裁 − 平成18年(行ウ)第480号
当事者
原告個人2名 A、B

被告国
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
2009年03月25日
判決決定区分
認容(控訴)
事件の概要
甲(昭和42年生)は、平成4年4月に就職情報誌の発刊等を業とするR社に入社し、求人情報誌の編集を経て、平成8年4月、インターネット企画グループに兼任発令され、同年5月8日から、インターネット上の就職情報サイトであるデジタルBingの企画編集制作を担当するようになった。

 甲は、平成8年8月9日から夏季休暇を取得し、北海道に帰省したが、友人との食事の際、頭痛を訴えて食事が進まず、電話で母に頭痛と吐き気を訴えており、帰京した後も頭痛や吐き気を訴えていた。同月25日(日曜日)、甲は午前10時頃自宅で食事を摂った後、めまい、吐き気の症状が現れたため、自ら救急車を要請して病院に搬送されて入院したが、同月29日午前2時頃、くも膜下出血により死亡した。

 甲の平成8年2月27日から8月24日までの各月における時間外労働時間を見ると、発症1ヶ月目(同年7月26日から8月24日まで)は39時間22分、2ヶ月目は67時間32分、3ヶ月目は83時間44分、4ヶ月目は25時間30分、5ヶ月目は71時間20分、6ヶ月目は50時間30分であった。

 甲は、平成3年9月から平成8年7月までの間に、合計6回の健康診断を受けており、血圧及び脂質について、C(要生活注意)、D(要再検査)の診断を受けたことがあった。そして、血圧について、正常域が140‾90以下、境界域が160‾95以下とされているところ、甲の血圧は正常域又はこれを僅かに超えるものであり、脂質については総コレステロール値、中性脂肪値は各基準値内又はこれを僅かに超えるにすぎなかった。また、甲は常染色体優性多発性嚢胞腎に罹患しており、平成8年2月中旬から排尿障害、排尿困難のない肉眼的血尿が断続的に見られるとして、多房性腎嚢胞の診断を受けたが、ごく軽度であるとして特段の治療はされなかった。
 甲の両親である原告らは、甲の死亡は過重な業務に起因するものであるとして、労働基準監督署長に対し、労災保険法に基づき遺族補償給付及び葬祭料を請求したところ、同署長がこれらを支給しない旨の処分をしたことから、同処分の取消しを求めて本訴を提起した
主文
1,中央労働基準監督署長が原告らに対して平成12年3月31日付けでした労働者災害補償保険法による遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。

2,訴訟費用は被告の負担とする
判決要旨
1 労災保険法7条1項1号の「業務上の疾病」の意義

 労働基準法及び労災保険法に基づく保険給付は、労働者の業務上の死亡について行われるが、業務上死亡した場合とは、労働者が業務に起因して死亡した場合をいい、業務と死亡との間に相当因果関係があることが必要であると解される。また、労働基準法及び労災保険法による労働者災害補償制度は、業務に内在する各種の危険が現実化して労働者が死亡した場合に、使用者等に過失がなくとも、その危険を負担して損失の補填の責任を負わせるべきであるとする危険責任の法理に基づくものであるから、業務と死亡との相当因果関係の有無は、その死亡が当該業務に内在する危険が現実化したものと評価し得るか否かによって決せられるべきである。そして、脳・心疾患の発症の基礎となり得る素因又は疾病(素因等)を有していた労働者が、脳・心疾患を発症する場合、様々な要因が上記素因等に作用してこれを悪化させ、発症に至るという経過を辿るといえるから、その素因等の程度及び他の危険因子との関係を踏まえ、医学的知見に照らし、労働者が業務に従事することによって、その労働者の有する素因等を自然の経過を超えて増悪させたと認められる場合には、その増悪は当該業務に内在する危険が現実化したものとして業務との相当因果関係を肯定するのが相当である。

