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I交通バスガイド解雇事件

事件の分類
セクシュアル・ハラスメント
事件名
I交通バスガイド解雇事件
事件番号
松江地裁益田支部 − 昭和40年(ワ)第62号、松江地裁益田支部 − 昭和42年(ワ)第2号
当事者
原告個人2名A、B

被告I交通株式会社
業種
運輸・通信業
判決・決定
判決
判決決定年月日
1969年11月18日
判決決定区分
一部認容・一部棄却
事件の概要
 被告は旅客運送事業を営む株式会社であり、原告Aは昭和22年3月生まれの女子で、昭和40年2月に被告にガイドとして雇用された者であって、原告Bはその父親である。

 原告Aは、採用後1ヶ月の基礎教育を受け、営業所に配置されて間もない昭和40年4月18日、同じ従業員宿舎に居住するCに暴力をもって姦淫され、その結果懐妊するに至った。同年7月5日、営業所長Dは原告Aに対し、情交関係の事実は被告就業規則に規定する「素行不良又は不正行為であって著しく従業員としての体面を汚し、又は被告の名誉を損なった場合」に該当するとして、本来ならば懲戒解雇すべきであるが、原告Aの将来を考えて原告Aからの申し出による解約の形にしたい旨申し出、原告Aはこれに応じて被告会社に対して同日、雇用契約解約の意思表示をした。

 その後、原告Aは、本件雇用契約解約(退職)の意思表示は、事実上の懲戒解雇をDと通じて形式上雇用契約の解約としたものであるから、虚偽表示であること、仮に虚偽表示でないとしても、原告Aが退職の意思表示をした動機は、Cとの情交関係が懲戒解雇事由に当たると信じ、これを避けるため行ったものであるところ、被用者間の情交関係の如き私行上の問題が就業規則上の解雇事由となり得ないことは明らかであるから、退職の意思表示は法律行為の要素に錯誤があり無効であること、仮に無効でないとしても、Dは本件情交関係が懲戒事由にならないことを知りながら、これが懲戒事由になるものと原告Aを欺き、原告Aに退職の意思表示をさせたものであること、仮に退職の意思表示がDの詐欺によってなされたものでないとしても、Dはもし退職の意思表示をしない場合には原告Aは懲戒解雇処分を受け、社会的に種々不利益を被ることになると告げ、原告Aを畏怖させ、その結果原告Aに退職の意思表示をさせたものであるとして、雇用契約解約の取消しを求めた。また、原告Aは従業員のための宿舎にやむを得ず居住し、宿舎の変更を求めていたところCから強いて姦淫されたのであるから、被告には宿舎管理上の故意又は過失があること、被告従業員であるDらは、情交関係を理由に、退職しなければ懲戒解雇になると原告Aを畏怖させる等詐欺、強迫によって原告Aに退職の意思表示をさせたこと、原告AにCとの情交に関し詳細に陳述することを強制し、供述書に署名押印させた上これを公表したこと、原告Aが不行跡を行ったとの事実を公表して原告Aの名誉を侵害したことを主張し、これらによって原告Aは名誉を侵害され、多大な精神的苦痛を受けたとして被告に対し200万円の慰藉料を請求した。
 また、原告Aの父親である原告Bは、被告の被用者の職務執行の際の原告Aに対する行為により、その名誉を甚だしく毀損され、精神的苦痛を受けたとして、被告に対し100万円の慰藉料を請求した。
主文
1 原告Aが被告の従業員としての地位を有することを確認する。

