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立川労基署長(H社)転落後精神障害事件

事件の分類
うつ病・自殺
事件名
立川労基署長(H社)転落後精神障害事件
事件番号
東京地裁 - 平成18年(行ウ)第431号
当事者
原告 個人1名
被告 国
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
2008年11月27日
判決決定区分
棄却(確定)
事件の概要
 原告(昭和18年生)は、左官工等として昭和33年以来建設現場で働き、昭和61年1月から平成14年2月までの間カラオケ店店長を務めた後、同年5月16日から本件企業で塗装工として稼働し始めた。

 原告は、同月19日、塗装工事現場において高さ1.5mの足場に乗って塗装作業中、足場が崩れて芝生の上に転落して(本件事故)病院に搬送されたが、骨折を見落とされて帰宅し、同月22日に再度受診して、第1腰椎圧迫骨折、左肩打撲、頚椎捻挫、感音性難聴と診断されて入院した。原告は入院中、腰痛や左手の痺れ、痛みによる不眠などを訴えた他、耳垂れや耳の閉塞感を訴え、軽度の外耳炎等と診断され、同月26日に退院した。原告は退院後就労せず、頸部痛や痺れが改善しないとして次々に病院を代わったが、検査しても頚椎等や狭窄以外には多覚的所見は見られなかった。本件事故による外傷は平成16年6月7日に、感音性難聴については同年4月14日にそれぞれ症状固定した。

 原告は、平成15年6月16日、T医師の診断を受けたところ、本件事故による受傷を契機に、不定愁訴、不眠、不安感を訴え、分類困難な身体表現性障害に罹患していると診断され、1週間後に診察を受けた際には、精神科的には治療ニーズがないとして治療が中止された。原告は、平成14年12月24日、急性心筋梗塞を発症して入院し、その発症によって強い衝撃を受けたと供述している他、本件事故前に借り入れた住宅ローンや消費者金融からの借入金の弁済に苦慮していた。

 原告は、平成16年5月6日、不安が強く眠れないことを訴え、精神科のS医師の診察を受け、労災適用がなくなることへの不安、リストラされたこと、ローンのこと等の悩みを打ち明けた。S医師は同年7月1日付けの立川労働基準監督署長宛の意見書で、原告の症状を全般性不安障害と診断し、受傷によると思われる症状の継続は約2年と考えられ、素因として受傷以前からのパーソナリティーがかなり影響していると記載している。また、S医師の後任の主治医A医師は、平成18年3月15日付けの意見書において、本件事故前には原告に精神障害の既往歴がないこと、本件事故後に症状が現れ、それが一貫して継続していること、心筋梗塞が本件事故によるリハビリ中のものであること、生活苦も本件事故を発端としたものであることから、本件精神障害の相対的原因は本件事故と結論就けている。

 原告は、平成16年6月25日、立川労働基準監督署長に対し、本件事故により神経症(全般性不安障害)を発症したと主張して、労災保険法に基づく休業補償給付及び療養補償給付を請求したところ、同署長はこれを不支給とする処分(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として審査請求をしたが棄却され、再審査請求をしたが3ヶ月経過しても裁決がないことから、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。
主文
1 本件請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
判決要旨
1 業務起因性の判断基準

 労災保険法に基づく保険給付は、労働者の業務上の疾病等について行われるところ、労働者の疾病等を業務上のものと認めるためには、業務と疾病との間に相当因果関係が認められることが必要である。そして、労災保険制度が、労働基準法上の危険責任の法理に基づく使用者の災害補償責任を担保する制度であることからすれば、上記の相当因果関係を認めるためには、当該疾病等の結果が、当該業務に内在する危険が現実化したものと評価し得ることが必要である。そして、業務に内在する危険が現実化したと評価できるかどうかは、業務上の事故による心理的負荷の程度と、個体側の反応性、脆弱性を総合考慮して判断すべきである。

2 本件精神障害と本件事故との相当因果関係

 本件精神障害は全般性不安障害であること、T医師により診断された身体表現性障害が本件事故により発症したものであることが認められる。本件においては、上記全般性不安障害が、本件事故との間で因果関係を認めるだけの根拠があるか否かが問題となる。

 本件事故の態様は、高さ1.5mの足場に乗って塗装作業中、足場が崩れて後向きに芝生の上に転落したというものであり、その結果として負った身体障害のうち最も重いのは第1腰椎圧迫骨折であるが、約1ヶ月で退院していること、頚椎等の軽度の変型や狭窄以外に多覚的所見は認められず、頭部MRI検査の結果にも異常はなかったこと、後遺症として残ったのは、運動麻痺や筋力低下、頸部症、左手痺れと軽度の感音性難聴のみであることが認められる。このような外傷を伴う突発的な事故に遭遇した場合の心理的負荷が、精神障害の要因となり得ることは経験則として認められるものの、本件事故の態様及び結果は、心理的負荷のレベルとして、殊更に強いとまで評価することは困難である。

 原告の個体側反応性、脆弱性について、原告を分類困難な身体表現性障害と診断したT医師は、本件事故が契機になっているが、PTSDや外傷性ストレス障害など重篤なものではなく、生来の性格要因が強いと思われるとしており、また全般性不安障害と診断したS医師も、本件事故の受傷以来不安が続いているとしつつ、受傷による症状の継続を否定し、受傷以前からのパーソナリティーがかなり影響していると思われるとしているのであって、精神科の両医師とも精神障害発症の際の原告の性格要因の強さを指摘している。以上から、本件精神障害の発症には原告の脆弱性の影響が大きいものと認められる。

 また、原告は本件事故後に心筋梗塞を発症していること、この病気の発症に強い衝撃を受けていたこと、住宅ローンや消費者金融からの借入に苦慮していたことが認められ、心筋梗塞のような生死に関わる大きな病気の心理的負荷はとても強いものであるし、ローンや消費者金融からの借入れに苦慮していることもまた、ある程度の心理的負荷があるものといわなければならない。そうすると、本件精神障害については、これらの要因もまた大きな影響を与えている可能性が高いという評価にならざるを得ない。

 以上のとおり、本件事故により発症した精神障害と本件精神障害との継続性に疑問があること、本件事故の心理的負荷の程度、原告個体の持つ脆弱性、本件事故以外の心理的負荷の要因を考えると、本件精神障害は、業務に内在する危険が現実化したものと評価することはできず、本件事故と原告の精神障害との間に相当因果関係を認めることはできない。
適用法規・条文
労災保険法13条、14条
収録文献(出典)
 労働判例979号84頁
その他特記事項