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Y学園旧姓使用事件

事件の分類
その他
事件名
Y学園旧姓使用事件
事件番号
平成27年(ワ)5802号
当事者
原告 個人1名
被告 学校法人
業種
教育、学習支援業
判決・決定
判決
判決決定年月日
2016年10月11日
判決決定区分
棄却
事件の概要
 Y学園(被告)は、日本大学第三高等学校・中学校(以下、「本件学校」とする。)を設置する学校法人であり、2015(平成27)年3月時点で2000人弱の生徒、82名の専任教諭(うち非常勤講師51名)等が在籍している。
 X(原告)は、東京都教育委員会から1999(平成11)年3月31日に中学校教諭1種免許状および高等学校教諭1種免許状の授与を受け、1999年4月から2003(平成15)年3月まで埼玉県の私立高等学校で教諭を務めたのち、同年4月から、Y学園の設置する本件学校の専任教諭として勤務し、2014(平成26)年度は学級担任を受け持ち、授業を担当していた。
 Xは2013(平成25)年7月に婚姻し、戸籍上の氏を夫の氏に変更した。Xは、本件学校の各教頭に対し、婚姻前の氏を通称として使用すること等を認めてほしい旨を申し入れたが、同年9月には本件学校の校長から、慣例に基づいて通称使用を認めるのは年度内までにすると告げられた。
Xはその後も数度にわたり通称使用を希望したが受け入れられず、2014年3月に労働組合の幹部を通じて本件学校の校長・副校長に打診したところ、当該校長・副校長は、通称使用を希望する理由および通称を使用する範囲について書いた願書を提出すれば再検討すると回答したため、同月14日、XはY学園に対し、戸籍上の氏を第三者に公表されることによって、家族の有無等の個人情報がみだりに他者に知られ、私生活が乱されるおそれがあること、社会的に認知されている氏名を通称として使用できないことによって、生徒および保護者を含めた学校関係者の信用や実績を損なうおそれがあること、研究者として一貫して用いている氏名を通称として使用できないことによって、著作者の同一性が失われること、出生とともに与えられた氏名は個人の尊厳と不可分であるので、戸籍上の氏を名乗らなくてはならないことに精神的な負担を感じることを理由に、法令に抵触するおそれがなく、職務遂行上支障がないと認められる書類等について、婚姻前の氏を通称として使用することを認めるよう願い出る願書を提出した。
 しかし、2014年3月22日、Y学園はXに対し、法令等に基づいた地位にある公人としての教職員の教育業務遂行には法に基づいた呼称の使用が妥当なものと思料することや上述の慣例等を理由として、同年4月1日以降は戸籍上の氏を使用することならびに改姓届を提出することを求める旨書面で回答示達したことから、Xは同月7日、改姓届を提出した。Xは同月8日には代理人らを通じ面談による話し合いの実施を文面で求めたが、Y学園は、その必要性はないと思料する旨回答した。
 Xは、Y学園により戸籍上の氏を使用することを強制されたと主張し、Y学園に対し、人格権に基づき、時間割表等においてXの氏名として婚姻前の氏名を使用することを求めるとともに、人格権侵害の不法行為又は労働契約法上の付随義務違反による損害賠償請求権に基づき、慰謝料等の支払いを求めて提訴した。
主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
判決要旨
 氏名は、社会的にみれば、個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが、同時に、その個人からみれば、人が個人として尊重される基礎であり、この個人の人格の象徴であって、人格権の一内容を構成するというべきものである。
 そして氏名が上記の識別特定機能、個人の人格の象徴等の性質を有することに照らせば、婚姻前の氏名を自ら使用することが、いかなる場面で、いかなる目的から、いかなる態様で妨害されたとしても法的な救済が一切与えられないとすることは相当ではなく、その意味で、氏名を自ら使用する利益は、民法709法に規定する法律上保護される利益であるというべきである。