2 甲の従事した業務の量的過重性

 R社においては、法定労働時間をタイムカードに印字し、上司が部下に早い帰宅を促すなど、長時間労働の存在が問題視されており、その範囲及び程度は不明であるものの、R社の人事部職員及び甲の同僚の述べるとおり、労働時間の過少申告が行われていた実態があったといえる。そして、甲は、くも膜下出血を発症した平成8年8月25日の時点で、同月19日から23日までの労働時間等をタイムカードに記入しておらず、少なくとも1週間分程度はタイムカードの一括記入を行っていたと推認されるところ、タイムカード上、実労働時間及び深夜労働時間の過少申告をしていたことが窺える。そして、仮に申告した日以外に休日労働を行っていたとしても記録は残らず、かえって、申告されない休日労働が、平成8年2月から4月までの間に月1、2回の割合であり、これらの期間が格別に繁忙であったとも認められないことからすると、甲について他の月にも少なくとも同程度の休日労働があったことが推認できるものといい得る。また、甲の遺品のパソコン、フロッピーディスク及びMOディスクの中に、業務に関係すると認められるデータが残されていること、その作成及び変更日時が、深夜ないし未明の時間帯である等からすると、甲が深夜ないし未明や休日に自宅等で業務を行っていたことが推認できる。

 以上のとおり、前記の労働時間以外にも、甲は業務に従事しており、実際の労働時間は記録されたものより長いものであったことが推認できるというべきである。

3 甲の従事した業務の質的過重性

 R社には、創業時から「社員皆経営者主義」という理念を掲げ、自ら経営者との気概を持って機会を作り出し、自ら向上することを尊重する雰囲気が存在し、そのため従業員は、業務の負担が大きくても自ら削減を申し出ることには消極的であり、実績主義・能力主義の下で進んで長時間労働をこなす傾向があったというのであり、実際に甲は相当の長時間労働に従事していたことが認められ、その状況も、日常的に深夜、未明の時間帯に及ぶ不規則なものであった。R社では、読者によるアンケートの集計結果を編集者ごとの一覧表にして各編集者に配布するなどしており、しかも甲は完成度にこだわりを持って仕事をしており、B―ing編集課時代には入社後3、4年目にして他の編集者の平均を上回る支持率を集め、デジタルB―ingではインターネットの初心者でありながら、極めて高度な表現技術を利用するようになっていたことなども併せ考えると、甲は、実績主義・能力主義の下、自ら機会を作り、向上し、その希望を叶えるべく相当の努力を惜しまなかったこと、その意味で、甲は一定程度の精神的負担を受けていたことは否定できない。他方、甲はデジタルBing業務についても楽しんで仕事をしていたというのであって、業務自体から過重な精神的負荷を受けていたとまでは認められない。

 被告は、甲の業務が過重でなかった旨主張するが、業務の過重性は編集スケジュールの繁閑のみならず、担当記事の数等によっても左右されるものであり、甲の能力が評価されるのに比例して割当てが増加していたことが認められるのであるから、業務が過重でなかったことの根拠とはならない。また、甲の深夜労働は自身で選択したものではあるものの、そうだからといって、甲が現実に従事した業務の過重性が否定される理由となるものではない。更に、甲が競馬の趣味の会の作業を業務中に行っていたとしても、甲の休憩時間の多くが競馬関係の作業に充てられていたとは認め難く、そのような事実のみから甲の労働が過重でなかったということはできない。

 デジタルBingは、既に普及し始めたインターネットにおいて、新しい読者層の獲得及び求人情報分野でのR社のリーダーシップの維持等を目的として配信が開始されたものであって、当初の規模が大きくないものであっても、他社との競争に出遅れないために高い質の業務が求められていたことは容易に認められる。また、甲はインターネット企画グループの唯一の編集担当者であり、編集企画を含む編集業務について一定の責任を負っていたことは容易に認められるところであって、コンピューター技術やホームページ作成技術の指導を社外に求めていたことからして、必ずしも甲の意図するデジタルB-ingの制作に十分な情報提供を受けられなかったことが考えられる。そして、甲が友人等との交際や特集本の編集協力に時間を充てていた点については、これらに要した時間さえ判然とせず、また特集本について甲が実際に行ったのは、企画会社にコンピューターソフトの名前を教えることや、ソフト制作者に対する取材申込みのメールの送信及びイラストレーターの紹介という程度のものであるから、そのような事実のみから甲の労働が過重でなかったということはできない。

