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川口労基署長(食品メーカー係長)喘息発作死事件

事件の分類
過労死・疾病
事件名
川口労基署長(食品メーカー係長)喘息発作死事件
事件番号
東京地裁 - 平成18年(行ウ)第183号
当事者
原告 個人1名 
被告 国
業種
製造業
判決・決定
判決
判決決定年月日
2010年03月15日
判決決定区分
認容(控訴)
事件の概要
 T(昭和36年生)は、製パン会社等の勤務を経て、平成4年7月、パン、洋菓子の製造販売等を業とする本件会社に採用された。Tは海老名事業所勤務を経て、平成10年9月、川口市所在の東京事務所に異動となり、平成11年7月からは同事業所物流課管理係長として勤務していた。

 Tの業務の主な内容は、パン等を製造している各工場から東京事務所への運行管理、商品の入荷時間及び数量確認、スーパー等への商品出荷車両の管理等であり、Tは係長として、部下の教育、物流経費の管理、仕事の流れについての改善策の考案、配送ルートの考案、運送業者との折衝等も行っていた。

 Tは夜勤交替制勤務であり、東京事務所が24時間連続操業であったため、実質的に1日2交代制で、日勤が午前10時から午後10時まで、夜勤が午後10時から翌朝10時までであり、平成14年4月1日から同年7月28日(本件喘息死の前日)の間に担当した業務別回数は、日勤47回、夜勤34回であった。Tは東京事務所へ異動後単身赴任となり、茅ヶ崎の自宅へは、月に1回程度しか帰ることはできなかった。

 Tの本件喘息死前1ヶ月から6ヶ月までの間の時間外労働時間数は、それぞれ、79時間32分、86時間21分、91時間41分、95時間52分、88時間30分、85時間48分であり、本件喘息死前1週間には、工場の稼働能力を超え、生産が追いつかず、パンが東京事務所に届かないという大きなトラブルが生じ、これが3、4日続いたため、社員全員が長時間勤務を強いられた外、Tもこのトラブル処理のため長時間労働を行い、その時間外労働時間は、前日から7日前まで、それぞれ、13時間9分(昼勤務)、12時間50分(昼勤務)、14時間19分(昼勤務)、休日、11時間52分(昼勤務)、12時間24分(昼勤務)、12時間17分で、時間外労働時間は36時間51分であった。

 Tは、小児喘息の既往があり、一旦は寛解していたが、昭和55年(19歳)頃、気管支喘息を発症した。Tの喘息は平成6年(33歳)頃から悪化し始め、平成7年8月以降、喘息発作の治療が増え、喘息発作のコントロールが年々悪化していった。Tは本件喘息死に至るまで、平成6年5回、平成7年14回、平成8年25回、平成9年20回、平成10年31回、平成11年26回、平成12年26回、平成13年41回、平成14年16回通院していた。

 Tは、平成14年7月29日午後4時頃、単身居住していたマンション前通路で倒れていたのを隣人に発見されたが既に死亡しおり、その直後心筋梗塞が直接の死因であったと検案されたが、喘息発作により心臓停止に至り死亡したものであった。
 Tの妻である原告は、Tの死亡は業務上の事由によるものであるとして、労災保険法に基づき、労働基準監督署長に対し、遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したが、同署長は、Tの死亡は業務上の事由によるものではないとして、不支給とする処分(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として審査請求をしたが棄却され、再審査請求をしたが3ヶ月を経過しても裁決がないため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。
主文
1 川口労働基準監督署長が、平成17年7月27日付けで原告に対してした労働者災害補償保険法による遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
判決要旨
1 業務起因性判断の枠組み

 労災保険法に基づく保険給付は、労働者の業務上の死亡等について行われるのであり、労働者の死亡等を業務上のものと認めるためには、業務と死亡との間に相当因果関係が認められることが必要である。そして、労災保険制度が、労働基準法上の危険責任の法理に基づく使用者の災害補償責任を担保する制度であることからすれば、上記の相当因果関係を認めるためには、当該死亡等の結果が、当該業務に内在する危険が現実化したものであると評価し得ることが必要である。

 Tの死因は本件喘息であり、そうすると、本件喘息死が本件会社におけるTの業務に内在する危険が現実化したもとの評価できるかを、経験則及び科学的知見に照らして検討することになるが、この検討に当たっては、この喘息の増悪が、業務上の過重負荷によりその自然の経過を超えたものであったといえるかという観点から検討を加えることになる。

2 業務の過重性について

 Tの業務内容を見ると、運行管理・調整、クレーム受付・対応・調整、運送業者との折衝、配送ルートの改善策の考案、部下の教育等多岐にわたるものであり、単調、規則的な業務内容ではない。その上、トラブルの発生の際には、その解消まで居残って処理をしなければならず、その際には自ら車で工場まで商品を取りに行ったり、直接納入先に配送しなければならないこともある等の更なる負担が生じることもあり得るのであり、その結果として、まとまった休憩時間も確保されないで、精神的なストレスの生じ得る、かつそれに伴う肉体的な負担が大きな業務であったと評価することができる。

