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堺労基署長(パン製造小売会社)自殺事件(パワハラ)
- 事件の分類
- うつ病・自殺
- 事件名
- 堺労基署長(パン製造小売会社)自殺事件(パワハラ)
- 事件番号
- 大阪地裁 - 平成18年(行ウ)第189号
- 当事者
- 原告 個人2名 A、B
被告 国 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2009年01月14日
- 判決決定区分
- 認容(確定)
- 事件の概要
- T(昭和52年生)は、平成12年12月、全国チェーンを展開してパン製造小売業を営むM社に営業職正社員として採用され、間もなくその子会社である本件会社に出向し、平成13年1月9日から25日まで販売部門社員として勤務した。
Tの労働時間は、午前8時から午後9時30分までの交替制勤務(開店から夕方までと昼過ぎから閉店までの2交替制)が予定されていたが、Tが勤務した当時は本件店舗のオープン時ということもあって、Tを含む正社員は開店前準備から閉店後の手続き終了までの長時間労働となっていた。Tの勤務状況は、1月9日から25日までの17日間で、休日は2日、労働時間は178時間であり、特に本件店舗がオープンした1月15日から22日までは予想以上に客が来たこともあって、休日はなく、勤務時間は毎日12時間を超え、14時間を超える日が5日に及んだ。
当時、本件店舗に勤務する正社員は、販売担当としてTとFが、製造担当として店長ほか3名がいたほか、本件店舗オープンに当たって、本社等から応援が来たが、そのうちH課長は、T、Fら正社員に対し、厳しく接し、店長に対してもTらを「締めてやれ」と言ったりした。H課長は関東出身ということもあって、「てめえ」、「そんなこともできねえのかよ、馬鹿かよ」等のべらんめえ調のきつい口調で、細かく執拗にTらを叱責することもあり、Tについては唯一の販売担当の男性社員ということもあり、しばしば店外に呼び出して叱責することもあって、レジの金額が合わなかった際には、きつく叱責し、何度も計算のやり直しを命ずることもあった。またH課長は、本件店舗の応援から離れる際、Tに対し、自分がいない間にきちんと業務ができていなければ、どうなるかわからないなどと警告めいた指導をした。こうした中で、Tと共に正社員として販売を担当していたFは、1月23日に退職した。
Tは、1月23日から24日頃、うつ病を発症したところ、同月26日午前8時頃、母の運転する車で店舗に送ってもらったが、出勤することなく、同日午後6時頃公園内において首を吊って自殺した。
Tの両親である原告らは、Tの自殺は業務に存した過重負荷に起因する精神障害に罹患した結果であるとして、労働基準監督署長に対し労災保険法に基づいて遺族補償給付の支給を請求したところ、同署長はこれを支給しない旨の処分(本件処分)をした。原告らは本件処分を不服として審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。 - 主文
- 1 堺労働基準監督署長が原告らに対して平成17年2月28日付けで行った労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 業務起因性の判断基準について
労災保険法に基づく遺族補償給付は、労基法79条及び80条所定の「労働者が業務上死亡した場合」に行われるものであるところ、労働者の死亡が「業務上」のものといえるためには、業務と死亡の原因となった疾病等との間に条件関係が存在するだけではなく、社会通念上、当該Tの疾病等が業務に内在ないし随伴する各種の危険の現実化したものと認められる相当因果関係が存在する必要があると解するのを相当とする。
労働者が自殺した場合には、労災保険法12条の2の2第1項が「労働者が、故意に負傷、疾病、傷害若しくは死亡又はその直接の原因となった事故を生じさせたときは、政府は、保険給付を行わない」と規定しているため、その業務起因性が問題となる。ところで、労働者が自殺した場合であっても、労働者が精神障害を発症した結果、正常な認識、行為選択能力が著しく阻害され、又は自殺行為を思い止まる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われた場合は労働者の自由意思に基づいた自殺とはいえず、したがって、そのような場合で上記精神障害が業務に起因することが明らかな疾病(労基法施行規則別表第1の2第9号)の場合には同条項が適用されず、当該自殺につき業務起因性を認めるのが相当である。
