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M社自殺事件

事件の分類
うつ病・自殺
事件名
M社自殺事件
事件番号
前橋地裁 - 平成20年(ワ)第376号
当事者
原告 個人4名 A、B、C、D
被告 個人 1名 X、株式会社
業種
サービス業
判決・決定
判決
判決決定年月日
2010年10月29日
判決決定区分
一部認容・一部棄却(控訴)
事件の概要
 被告会社は、介護付き有料老人ホームの運営等を業とする株式会社であり、被告Xは平成16年8月当時、被告会社の代表取締役であった者である。T(昭和35年生)は、昭和58年3月に大学を卒業後、信用金庫に就職し、平成12年4月から本店営業部審査課長として勤務していたが、平成14年10月、被告会社に入社した。

 被告会社は、Tが入社した当時、株式の上場を検討しており、平成16年6月頃には、上場の時期を平成17年7月と定めていた。被告会社は施設を拡大しており、そのための資金を投資会社や銀行から集めるためにも入居者の獲得が重大な課題であった。Tは、株式上場の準備のための仕事量が増えるであろうという理由から、店頭準備室長として被告会社に採用され、財務・経理、店頭公開に関する事務等を担当していた。Tは平成15年10月頃には財務・経理部長に就任したところ、その業務割合は、資金繰りを含めた財務・経理と上場のための仕事が約70%に達していた。Tは、平成16年4月1日には管理本部長に昇進し、財務経理関係業務を行うとともに、銀行からの借入交渉、資金繰りの仕事等を引き受けるとともに、Kとの折衝を担当することとなった。

 被告会社は平成16年6月1日に組織変更を行い、代表取締役の下に副社長を配置し、その下に管理本部を含む6つの部署を配置し、管理本部の下に財務・経理を含む3つの部署を配置し、Tは同日付で管理本部長から再び財務経理部長に降格され、その上司の管理本部長にはCが就任した。Tは、投資会社を相手に資金繰りの調整等の業務を行っていたところ、平成16年4月頃からTの担当していた投資会社Kから、施設の稼働率が悪いなどと指摘され、Kとの対応に忙殺された。また、同年8月6日には、準備していたKの投資が中止になり、この投資を前提としていた計画の見直しが必要となったことから、資金繰りを担当していたTの業務が増加した。

 被告Xは、同年8月16日、T宛てに、人員整理の案の提出、資金繰りについてCと意見が違っていること、管理本部の統制が取れていないこと、管理本部は事務会計部に過ぎなくなっていることなどを内容とする叱責メールを送信し、そのメールはCと人事部長にも送信された。

 Tは平成16年1月から帰宅時間が遅くなり、土曜日、日曜日も殆ど出勤するようになったことや、業務内容が忙しくなったため、同年4月から週休を1日に変更し、毎日午後10時前後に帰宅するようになり、土日もほとんど出勤していた。加えてTは、勤務時間後ホテルで宿泊することがあり、平成16年2月ないし4月までの間は各月1日、同年5月には9日、6月には6日、7月には7日、8月には1日の割合でホテルに宿泊していた。Tの自殺前7ヶ月間の時間外労働時間は、本件自殺7ヶ月前105時間35分、6ヶ月前92時間06分、5ヶ月前125時間52分、4ヶ月前178時間29分、3ヶ月前228時間55分、2ヶ月前131時間01分、1ヶ月前136時間13分となっていた。

 平成16年8月17日、Tは朝出勤し外出先から同僚に対しこのまま帰ると電話をし、翌18日未明、道路用の車内において一酸化炭素中毒によって自殺した。車内のパソコンには、原告A宛の遺書2通、母親と兄宛の慰謝1通が遺されており、原告A宛ての遺書には、「24歳で病気になり、負けまいと頑張ってきましたが、ちょっと疲れました」などの記載があった。Tは、昭和58年12月にギランバレー症候群を発症し、約1年間の入院生活後、下肢機能障害が残ったものの、足首を固定するために短下肢装具を付けて歩行できる程度に回復した。そしてTは、被告会社に入社した平成14年10月以降に、身体障害者4級の認定を受けていた。

 Tの妻である原告A、Tの子である同B、同C及び同Dは、Tの自殺は、Tが連日肉体的、心理的に負荷の高い長時間労働に従事してうつ病に罹患したことが原因であり、被告らには安全配慮義務違反があったとして、被告会社については債務不履行及び不法行為に基づき、被告Xについては不法行為に基づき、死亡慰謝料3000万円を含む合計1億1579万9131円を請求した。
主文
1 被告会社は、原告Aに対し、1904万5488円及びこれに対する平成16年8月18日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2 被告会社は、原告B、同C及び同Cに対し、それぞれ1561万6515円及びこれに対する平成16年8月18日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

