判例データベース
川崎北労基署長(F社)薬物過量服用死事件
- 事件の分類
- うつ病・自殺
- 事件名
- 川崎北労基署長(F社)薬物過量服用死事件
- 事件番号
- 東京地裁 - 平成21年(ワ)第75号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 国 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2011年03月25日
- 判決決定区分
- 認容(確定)
- 事件の概要
- A(昭和53年生)は、専門学校を卒業後、平成14年4月にコンピューターソフトウェアの研究開発等を業とする本件会社に雇用され、同年8月以降、様々なプロジェクトチームに配属されてプログラムの作成、修正等の業務に従事していた。
平成15年4月から、Aは大手放送局の地上波デジタル放送オペレーションシステムの開発プロジェクト(Gプロジェクト)に所属して時間外労働が大幅に増加し、月100時間以上に達したが、同プロジェクトに増員はなかった。Aの仕事に対する不満や愚痴は、平成15年9月頃には、その傾向が一層顕著になり、同年10月から休暇の取得、遅刻、早退が増加し、同年11月以降は連続して欠勤するに至った。同月28日、Aは「混合性不安抑うつ状態」の診断を受けた後休業し、その期間は平成16年2月11日まで及んだ。
Aは、翌12日再出勤し、業務軽減措置を受けながら比較的簡易な業務を再開し、同年4月27日、業務軽減措置を一旦解除されたが、同年5月頃から抑うつ感情や不眠の症状が現れるようになったため、同年6月21日に神経科を受診して「抑うつ病」の診断を受け、同年8月6日には「神経症うつ病」の診断を受け、その後神経科の治療を受けていたところ、同年9月3日、処方薬を過剰摂取して病院に救急搬送された。
Aは、その後も周囲に精神的不調を訴え続け、平成17年8月1日から11月20日までの間、抑うつ状態のため再度の休業を余儀なくされた。Aは翌21日に再出勤し、プログラムの改良、機能追加、結合テスト等の業務に従事していたが、睡眠障害や希死念慮の症状は改善されず、平成18年1月25日、精神疾患の薬物の過量服用をした結果、急性薬物中毒となり、翌26日に死亡した。
Aの母親である原告は、労働基準監督署長に対して、Aの死亡は過重な業務に従事したことによるものであるとして、労災保険法に基づく遺族補償年金及び葬祭料の給付を請求したが、同署長はこれらをいずれも支給しない旨の処分(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として、審査請求をしたが棄却され、更に再審査請求をしたが3ヶ月を経過しても裁決がなかったため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。なお、本訴提起後、労働保険審査会は再審査請求を棄却する旨の裁決をした。 - 主文
- 1 川崎北労働基準監督署長が原告に対して平成19年12月26日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 業務起因性に関する法的判断の枠組みについて
労働基準法及び労災保険法に基づく保険給付は、労働者の業務上の疾病について行われるところ、業務上疾病にかかった場合とは、労働者が業務に起因して疾病にかかった場合をいい、業務と疾病との間には条件関係が存在するのみならず、相当因果関係があることが必要と解される。そして、労働基準法及び労災保険法による労働者災害補償制度は、使用者が労働者を自己の支配下に置いて労務を提供させるという労働関係の特質を考慮し、業務に内在する各種の危険が現実化して労働者が疾病にかかった場合には、使用者に無過失の補償責任を負担させるのが相当であるという危険責任の法理に基づくものであるから、業務と疾病との間の相当因果関係の有無は、その疾病が当該業務に内在する危険が現実化したものと評価し得るか否かによって決せられるべきである。また、今日の精神医学的・心理学的知見としては、環境由来のストレスと個体側の反応性・脆弱性との関係で精神的破綻が生じるか否かが決まり、ストレスが非常に強ければ個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起こるし、逆に、個体側の脆弱性が大きければストレスが小さくても破綻が生じるという「ストレス−脆弱性」理論が広く受け入れられている。
そうすると、労災保険の危険責任の法理及び「ストレス−脆弱性」理論の趣旨に照らせば、業務の危険性の判断は、当該労働者と同種の平均的な労働者、すなわち、何らかの個体側の脆弱性を有しながらも、当該労働者と職種、職場における立場、経験等の点で同種の者であって、特段の勤務軽減まで必要とせずに通常業務を遂行することができる者を基準とすべきである。このような意味での平均的労働者にとって、当該労働者の置かれた具体的状況における心理的負荷が一般に精神障害を発病させ死亡に至らせる危険性を有しているといえ、特段の業務以外の心理的負荷及び個体側の要因のない場合には、業務と精神障害発病及び死亡との間に相当因果関係が認められると解するのが相当である。そして、判断指針・改正判断指針は、いずれも精神医学的・心理学的知見を踏まえて作成されており、かつ、労災保険制度の危険責任の法理にもかなうものであり、その作成経緯や内容に照らして不合理なものであるとはいえない。したがって、基本的には判断指針・改正判断指針を踏まえつつ、当該労働者に関する精神障害発病に至るまでの具体的事情を総合的に斟酌して、業務と精神障害発病との間の相当因果関係を判断するのが相当である。
