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T電力会社塩山営業所思想・信条控訴事件(パワハラ)

事件の分類
職場でのいじめ・嫌がらせ
事件名
T電力会社塩山営業所思想・信条控訴事件(パワハラ)
事件番号
東京高裁 − 昭和56年(ネ)第1786号
当事者
控訴人 個人1名S 株式会社
被控訴人 個人1名
業種
サービス業
判決・決定
判決
判決決定年月日
1984年01月20日
判決決定区分
原判決破棄(控訴認容)
事件の概要
 控訴人(第1審被告)Sは、控訴人会社山梨支店塩山営業所の所長、被控訴人(第1審原告)は控訴人会社の従業員で、当時、控訴人Sの下で勤務していた女性である。

 昭和49年2月15日、控訴人Sは被控訴人と約1時間にわたって2人だけで話合いを行った(本件話合い)。その内容は、被控訴人は控訴人Sから共産党員であるか否かを尋ねられ、これを否定すると、共産党員でない旨を書面にして提出するよう再三求められたが、あくまでもこれを拒否したというものであった。

 被控訴人は同月18日、T電労組塩山分会の委員長に本件話合いの状況を伝え、同委員長及び弁護士が控訴人Sに抗議をし、謝罪文を要求したがあいまいな回答をした。控訴人Sが本件話合いを持ったのは、被控訴人を含めた共産党員若しくはその同調者が、塩山営業所の業務内容を赤旗に漏洩したと考えたこと、以前控訴人会社の従業員であったAが懲戒解雇された裁判において、控訴人会社の部外秘たる労務関係の書類等が提出されたことがあったこと(A事件)などによるものであった。

 結局控訴人Sは、同日、本件話合いについては、全面的に取り消して被控訴人に謝罪し、被控訴人もこれを一応了解する旨の回答をしたが、その後被控訴人は、本件話合いにおける控訴人Sの言動により精神的苦痛を蒙ったとして、控訴人ら各自に対し、慰藉料80万円を請求した。

 第1審では、本件話合いにおける控訴人Sの言動により、被控訴人の思想信条の自由が侵害され、これによって被控訴人は精神的苦痛を受けたとして、控訴人会社及び控訴人Sに対し、各10万円の慰藉料の支払いを命じたことから、控訴人らはこれを不服として控訴に及んだ。
主文
 原判決中控訴人らの敗訴の部分を取り消す。

 被控訴人の請求を棄却する。

 訴訟費用は第1、2審とも被控訴人の負担とする。
判決要旨
 本件話合いに際し、被控訴人主張の強要の事実、すなわち控訴人Sが被控訴人に対して恐怖心を生ぜしめるに足りる害悪を加える旨を通告し又は不法に有形力を用いて本件質問及び本件書面交付を要求した事実は、これを肯認するに足りる証拠がない。かえって、控訴人Sの供述によると、控訴人会社塩山営業所の内部事情で公開されるべきでないとされているものが秘かに外部に漏れて赤旗の昭和48年12月28日付紙上に報道され、同営業所内に物議を醸したことから、控訴人Sは右報道記事の取材源につき調査するに当たって、かねてから共産党員ないし同調者として噂の高かった被控訴人とNの両名を措いて他に取材源となる者はいないと見て取り、その嫌疑に基づいて、まずNを昭和49年1月25日に調べ、次いで同年2月15日に被控訴人につき事情聴取をすることとして本件話合いに及び、本件質問ないし本件書面交付の要求をするに至ったことが認められる。

本件質問ないし本件書面交付の要求についての控訴人Sの意図が前記のとおりである以上、当面の塩山営業所の所長の地位にある同控訴人が本件話合いの一方の当事者になること、勤務時間中応接室で余人を避けて事情聴取のための本件話合いが行われたことは、いずれもこれを異とするに足りないといわなければならない。思うに、日本共産党は天下の公党である。かつての非合法時代のいわゆる地下組織ならともかく、当世共産党員ないし同調者たるほどの者は矜持をもって公然と活動する風尚であるにもかかわらず、なお共産党員ないし同調者であることの公開を憚る向きがあること(公知の事実である)に徴し、本件質問ないし本件書面交付の要求のような事項につき事情聴取をしようとする限り、前判示のようないわば配役と道具立てをもって臨むことは、むしろ事宜を得た措置といわなければならない。