4 訴訟費用は、これを10分し、その4を原告らの負担とし、その余を被告会社の負担とする。

5 この判決は、第1項及び第2項に限り、仮に執行することができる。
判決要旨
1 うつ病の病態についての専門的知見

 うつ病に罹患しているか否かについては、主として、1)抑うつ気分、2)興味と喜びの喪失、3)易疲労性の事情の外に、a集中力と注意力の減退、b自己評価と自信の喪失、c罪悪感と無価値感、d将来に対する悲観的な見方、e自傷あるいは自殺への観念や行為、f睡眠障害、g食欲不振の要素も総合して判断すべきであるとされている。そして、うつ病の程度が重症であって自殺等に至る場合には、主として1)ないし3)を満足すること及びaないしgのうち、少なくとも4つの要素に該当し、重症であることが必要とされている(「ICD−10」)。不安・焦燥優位のうつ病は、家族を含め周囲の人が異常に気付きにくいだけでなく、本人自身病気であるとの自覚を持ちにくく、そのような現象は、いわゆる内因性うつ病の発症に伴い心身の包括的な変化が生じたことによるうつ病性病識欠如とみるべきであるとされている。

2 精神障害による自殺と長時間労働との関連についての専門的知見

 恒常的な長時間労働等の負荷が長期間にわたって作用した場合には、「疲労の蓄積」が生じ、これが血管病変等をその自然経過を超えて著しく増悪させ、その結果、脳・心臓疾患の発症に影響を及ぼすとされており、月100時間以上の残業をしている労働者は、原因となる出来事から精神疾患発病までの期間が短いとされている。また、4〜5時間睡眠が1週間以上続き、かつ自覚的な睡眠不足が明らかな場合は精神疾患発症、特にうつ病発症の準備状態が形成されることが可能であり、時間外労働が月100時間以上の労働に従事した労働者には精神医学的配慮が必要とされている。

3 Tが本件自殺当時、うつ病に罹患していたことが認められるか

 Tは、1)平成16年6月頃からは明らかに元気がなくなり、深刻でふさぎこんでいる様子であり、2)同年8月13日には、親族との談笑にも参加せず、興味及び関心を喪失しており、3)同年7月頃からは、仕事においても疲れた様子が見受けられ、出勤時刻になっても寝ていることがあったというのであるから、前記11)ないし3)の事情が認められる。また、Tは同年6月から服装や頭髪にも乱れが見られ、集中力等にも減退があり、同年8月には、被告Xからのメールによる自信の喪失も認められ、同年7月頃からは食欲も減退し、家での飲酒も減ったこと、同年2月以降、睡眠が浅く、睡眠導入剤の利用を考える程であったことが認められ、前記1のaないgの要素のうち、少なくとも4つの要素を満たすといえる。以上によれば、Tはうつ病に罹患していたと認められる。

4 業務と本件自殺との間に相当因果関係が認められるか

(1)ストレス−脆弱性理論

 Tはうつ病を発症していたのであり、これに、Tの自殺には他に合理的な説明可能な動機が見当たらないことを併せ考えると、Tは本件うつ病の自殺衝動に抗しきれずに自殺したというべきである。うつ病の発症原因については、「ストレス−脆弱性」理論に依拠することが適当であると考えられている。すなわち、環境から来るストレスと個体側の反応性及び脆弱性との関係で精神的破綻が生じるかどうかが決まり、ストレスが非常に強ければ個体側の脆弱性が小さくても精神障害が生じるし、脆弱性が大きければストレスが小さくても破綻が生じる。したがって、業務と本件うつ病との間の相当因果関係の有無の判断に当たっては、業務による心理的負荷、業務以外の心理的負荷及び個体側要因を総合考慮して判断するのが相当である。

(2)業務による心理的負荷の過重性について

 平成16年1月からTが本件うつ病を発症した同年7月までの6ヶ月間における時間外労働時間数は、同年2月から3月を除き、いずれも100時間を超えており、特に5月から6月は228時間を超えたものとなっている。専門的知見によれば、月100時間を超える時間外労働に従事した労働者には、精神医学的配慮が必要であるといわれていることからすれば、これを超えるTの時間外労働時間数は、Tにとって極めて大きな肉体的・精神的負担であったといえる。またTは、同年4月は休みを1日も取れず、5月及び6月はそれぞれ休みを2日しか取れていないのであるから、疲労を回復するための休息は十分には取れていなかったといわざるを得ない。以上からすれば、Tの時間外労働数は、Tにとって極めて大きな肉体的・心理的負荷であったことは明らかである。