2 Aの精神障害の傷病名及び発病時期
Aの精神障害の症状については、平成15年4月にGプロジェクトに配属された後、次第に自らの仕事内容や職場環境に対する不満や愚痴を頻繁に述べるようになるなどの「抑うつ気分」の外、「興味と喜びの喪失」、「活力の減退」、「易疲労性の増大や活動性の減少」といった「うつ病」の典型的な症状が現れ始めたと評価することも可能である上、「睡眠障害」などの症状が現れていたと見ることも可能である。以上のAの疾病等に対する評価を前提とすれば、Aについては、遅くとも平成15年9月頃には、軽症ないし中等度の「うつ病を発症していたとみることも強ち不当ではない。
以上検討したところを総合すれば、Aは、遅くとも平成15年9月頃までには、判断指針・改正判断指針に基づき業務との関連で発病する可能性のある精神障害である「うつ病」又は少なくとも「混合性不安抑うつ障害」を発病していたと認めるのが相当である。
3 Aの精神障害の発病が業務に起因するものと認められるか否か
Aの時間外労働時間は、Gプロジェクトに配属された平成15年4月よりも前から、少なくとも毎月30時間を超過し、多い月には80時間を超過していた。そして、Gプロジェクトに配属された平成15年4月以降のAの時間外労働時間は大幅に増加しており、最も少なく見積もったとしても、4月が103時間54分にも達し、5月が53時間17分、6月が78時間40分、7月が98時間26分、8月が76時間44分、9月が48時間51分であり、上記期間において、Aは夜を徹して作業に従事したこともあり、毎月1日から4日程度の休日出勤があったことも認められる。そして、Aが所定労働時間中の休憩時間の一部や時間外勤務中の休憩時間を就業規則の定め通りに取得していたとまで認められないことからすると、実際には、Aは上記認定の時間外労働時間数よりも更に長時間に及ぶ時間外労働に従事していたものと認めるのが相当である。
平成15年4月及び6月の各配置転換については、Aの業務内容や責任に大きな変化はないため、心理的負荷の強度はいずれも「」のままと評価するのが相当であるが、相当程度の長時間労働が継続していたところに、配置転換に伴って急激にかつ著しく労働時間が増加し、その後もしばらくの間、相当程度の長時間労働に継続的に従事せざるを得ず、その間、プロジェクトへの増員もなく、作業中休憩時間を満足に取れない中、休憩施設が十分に整備されていないため、作業場において仮眠をするなどして疲労を回復することが困難であった上、作業環境も苛酷であったなどの状況を踏まえれば、その心理的負荷の程度は「過重」と評価するのが相当である。したがって、総合的な評価の結果として、Aの精神障害発症前の業務の心理的負荷の総合評価は、「強」と評価するのが相当である。なお、Aと同期入社の友人であり、同時期にGプロジェクトに所属し、Aよりも比較的難易度の低い作業に従事していたBについても、平成16年夏頃「うつ病」に罹患して休業したこと、その他Aと同期入社の従業員74人のうち26人が退職しており、そのうち6人が精神の不調を訴えた経歴があると窺われるし、残り48人中6人についても、精神的な不調を訴えて1ヶ月以上もの間休職していることが認められるところ、かかる諸事情も、本件会社の業務の状況を推認させる事情として理解できるというべきであり、前記判示のAの担当した業務の状況を裏付けるものと解するのが相当である。
Aの精神障害発病前に、Aに精神障害が発病する原因となるべき業務以外の心理的負荷要因は認められず、精神障害の発病につながる個体側要因の存在も認められない。
以上のとおり、Aの精神障害発病前の業務の心理的負荷の総合評価は「強」であり、その他精神障害の発病につながる業務以外の心理的負荷や個体側要因も特段認められないのであるから、判断指針・改正判断指針によっても、Aの精神障害発病が同人の業務に起因するものであると認めるのが相当である。
4 Aの過量服薬による死亡が精神障害の影響によると認められるか否か
Aの精神障害発病から死亡に至るまでの事実経過に照らせば、Aは業務によって発病した精神障害による睡眠障害や自殺年慮等の症状に苦しみながら、その影響下において次第に薬物依存傾向を示すようになり、これが回復しないまま、過量服薬に及んだ結果として死亡するに至ったものと解するのが相当である。したがって、精神障害の発病と過量服薬の結果としての死亡との間に、法的にみて労災補償を認めるのを相当とする関係(相当因果関係)を肯定することができるというべきである。
Aの本件疾病の発病及びこれに伴う薬物依存傾向による過量服薬による死亡は、Aが、その業務の中で、同種の平均的労働者にとって、一般的に精神障害を発病させる危険性を有する心理的負荷を受けたことに起因して生じたものと認めるのが相当であり、Aの業務と本件疾病発病及び死亡との間に相当因果関係の存在を肯定することができる。 - 適用法規・条文
- 労災保険法16条の2、17条
- 収録文献(出典)
- 労働判例1032号65頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
---|