 本件質問は、共産党員であるか否かという政治的思想信条の表明を迫り、回答を強いるものであったと被控訴人は主張する。しかし、本件質問に関し、控訴人Sから「あなたは共産党員か」と尋ねられたのに対し、その然否を素直に表明することを潔しとせず、「そんなことは所長が疾うに知っていることでしょう」と切り返して矛先をかわし、そこで控訴人Sが「どうもあなたがそうらしいと人から言われるので1度聞いてみようかと思った」と言って質問しても、重ねて同様に切り返し、更に控訴人Sが「いや知らないんだ」と言って返答待ちをしていたので、つい不用意にも「そうではありません」と言って被控訴人が共産党員ではない旨、まるで不本意な返答してしまい、一瞬呆然、痛恨遣る方ない心理に陥ったことを認めることができ、被控訴人が共産党員ではない旨の返答は、被控訴人の任意に出た言わずもがなの発言であったというべきである。本件質問が被控訴人の政治的信条の表明を迫り、その返答を強いるものとはいえない。

 更に被控訴人は、本件書面交付による思想信条の表明の要求が約1時間に亘って繰り返し執拗を極め、脅迫ないし強要の域に達したと主張する。しかし、被控訴人が任意に本件話合いを打ち切って随時応接室から退出することを妨げるに足りる状況など特段の事情の認めるべきものがない限り、自己の自由な意思決定に従って、被控訴人は本件話合いに終始付き合い、約1時間これを続けたものとみるほかはない。

 控訴人Sは、本件書面交付について、再三話題を変えて説得に努め、本件書面交付の要求を穏やかに再三繰り返したが、被控訴人は共産党員でない旨不覚にも返答してしまったことで、痛恨を嘗めた一瞬を契機に反撃に転じ、控訴人Sが説得に努めるほどにますます闘志を燃やして反撥を強め、ときにはぐらかし、ときに茶化し、ときに皮肉を浴びせるなど自負と余裕をもって同控訴人の説得を終始あしらい、それでも同控訴人が懲りずに「そう思われてもいいの」と言いながら更に説得にかかるや、持前の気短さをそのままに、突如一変、大声で「いい加減にしてください」云々と一気に捲くし立てて右説得の出端を挫き、同控訴人をしてついに被控訴人の仮借なき応酬に返す言葉とてもはやないほどに辟易して本件書面の交付の要求を引っ込めるほかなきに至らしめ、かほど自己の反撃が功を奏する場面を目の当たりに見、溜飲が下がる思いで応接室から出て行ったことが認められる。

控訴人Sは、被控訴人に対して、被控訴人が本件書面を交付しようとしなければ、被控訴人はいよいよ噂のとおり共産党員であるという風に皆に「そう思われてもいいの」と言ってやんわり再考を促す場面も一再ならずあったことが認められるが、右のようにして本件書面交付につき穏やかに再考を促したことをもって、被控訴人に恐怖心を生じさせるに足りる害悪を告知したとはいえない。

 以上の認定事実によれば、本件話合いにおいて、控訴人Sと被控訴人との遣り取りないし応酬は、本件質問及び本件書面交付の要求を軸として互角に経過していたが、終盤に及んで被控訴人が控訴人Sを凌駕し、本件書面交付を頻りに求めて止まない同控訴人の目論見を挫折させて本件話合いを思い通りに終息させたこと、同控訴人の本件質問に対して被控訴人は共産党員ではない旨の返答をしているが、右返答は被控訴人が不用意に漏らした発言で任意に出たものであること、同控訴人の本件書面交付の要求行為に対して被控訴人は終始拒否をもって対応しているが、右対応は被控訴人が同控訴人の本件書面交付要求行為を悉くあしらい去った応酬の顛末にほかならないことが明らかであるから、控訴人Sは本件質問及び本件書面交付要求によって被控訴人に恐怖心を生ぜしめるに至らなかったというべきであり、また被控訴人は本件話合いを通して自己の意思決定の自由を完うしたといわなければならない。

 以上のとおりであるから、被控訴人の控訴人Sに対する請求は、その余の点につき判断するまでもなく、既に理由のないことが明らかであり、これを失当として棄却すべきである。そうすると、被控訴人の控訴人会社に対する請求もまた棄却を免れない。
適用法規・条文
憲法19条、民法1条の2、709条、715条、労働基準法3条
収録文献(出典)
労働判例424号14頁
その他特記事項
本件は上告された。