 同年4月以降、Tの業務の負担は、質量ともに増加し、更に被告の職場環境としては、Tを支援する体制が整えられていなかったことが認められる。そのような中でTは、被告の存続に不可欠な資金繰りの心配や投資会社との折衝など、精神的な緊張を強いられる業務に携わり、同年7月には本件うつ病を発症し、精神的に疲弊していた中で、同年8月には投資会社からの投資を断られたり、被告Xからメールで叱責されるなど、大きな精神的負担が加わったことが認められる。

 被告らは、Tの業務内容について、1)Tは株式上場の業務を担当していない、2)Tは資金を自ら調達しなければならないような立場ではない、3)被告会社が資金を調達しようとしていたのはKだけではない、などと主張する。しかし、同年4月からは、Tが実質的に資金繰りについて、銀行及び投資会社とのやりとりを一手に引き受けていたのであるし、同年6月に入社したTの上司Cが表向きには資金繰りを調整する立場だったとしても、Tに主たる負担がかかっていたものと認められる。また、資金繰りの調整が株式上場のための試金石となるところ、Tが株式上場の業務を担当していなかったとしても、実質的には株式上場のためのプレッシャーがTの負担になっていたといえる。更にK以外にも投資会社が存在したとしても、自ら折衝していた投資会社から投資を断られたTの精神的ショックは大きいこと、予定していた投資会社から投資を受けられないことにより被告会社の事業計画を変更することになることからしても、Tに対して心理的な負荷が加わったことは明らかである。したがって、被告会社の主張には理由がない。以上の事情に照らすと、Tには平成16年4月以降、業務内容自体の過重性により肉体的・心理的負荷があったと認められる。

(3)業務以外の心理的負荷あるいは個体側要因

 被告らは、1)Tが給料を無断で増額したこと、2)出社退社時刻を手入力操作したこと、3)家庭生活に問題があり、飲食店女性とのトラブルがあったこと、4)Tの個体側の要因があったことなどから、Tには業務以外の心理的負荷があったと主張する。しかし被告会社においては、月給制と年俸制が両方採用されており、Tの労働条件についても柔軟に変更されていることから、被告会社においては比較的労使間においての労働条件が選択できるといえるのであって、Tの給料が増額されていたとしても、Tが被告会社に無断で増額したとまでは認められない。また、仮にTが給料を無断で増額したり、出社退社時刻を手入力操作をしたり、家庭生活に問題があったとしても、それらが本件自殺と相当因果関係があるとは認められない。なお、Tと飲食店女性との間にトラブルがあったと認めるに足りる証拠はない。また被告らは、遺書の記載から、本件自殺にはギランバレー症候群という個体側の要因があると主張する。確かに遺書には病気について言及されているが、これは、Tが病気を苦にしているというよりも、病気ゆえにがんばってきたという趣旨に解されるし、Tの病気は、歩行器具を装着して歩行する以外に、日常生活における支障は認められず、T自身病気を気にしていた様子が見られないことから、この点がうつ病の発症に寄与していたと認めることはできない。更にTには精神障害の既往症は認められず、これまでの生活歴においても、特段、精神上の問題があったと認めるに足りる証拠はない。

 以上を総合すると、Tは過重で精神的な緊張を強いられる業務内容及び過重な長時間労働に従事したことによって、著しい肉体的・心理的負荷を受け、十分な休息を取ることができず、疲労を蓄積させた結果、本件うつ病を発症し、それに基づく自殺衝動によって、本件自殺に及んだというべきであるから、Tが従事した業務と本件自殺との間に相当因果関係があることは明らかである。

5 安全配慮義務違反又は注意義務違反

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 使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、労働者の労働時間、勤務状況等を把握して、労働者にとって長時間又は過酷な労働とならないよう配慮するのみならず、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないように注意する義務を負うと解するのが相当である。したがって、上記注義務違反は、雇用契約上の債務不履行(安全配慮義務違反)に該当するとともに、不法行為の過失をも構成するというべきである。