 婚姻前の氏についても同様にそれを使用する利益が法律上保護される利益といえるか否かについて検討してみると、婚姻前の氏は、婚姻時まで個人を他人から識別し特定する機能を有し、個人として尊重される基礎、個人の人格の象徴となってきた氏名の一部であり、個人が婚姻前に築いた信用、評価、名誉感情等の基礎ともなるものであることに照らせば、その利益がおよそ法的保護に値せず、上記で見たように、いかなる場面においてもその使用の妨害に対して何らの法的救済が与えられないと解するのは相当ではない。
 したがって、通称として婚姻前の氏を使用する利益は、人格権の一内容になるか否かは措くとしても、少なくとも、上記の意味で、法律上保護される利益であるということができ、これを違法に侵害した場合には不法行為が成立し得ると解するのが相当である。ただし、通称として婚姻前の氏を使用する利益は、婚姻前の氏を基礎として築かれた信用、評価、名誉感情等を維持するという利益を有するが、婚姻により氏が変更されれば、婚姻前の氏を基礎として築かれた信用等にも影響が及ぶところ、そのような影響を受けずにこれらを維持する利益は、人格権の一内容となるとまではいうことはできない。
 婚姻によって氏を改めた場合には、新たな戸籍上の氏を有することとなるが、この戸籍上の氏は、変更後直ちにその名とあいまって個人の識別特定機能を有し、個人として尊重される基礎、人格の象徴となるものと解される。そして、個人の識別特定機能は、社会的な機能であるところ、戸籍上の氏は戸籍制度という公証制度に支えられているものであり、その点で、婚姻前の使用実績という事実関係を基礎とする婚姻前の氏に比して、より高い個人の識別特定機能を有しているというべきである。
 したがって、職場という集団が関わる場面において職員を識別し、特定するものとして戸籍上の氏の使用を求めることには合理性、必要性が認められる。
 また、婚姻後に通称として婚姻前の氏を使用する利益は、婚姻後に新たな戸籍上の氏を有することに照らせば、婚姻前に戸籍上の氏のみを自己を特定するものとして使用してきた期間における当該氏を使用する利益と比して、それと同程度に大きなものであるとはいえない。さらに近時は社会において、婚姻前の氏の使用が認められる範囲が広がる傾向にあるものの、2015年に発行された新聞記事による、既婚女性のうち7割以上が職場では主に戸籍上の氏を使用している旨のアンケート調査結果や、婚姻前の氏の使用が認められない国家資格もなお相当数存すること等から、いまだ婚姻前の氏による氏名が個人の名称として、戸籍上の氏名と同じように使用されることが社会において根付いているとまでは認められない。
 以上に照らせば、通称として婚姻前の氏を使用する利益は一般的には法律上保護される利益であるということができるが、本件のように職場が関わる場面において戸籍上の氏の使用を求めることは、その結果として婚姻前の氏を使用することができなくなるとしても、現時点でそれをもって違法な侵害と評価することはできない。したがって、本件におけるY学園の行為をもって不法行為と認めることはできず、Xの損害賠償請求は理由がない。
 Y学園による労働契約法上の付随義務違反の有無につき、教職は多数の生徒と接し、その教育等を行うものであるから教職員の個人の特定は重要であり、また、業務に当たり教職員を識別、特定して、管理することは必要であるため、Y学園において教職員の使用する氏について一定の行為を求める権限がないとは認められない。上記の通りY学園がXに戸籍上の氏の使用を求めたことに合理性、必要性があり、仮にY学園の戸籍上の氏の使用を求める行為が業務命令に該当するとしても、Xの不利益を考慮してもなお、上記の合理性、必要性をもって、当該業務命令の適法性を基礎付けるに足りる合理性、必要性が存するというべきであり、Y学園が労働契約法上の付随義務に違反したとは認められない。
適用法規・条文
民法709条
収録文献(出典)
労働判例1150号5頁
その他特記事項
本事件は控訴された。