 更に、Tの本件喘息死以前6ヶ月の法定時間外労働時間は、月に79時間32分〜95時間52分、月平均87時間58分と非常に長時間である。その前の段階も、この6ヶ月間と同様の勤務形態であり、遅くとも東京事務所に異動になった平成10年9月以降は、恒常的に上記のような慢性的な長時間勤務を余儀なくされていたと認めるべきであり、Tの業務は、労働時間だけでも相当程度に過重なものであったといえる。その上、Tの業務は夜勤交代制勤務であり、本件喘息死前6ヶ月をみても、ほぼ全ての勤務が深夜に及び、夜勤の割合は約半分に及んでいた。Tの夜勤交代制勤務は、日本産業衛生学会基準の12項目のうち、少なくとも、1)交代勤務による週労働時間は、通常週において40時間を限度とすること等、3)深夜業を含む労働時間は1日につき8時間を限度とすること等、4)食事休憩時間は少なくとも45分以上確保しなければならないこと等、5)深夜業を含む勤務では、勤務時間内の仮眠休憩時間を拘束8時間について少なくとも連続2時間以上確保することが望ましいこと、6)深夜勤務は原則毎回1晩のみに止めるようにし、やむを得ない場合でも2〜3夜連続に止めるべきであること等、7)各勤務時間の間隔は原則とし16時間以上とし、12時間以下となることは厳に避けなければならないこと等、8)月間の深夜業を含む勤務回数は8回以下とすべきことという7項目において、逸脱する態様であった。そうすると、Tの業務は、夜勤交代制勤務という観点からも、相当程度に過重なものであったというべきである。

 以上によれば、Tの業務は、質・量ともに通常人にとっても過重なものであり、これが慢性的に継続していると評価するだけの十分な根拠があるといわなければならない。

3 業務の過重性と本件喘息死との相当因果関係

 Tの喘息の症状とTが従事した業務との間には、密接な関係がある。Tの喘息は平成6年頃から悪化し始めたが、これは夜勤交代制業務という恒常的に過重性を認めなければならない態様の業務に就いてから約1年が経過した時期に当たる。更に平成7年8月以降には、Tの喘息は中等症持続型又は重症持続型といってよい状態になり、頻回の通院治療にかかわらず、喘息発作のコントロールが年々悪化していった。そして、平成10年以降に発作が更に悪化したが、この間Tは過重な業務に恒常的に継続して従事し、しかも同年9月からは単身赴任生活というストレスを加重させる要素も加わっていたものである。更に平成13年2月には業務のストレスに応じて、Tの喘息の症状は重症化しつつあったといわなければならない。このように、過重な業務の経過と喘息の増悪の経過との相関関係が認められることによれば、慢性的に過重な業務に就いていたことによる過労・ストレスの蓄積により、Tの喘息が悪化に向かい、重症化していったものと推認することができる。

 そして、本件喘息死前6ヶ月には非常に長時間の労働に従事し、このような長時間労働はこの前の時点でも同様であったと認められ、更に加えて、本件喘息死前1週間には大きなトラブルが生じ、これが3、4日続いたために、社員全員の長時間勤務が続いたことがあり、この1週間の総労働時間は76時間51分(時間外労働時間36時間51分)を超える相当長時間で、日をまたぐ勤務もあり、上記トラブルは、社員全員の長時間勤務が続く大きなトラブルで、その処理に責任を持たなければならない立場のTの業務負荷は、肉体的にはもとより、精神的な緊張を強いられるという意味でも相当大きいものであったから、本件喘息死直前のTの業務は、身体的にも精神的にも負荷の大きい極めて過重なものであったと評価することができる。
 一方で、アレルゲン、喫煙習慣(17歳から1日15〜20本)、軽度の肥満等の事情がTの喘息の症状に影響を与えなかったとまではいえないし、増悪吸入ステロイドが十分ではなかったこと、短時間作用型β2吸入薬の多用による間接的な影響が、Tの喘息を増悪させた可能性は否定できない。本件喘息死の4、5日前の気道感染がTの本件喘息死の誘因となった可能性もまた否定することはできない。しかしながら、Tが元来持っていた基礎疾患が、業務上の質、量ともに過重な負担により重症化し、本件喘息死に近接する過程で、業務上の負担が更に増加して本件喘息死に至ったという経緯に鑑みれば、Tの喘息増悪から本件喘息死に至る過程での過重な業務の上の負担があったことにより、Tの喘息はその自然の経過を超えて増悪し、本件喘息死に至ったものと評価することが相当なのであり、業務に内在する危険が現実化したものとして、業務と本件喘息死との間に相当因果関係があることを認めることができると解すべきである。以上から、本件喘息死に業務起因性が認められる。
適用法規・条文
労災保険法16条の2、17条
収録文献(出典)
労働判例1010号84頁
その他特記事項
本件は控訴された。