 これを本件についてみるに、本件自殺前には、Tの時間外労働時間が6ヶ月間にわたって平均100時間以上もの極めて長時間に及んでいたのであるから、Tが過剰な時間外労働をすることを余儀なくされ、その健康状態を悪化させることがないように注意すべき義務があったというべきである。またTは、上記過剰な時間外労働時間に加え、被告会社の資金繰りの調整等を担当していたことにより、心理的負担の増加要因が発生していたにもかかわらず、被告会社はTの実際の業務の負担や職場環境などに配慮することなく、その状態を漫然と放置していたのであるから、このような被告会社の行為は、上記注意義務に反するものである。したがって、被告会社には、安全配慮義務違反及び不法行為の過失があったと認められる。

(2)予見可能性の有無について

 被告会社は、毎年定期健康診断を実施しているところ、Tが自殺する直前の健康診断においては、Tの健康状態は良好であり、業務態様及びその言動を見ても、Tの健康状態に変動はなかったのであるから、Tの自殺について予見可能性はなかったと主張する。しかし、長時間労働の継続などにより疲労や心理的負担等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なうおそれがあることは広く知られているところであり、うつ病の発症及びこれによる自殺はその一形態である。そうすると、使用者としては、事前に当該労働者の具体的な健康状態の悪化を認識することが困難であったとしても、これだけで予見可能性がなかったとはいえないのであるから、使用者において、当該労働者の健康状態の悪化を現に認識していなかったとしても、当該労働者の就労環境に照らして、当該労働者の健康状態が悪化することを容易に認識し得たというような場合には、結果の予見可能性があったと解するのが相当である。

 これを本件についてみるに、被告会社が本件自殺までのTの具体的な健康状態の悪化を認識し、これに対応することが容易でなかったとしても、1)被告会社の副社長がTの疲れた様子を認識していたこと、2)Tの時間外労働時間が6ヶ月にわたって約100時間を超えており、Tは支援体制が採られないまま、過度の肉体的・心理的負荷を伴う勤務状態において稼働していたこと、3)被告会社は、平成15年7月28日に、労働基準監督官から「過重労働による健康障害防止について」という指導勧告を受けていたことに照らすと、被告会社において、上記勤務状態がTの健康状態の悪化を招くことは容易に認識し得たといわざるを得ない。したがって、被告会社には結果の予見可能性があったというべきである。

(3)被告Xの責任

 被告会社では、代表取締役の下に副社長を、その下に6つの部署を配置し、Tの直属の上司は当時はCであったことなどの管理体制に照らせば、代表取締役である被告Xが被告会社の個々の従業員の労働時間及び勤務状況を把握して、個々の労働者にとって長時間又は過酷な労働とならないように配置して個々の労働者の心身の健康を損なうことがないように注意する具体的な義務まで負っていると解するのは困難である。したがって、被告Xに過失があったとは認められないから、被告Xが民法709条に基づく不法行為責任を負う旨の原告らの主張は採用できない。

6 過失相殺について

 被告会社は、過失相殺をすべきである旨主張するが、T自身既にうつ病に罹患していたものであるから、被告らに対し、業務量の軽減措置等を自ら申し入れるまでの注意義務を負っていたと認めることはできない。また原告Aは、Tの精神状態における変化に気付いていたことが窺われるが、うつ病の発症や治療の要否の判断は容易ではなく、原告AがTのうつ病に気付き、これに対処すべき注意義務は認め難い。更に被告会社がTの勤務環境に対して配慮をしていた事情も認められないのであって、原告らが被告会社に対して、Tの業務内容、就業時間その他について、変更、軽減の措置を要求した場合に、Tの勤務環境が改善されたと認めるに足りる証拠はなく、原告らがTの勤務環境に配慮して、これを改善し得る立場にあったとはいえない。したがって、T及び原告らに過失相殺に供すべき過失があった旨の被告らの主張は採用することができない。

7 損害額について

 Tの平成15年における年収は598万3950円であり、これを基礎収入として、原告Aと3人の子供と生活していたから、生活費控除率は30%とし、Tは67歳まで24年間就労可能であったと認められるから、ライプニッツ係数は13.7986となり、逸失利益は5779万9092円となる。Tの死亡による慰謝料は2600万円、葬祭料は150万円が相当である。原告Aは、遺族補償年金として、2436万6858円、葬祭料として93万7200円の各支給を受けているところ、その価額の限度で被告らは賠償責任を免れる。したがって、原告Aの損益相殺後の損害は、1734万5488円となる。弁護士費用は、原告Aにつき170万円、原告B、C及びDにつき各140万円と認めるのが相当である。
適用法規・条文
民法415条、418条、709条、715条、722条2項
収録文献(出典)
労働判例1024号61頁
その他特記事項