精神障害の発症については未だ十分解明されていない状況であるが、環境由来のストレスと個体側の反応性・脆弱性との関係で精神的破綻が生じるかどうかが決まるという「ストレス―脆弱性」理論が、精神医学の領域において合理性が認められ、広く受け入れられていることが認められるところ、同理論を踏まえて業務と精神障害の発症との間の相当因果関係の存在の有無について判断するに当たっては、ストレス(業務による心理的負荷と業務以外の心理的負荷)と個体側の反応性、脆弱性を総合考慮し、業務による心理的負荷が社会通念上、客観的にみて、精神障害を発症させる程度に過重といえる場合に、業務に内在ないし随伴する危険が現実化したものとして当該精神障害の業務起因性(業務との相当因果関係)を肯定するのが相当である。
2 Tの自殺の業務起因性
Tは、M社の研修を受けたものの、先輩社員らに教えられて仕事を身につける機会を経ることなく、いきなり新規開店の本件店舗で勤務している上、初めて正社員として勤務したものであって、その心理的負荷は相当程度大きいものであった。そして、本件店舗はオープンから連続5日間1000人超の来客数が続いており、その後も1月23日までの間の来客数は800人から1000人までに及んでいたこと等事前の予想を大きく上回る繁忙のため、余裕のない状況になっていたこと、かかる状況下で勤務していたTの労働密度は高く、その心理的負荷もより大きなものとなっていたというべきである。更に、Tは朝から晩まで交替することなく2日分の仕事を1日でこなす長時間労働に連日従事し、心身共に疲弊していたことも容易に推測される。しかも、Tは正社員という理由で、同時期に採用され、一緒に研修を受けたパートやアルバイトらに教えるよう求められていたが、そのこと自体も業務の困難性があるといい得るところ、上司から正社員としての高い水準を要求され、かつH課長からきつい口調で細々としたことまで執拗に厳しく叱責されていたことを踏まえると、Tの心理的負荷は特別大きなものになっていたと推認される。加えて、本件会社は、本社や別の店舗からの応援スタッフを一定期間置いていたが、T及びFら販売の正社員の負担を軽減するに十分な体制であったか疑義が残るところであり、少なくともH課長のTに対する叱責・指導に関し、他の社員による精神的なフォローがされていないことを踏まえると、むしろ負荷のかけ方は当を得ていないといえる。
以上の事実を踏まえると、Tの年齢(当時23歳)、経験(正社員として勤務した経験はない)、業務内容、労働時間、責任の大きさ、裁量性のなさ、以上に述べた負荷が相乗的に作用して負荷が増大したことが強く窺われることを総合して勘案すると、Tの業務による心理的負荷は、社会通念上、客観的にみて、精神障害を発症させる程度に過重であったといえる。
Tは、当時、両親と特段問題のない家庭生活を送る等しており、業務以外の心理的負荷となる出来事を認めるに足りる証拠はない。Tには精神疾患の既往歴はなく、生活史やアルコール依存等特に問題となる事実はない。Tは真面目で優しいと評される性格であるが、精神障害や生活史の点で社会適応状況には特記すべき事情は存在せず、性格上の特に問題となる偏り等もない。なお、Tには、死亡当時、交際している女性がいた。
被告は、Tがうつ病を発症したのは業務以外の心理的負荷や固体側の脆弱性による旨主張する。しかし、Tに対する業務上の負荷が客観的にうつ病を発症する程度の負荷と認められ、他方、業務以外の心理的負荷となる出来事を認めるに足りる証拠はなく、個体側の脆弱性についても、社会経験の未熟な若年の労働者であることを考慮すると、Tが特別に脆弱であったとまではいえない。確かに、Tは短期大学を中退したり、専門学校を出た後も正社員として正式に働いた経験もなく、模範的な社会適応を行ってきたとまでいうことはできないが、以上のような事情があるからといって直ちにTに脆弱性があるとまでいうことはできない上、社会経験の未熟な若年労働者は、社会経験の豊富な熟年労働者に比して社会適応力が低いが、そのことをもって労働者側の脆弱性の要素と考えることも相当ではない。
以上のとおり、Tの業務による心理的負荷は、社会通念上、客観的にみて、精神障害を発症させる程度に過重であり、他方、Tには業務以外の心理的負荷は認められず、また年齢や社会経験に照らして精神疾患等のT側の脆弱性を特別窺わせる事情は認められない。したがって、Tのうつ病の発症及びそれに伴う自殺は、業務に内在する危険性が現実化したものというべきであり、業務とTの死亡との間には相当因果関係が認められる。
以上によれば、Tの死亡は、その従事した業務に起因するものというべきであるから、これを業務上の死亡と認めなかった本件処分は違法であり、取り消されるべきである。 - 適用法規・条文
- 労働基準法79条、80条、労災保険法12条の2の2第1項、12条の8第2項、16条の2、17条
- 収録文献(出典)
- 労働判例990号214頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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