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池袋労基署長(出向者)うつ病事件(パワハラ)

事件の分類
うつ病・自殺
事件名
池袋労基署長(出向者)うつ病事件(パワハラ)
事件番号
東京地裁 - 平成21年(行ウ)第152号
当事者
原告 個人1名 
被告 国
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
2010年08月25日
判決決定区分
棄却
事件の概要
 原告(昭和47年生)は、平成3年3月に大学を卒業後、大学院修士・博士課程(仏教学)を経て、平成16年4月から8月まで他の会社に勤務した後、同年9月、光通信に雇用された女性であり、その後間もなく同社の関連会社であるN社に出向して電話による保険加入の勧誘業務を行い、平成17年4月からは、同じく関連会社であるB社に再度出向してコールセンター業務を行っていた。

 B社においては、顧客から電話を受けた後の書類作成のための時間をワークタイムと称しているところ、パソコン上に設けられているワークタイムのスイッチを押すと、その間は当該従業員の電話に充電されない仕組みとなっており、ワークタイムが長すぎると、他の従業員の受電が増えることとなるため、各班のサブマネージャーは、長い従業員には短くするよう指導していた。

 原告は、過去にOA機器に関する格別の知識を有していなかったところ、B社に出向して約1ヶ月後、原告がクレーム電話の内容を聴取し、その内容をまとめて担当部署に送った際、「意味不明」というメールの返信を受けて対応してもらえなかったことがあった。また、原告の電話対応により2次クレームないし3次クレームが発生したことがあったことから、原告の上司Cは、原告に対し、平成17年6月16日の通常業務が終了した午後7時30分頃から、業務に関する個別の注意、指導を行った。Cは、自らの席の隣に原告を座らせて、電話の応対が良くないこと、ワークタイムの長いことにつき指摘し、言葉遣いや電話対応につき指導を行うとともに、ワークタイムの短縮を図るよう努力を促した。原告は、当初の30分程度はCからの質問に返事をしていたが、途中から返事をしなくなったところ、Cは原告に対し、「1分が60秒であることを知っているか」、「小学校で何を教わってきたか」などと尋ね、その後約2時間が経過した頃、何故黙っているのかとのCの問いに対し、原告は「黙秘権」と答えた。これを見かねた別班のサブマネージャーDが両者を取りなしたが、原告は謝罪や反省の弁を述べることなく、約4時間後に終了した。

 原告は、翌17日から胃の痛み、頭痛を訴え、同月20日に受診したところ、変形性頚椎症、不安神経症と診断されて同年7月1日から休職扱いとなり、同年8月23日、うつ病、睡眠障害と診断された。原告の本件精神障害発症前6ヶ月間における就労日数及び時間外労働時間数(所定労働時間7時間を超える時間)は、平成16年12月(24日、100時間25分)、平成17年1月(21日、88時間48分)、2月(21日、77時間02分)、3月(23日、97時間02分)、4月(21日、76時間21分)、5月(20日、86時間34分)、6月(21日、77時間14分)となっていた。
 原告は、本件精神障害は、N社及びB社における長時間労働、B社におけるパワハラ及びセクハラ、特にCからの見せしめ的で屈辱的なやり方での長時間にわたる陰湿な叱責などにより発症したものであるとして、労働基準監督署長に対し、平成17年11月7日、126日間の休業について、平成18年3月28日、133日間の休業について、労災保険の休業補償給付を支給するよう労働基準監督署長に対し請求を行った。これに対し同署長は、平成18年8月24日、各請求につきいずれも支給しない旨の決定(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として、審査請求、更には再審査請求をしたが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消を求めて本訴を提起した。
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
判決要旨
1 業務起因性の判断基準について

 被災労働者に対して、労災保険法に基づく労災補償給付が行われるには、当該疾病が「業務上」のものであること、具体的には労働基準法施行規則35条に基づく別表第1の2第9号にいう「業務に起因することの明らかな疾病」に当たることが要件とされる。そして、労災保険制度が使用者の過失の有無を問わずに被災者の損害を填補する制度であることに鑑みれば、「業務上」の疾病といえるためには、当該疾病が被災者の従事していた業務に内在ないし随伴する危険性が発現したものと認められることが必要である。したがって、被災労働者の疾病が業務上の疾病といえるためには、業務と当該疾病との間に条件関係があることを前提に、労災保険制度の趣旨等に照らして、両者の間にそのような補償を行うことを相当とする関係、いわゆる相当因果関係があることが必要であると解される。