 更に被告は、甲が平成8年4月ないし5月と同年8月に、連続した休暇を取得しており、1週間に2日間の休日もほぼ確保されていたとして、甲の業務は過重ではなかった旨主張する。この点は被告の主張のとおりであるが、甲は1ヶ月に1、2回の休日労働に従事していたことや、一定の時間外労働及び休日労働並びに平日の深夜ないし未明や休日の自宅での業務に従事していたことが窺え、連続した休暇の前後には相当な長時間労働に及んでいることが認められる。また、甲は平成8年8月初旬から相当に体調が悪化している様子を示しており、夏季休暇に入った直後から周囲に頭痛や吐き気を訴えるなどしているところ、前駆症状である頭痛の出現からくも膜下出血発症までの期間について、約75%が1ヶ月以内、約55%が14日以内であったとのデータが報告されており、甲が当該症状が出現しこれが継続して間もなくくも膜下出血を発症していることからすれば、甲の上記症状はくも膜下出血発症の前駆症状とみるのが自然である。そして、甲がそれ以前に特に過重な労働に従事していたことからすれば、かかる過重な労働により前駆症状を発症するに至っていた甲が、10日間にわたる夏季休暇等によっても回復することがなかったとしても不自然とはいえず、被告主張にかかる休暇の取得の事実をもって、甲の業務の過重性を否定することはできないというべきである。

 以上によれば、本件において、甲の時間外労働時間、休日労働等は前記のとおりであり、甲は週に数回、徹夜ないしそれに近い状況で業務を行うことを繰り返しており、その業務自体から直ちに過重な精神的負荷を受けていたとはいえないとしても、質の高い仕事を行うべく一定の精神的負担を受けていたことを考慮すると、甲の業務はBingの編集課及びインターネット企画グループの各在籍中を通じて特に過重なものであったというべきである。

5 甲のくも膜下出血に対する基礎疾患の影響について

 確かに、甲は多発性嚢胞腎に罹患し、その父方の祖母も脳溢血のために38歳で死亡しており、脳動脈瘤の発生、破裂及び高血圧発症の危険因子を有していたといえる。しかしながら、脳動脈瘤は血行力学的因子及び加齢により増悪し、多発性嚢胞腎患者の場合、40歳以下では1.9%であって、加齢により頭蓋内出血の割合が増大することが認められるところ、甲は29歳という若年でくも膜下出血を発症したものである。また、平成3年ないし平成8年の検査では、肉眼的血尿が認められたものの、ごく軽度であって、特段の治療は施されていない。また平成3年ないし平成8年の甲の血圧は、概ね境界域又はこれを僅かに超えるに過ぎず、脂質についても同様であって、共に治療を要する程度には至っていない。

 以上の事実によれば、甲はくも膜下出血発症の基礎となり得る素因又は疾患を有していたことは明らかであるが、同人は死亡当時29歳と相当程度に若年であり、死亡前に脳・心臓疾患により受診したり受診の指示を受けた形跡はなく、血圧についても境界域高血圧又はこれを僅かに超える程度のものに過ぎず、健康診断においても格別の異常は何ら指摘されていないことから、同人が脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血の危険因子の一つである多発性嚢胞腎に罹患していることや同人の家族歴等、甲の有する危険因子の存在を考慮しても、上記基礎疾患が甲の有する個人的な危険因子の下で、他に確たる発症因子がなくてもその自然の経過により血管が破裂する寸前まで進行していたとみることは困難である。
 以上によれば、本件くも膜下出血は、甲の有していた基礎疾患等がR社における特に過重な業務の遂行によりその自然の経過を超えて急激に悪化したことによって発症したとみるのが相当であり、甲の業務の遂行と本件疾病の発症との間に相当因果関係の存在を肯定することができる。
適用法規・条文
99:その他労災保険法16条の2、17条,
収録文献(出典)
労働判例990号139頁、判例時報2061号118頁、判例タイムズ1317号160頁
その他特記事項
本件は控訴された。

 ・法律  労災保険法
 ・キーワード  配慮義務