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医療法人財団東京厚生会(O記念病院)婦長降格事件(パワハラ)

事件の分類
職場でのいじめ・嫌がらせ
事件名
医療法人財団東京厚生会(O記念病院)婦長降格事件(パワハラ)
事件番号
東京地裁 - 平成8年(ワ)第18347号
当事者
原告 個人1名
被告 医療法人
業種
サービス業
判決・決定
判決
判決決定年月日
1997年11月18日
判決決定区分
一部認容・一部棄却(控訴)
事件の概要
 被告は、O記念病院の経営を主たる目的とする医療法人であり、原告(昭和22年生)は昭和47年に看護婦になり、幾つかの病院勤務を経て平成5年5月10日、被告との間で婦長として雇用契約を締結し、O記念病院に勤務していた。

 平成8年7月初め、総婦長は、東京都衛生局の監査が同月中旬に実施されることから、原告にその予定表の提出を求めた。ところが平成7年11月以前の数ヶ月分が見つからなかったため、予定表の管理が不十分であったとして、同月29日、原告は婦長から平看護婦に格下げとされた(本件降格)。

 原告は、同年8月2日、弁護士と相談して、被告宛に降格処分の撤回を求める内容証明郵便を出したところ、被告は、解雇はしていないとして、予定表という重要書類を紛失した重大な義務違反を理由に降格したことを記載した内容証明郵便を送付した。そこで原告は、本件雇用契約は、専ら被告の違法、不当な降格処分によって維持できなくなったものであり、故意又は重大な過失が被告に存すること、原告は本件債務不履行による損害の賠償を求める旨意思表示した上で、雇用契約を解除する旨通知した。その上で、原告は、定年までの賃金の外、2階級の降格処分をされ、就業中に婦長の帽子を平看護婦の帽子に変えるよう命じられるなどして甚だしい精神的苦痛を味わったとして、被告に対し慰謝料500万円、弁護士費用100万円を請求した。
 なお、被告の就業規則10条(異動)は、「業務上必要あるときは、配置転換・職種変更を命じる」旨規定し、同42条(制裁の種類)は、譴責、減給、出勤停止及び懲戒解雇のみを定め、降格についての規定は存在しない。
主文
1 被告は原告に対し、金33万円及びこれに対する平成8年8月22日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2 原告のその余の請求を棄却する。

3 訴訟費用は被告の負担とする。
4 この判決は、主文第1項に限り、仮に執行することができる。
判決要旨
1 本件降格の適否

 一般に使用者には人事権があることが予定されているといえるが、被告においても、就業規則10条(異動)は、「業務上必要があるときは、配置転換・職種変更を命ずる」旨規定しており、本件においても被告は右人事権を行使することにより、労働者を降格することができる。

 本件降格は、被告における人事権の行使として行われたものと認められるところ、降格を含む人事権の行使は、基本的に使用者の経営上の裁量判断に属し、社会通念上著しく妥当性を欠き、権利の濫用と認められない限り違法とはならないと解されるが、使用者に委ねられた裁量判断を逸脱しているか否かを判断するに当たっては、使用者側における業務上・組織上の必要性の有無及びその程度、能力・適性の欠如等の労働者側における帰責性の有無及びその程度、労働者の受ける不利益の性質及びその程度、当該企業体における昇進・降格の運用等の事情を総合考慮すべきである。

 婦長と平看護婦は待遇面で役付手当5万円が付くか否かにしか違いがない上に、本件降格が予定表という重要書類の紛失を理由としていることなどに照らすと、被告が降格を行うとの判断をしたことは一応理解できなくはないけれども、一方、1)本件降格が実施された直後に原告が予定表を発見していることに照らすと、予定表の発見が遅れたことについて原告のみを責めることもできないこと、2)予定表の紛失は一過性のものであり、原告の管理職としての能力・適性を全く否定するものとは断じ難いこと、3)近時、被告において降格は全く行われておらず、また4)原告は婦長就任の含みで被告に採用された経緯が存すること、5)勤務表紛失によって被告に具体的な損害は全く発生していないこと等の事情も認められるのであって、以上の諸事情を総合考慮すると、本件においては、被告において、原告を婦長から平看護婦に二段階降格しなければならないほどの業務上の必要性があるとはいえず、結局、本件降格はその裁量判断を逸脱したものといわざるを得ない。

 なお、被告は他に、原告の、1)職場放棄、2)部下への差別、3)新入職員への退職勧奨やいじめ、4)給与に対する職員への挑発行為、5)肥満型の看護婦に対する「デブ」発言、6)原告が左翼故の他の看護婦の離職、7)婦長としての管理業務の懈怠、8)病院の改善を進言する看護婦の発言に対し聞く耳を持たないこと、9)永年勤続の主任看護婦に対する嫌がらせ発言、10)昼休みに患者にもらった金でカラオケに行っていること等の事実を主張し、これらについても本件降格の理由である旨主張しているけれども、右事実を認めるに足る格別な証拠もなく、被告自身も予定表の紛失が問題になる以前には、原告を降格する旨の具体的な話はなかった旨自認しているのであるから、原告の右主張は採用できない。以上のとおり、本件降格は無効・違法なものである。

2 民法628条但書に基づく損害賠償の当否

 民法628条は即時解雇について規定しているのであって、同条但書の規定する損害賠償請求を肯定するためには、即時解雇につきやむを得ない事由の存するほか、相手方に過失の存することを要し、また損害賠償における損害の範囲も、予告期間を置きえずに即時に解雇したことによる損害に限られるものと解される。本件においては、原告に、民法627条の予告解除の規定によらずして即時解雇を行わなければならない「やむを得ない事由」が存するとは認めることができず、また、原告に即時解雇故に生じた損害も認められないから、他に格別の主張立証のない本件においては、原告の右請求は理由がない。

3 不法行為に基づく損害賠償請求の当否

 民法624条は報酬後払いの原則を規定しており、賃金債権は現実の労務の給付ないし履行の提供によって発生するから、仮に使用者が違法な降格をしたことによって労務の受領を拒絶する意思を明確にした場合であっても、労働者は少なくとも労務の提供の準備はすることを要する。したがって、労働者が自らの意思によって辞職するなどして労務提供の可能性がなくなった場合には、賃金債権はそもそも発生しないから、仮に違法な降格解雇があったとしても、それによって賃金債券相当額の損害を被るということにはならないものと解される。

 本件においては、本件降格後、被告が、原告の婦長としての労務提供を受領拒否したのに対し、原告は、そのまま婦長としての労務提供ないしはその準備を継続することなく、自らの意思に基づき雇用契約を解約し、原告の被告に対する労務提供の可能性を喪失させているのであるから、右退職日以降の賃金相当額の逸失利益の賠償を求める原告の請求は理由がない。
 本件降格は違法であり、また被告には少なくとも過失が存すると認められるところ、本件降格によって原告が受けた精神的苦痛を慰謝するために相当な額は30万円を下らないと認める。また、弁護士費用は3万円を下らないと認める。
適用法規・条文
民法624条、627条、628条、709条
労働判例728号36頁
収録文献(出典)
その他特記事項
本件は控訴された。