 ところで、精神障害の原因については、環境由来のストレスと個体側の反応性、脆弱性との関係で精神的破綻が生じるかどうかが決まるという「ストレス−脆弱性」理論によることが相当であると考えられるところ、今日の社会においては、何らかの個体側の脆弱性要因を有しながら業務に従事する者も多い。このような点と、労災保険制度が前記危険責任の法理にその根拠を有することを併せ考慮すれば、何らかの個体側の脆弱性を有しながらも当該労働者と職種、職場における立場、経験等の面で同種の者であって、特段の勤務軽減を有することなく通常業務を遂行することができる労働者を基準として、当該労働者にとって、業務による心理的負荷が精神障害を発症させる程度に過重であるといえる場合に、業務に内在する危険性が現実化したものとして、業務と当該疾病との間に相当因果関係を認めるのが相当である。

2 業務よる心理的負荷について

 平成17年4月のB社への出向(本件出向)は、勤務場所も同じ建物内であり、職種の面でも同じ電話による応対という面で変わりはなく、また賃金等労働条件の面でも顕著な変化は認められないのであって、同じ「出向」の中でも、その心理的負荷の強度が高い類型のものであったとは認め難い。これに対し原告は、B社における業務は、OA機器についての顧客からの問合わせや故障等のクレーム、カスタマーサポート業務であって、業務内容が大きく異なる旨主張する。しかしながら、時に感情的になる顧客が存することは原告主張のとおりであるとしても、両社における業務は、電話での応対業務という点で共通であるし、それ自体の難易度が高い業務ともいい難い。むしろ、他の従業員が10回線程度の電話を担当する中で、経験の少ない原告については1回線のみの担当とするなど、その負担の軽減が図られていたものであるから、原告の業務が本件出向により著しく過重になったと認めることはできない。

 原告の労働時間については、残業が長時間にわたるとはいえるものの、所定労働時間が、一般的に多数と解される1日8時間ではなく、1日7時間であることをも考慮すると、生理的に必要な最小限度の睡眠時間を確保できない程の過酷な長時間残業とまで認めることはできない。

 原告は、平成17年6月16日の通常業務の終了後、Cから業務に関し注意、指導を受けているもので、この翌日から原告がうつ病を発症していることからすれば、これが本件精神障害の直接の契機になっていると推認される。なるほど、通常の終業時刻後に執務室という他の同僚にも目に付く場所において、約4時間という長時間にわたって注意・指導を行うことは通常の指導の仕方とはいい難く、また暴力的な態度でもって叱責したわけではないにしても、「1分が60秒なのを知っていますか」とか、「小学校でどう教わったの」というやや意地悪ともとれる質問をしていることからすれば、Cが原告に対しかなり感情的になっていたと考えられ、その指導の仕方に全く問題がなかったとはいえない。しかしながら、電話応対の対応やワークタイムの短縮といった指導内容自体はごく一般的なものであり、同僚もCが無理難題を言っているのではない旨述べていることからすれば、その注意、指導の主要な部分が不合理であるということはできない。むしろ、原告が、Cの指導に対し長時間沈黙を続けた頑な態度が約4時間にも及んだ原因であると認められる。結局、同日のCからの注意、指導につき、その心理的負荷を過大に評価することはできないというべきである。

 その他原告は、上司からパワハラ、セクハラを受けた旨主張するが、原告作成に係る書面においても、主に男女間の雰囲気に対する不満の類が多い。もっとも、同書面中には、平成16年12月に、上司が原告の両腕を掴んで姿勢を真っ直ぐにさせようとしたとか、本件精神障害発症直前の平成17年6月にも先輩従業員に胸を触られそうになったなどという記載はあるが、原告の供述内容に誇張された点も散見されることに照らすと、その供述のみで上記主張にかかる事実を認めるには足りないというべきである。

3 本件における業務起因性の有無

 以上を総合すれば、原告の業務による心理的負荷の総合評価は「強」には至っていないというべきである。そして、原告の業務による心理的負荷が客観的に精神障害を発症させるおそれのある程度に過重であったと認めることはできないから、本件精神障害の発症につき業務起因性を認めることはできない。
適用法規・条文
労働基準法75条、労災保険法
収録文献(出典)
労働経済判例速報2086号14頁
その他特記事項