2 被告は原告Aに対し金30万円及びこれに対する昭和43年4月7日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3 同原告のその余の請求及び原告Bの請求はいずれもこれを棄却する。
4 訴訟費用はこれを6分し、その1を原告Bの、その2を原告Aの、その3を被告の負担とする。
判決要旨
原告Aは、本件解約の意思表示は本質的に解雇であるべきものを、形式的に申し出による解約としたものであるから、かかる意思表示は相手と通じてなした虚偽表示であると主張するが、原告AとDとの間においては、その動機はともあれ、原告Aと被告との雇用契約を原告Aからの解約申し入れによって終了させることを期待していたことが明らかであるから、虚偽表示ということはできない。また、原告Aは、本件解約の意思表示は錯誤によるものと主張するが、解約の意思表示をするに際し、Dが一方的にCとの情交関係を取り上げて難詰、面罵した上、雇用契約の解約を迫り、一方原告Aは何ら弁解を行わず、羞恥と恐怖から退職届の作成に応じたことが認められ、解約の意思表示をした動機を被告に示したとの事実も認められないから、原告の主張は失当である。

 原告Aが雇用契約解約の意思表示をするに際し、数人の前でDから情交関係を難詰、罵倒され、驚愕の余り何らの弁明もできず、かつDによる退職届の要求がひどく強制的であったので反発もできないまま退職届に署名押印したことが認められる。当時原告Aは18歳の女子で、雇用契約解約の意思表示をしなければ解雇され、社会的に如何なる不利益を被るかわからないとDが原告Aを畏怖させた上、その影響のもとにこれを行わせようとしていたと推認するに十分であり、原告AとしてはDに従わなければ今後如何なる事態が起こるかも知れないと畏怖したことも明らかである。

被告の就業規則によれば、本件解約時には原告Aは3ヶ月間の試用期間を終了し2ヶ月間の見習い期間の地位にあり、試用期間が一般に被用者としての適格性を見る期間であるのに対し、見習い期間は職務に応じた適格性と見る期間ということができる。したがって、見習い期間中の原告Aが解雇されるべき事由としては、被告の就業規則に定められた解雇事由もしくはガイドとしての適格を欠く事由となるわけであるが、本件原告Aの行為はガイドとしての特有の職務上の適格性とは直接関係ないものであるから、それが就業規則の懲戒解雇事由に当たるか否かが検討されなければならない。被告の就業規則において懲戒解雇事由が具体的に列挙されているところ、唯一企業内の秩序破壊行為の例外として、「素行不良又は不正不義の行為をして著しく従業員としての体面を汚し又は会社の名誉を損なったとき」が定められている。本件アパートは被告が女子従業員のために賃借していたものではあるが、入居の義務はなく、Cは個人で賃借していたものであるから、仮に原告AがCと同棲し懐妊したとしてもそれは全く私行上のものであり、企業の運営とは何ら関係ないから、就業規則の懲戒解雇事由に該当するということはできない。

 原告Aの祖母がCによる姦淫につき強く抗議したので解雇してやったとDが語ったこと、原告Aの情交の相手方であるCに対する処分の仕方と著しい不均衡があるのみならず、営業所副所長は本件情交は合意によるものであるとの資料作成に努力し、原告Aの退職を合理化しようとしている点も認められ、結局Dの原告Aに対する退職の強要は、原告Aの祖母から受けた抗議に対する私怨から出たものといわざるを得ない。以上、原告Aには被告から解雇される正当な理由は何らないものというべく、原告Aから雇用契約解約の意思表示を強迫によって得たことはまさに違法であって、結局原告Aが被告に対してなした解約の意思表示は取り消し得べきものといわなければならない。

 

 被告の職員の人事管理を職務とするDが違法な強迫行為により原告Aを畏怖させ、その結果被告との雇用契約解約の意思表示をした事実が認められるから、Dは被告の被用者としてその業務を執行するに際し、原告Aをして強いて義務なきことを行わせ、もってその精神的自由を侵害したといわなければならない。営業所の運行管理者Eは、本件解約の意思表示の翌日原告Aを呼び出し、警察が調べれば現場検証もされる等と述べ、一方的に情交の情況を述べて原告Aの同意を得て供述書を作成しようとしたことが認められるが、人は一般に他から供述を強制されない自由があることはいうまでもないところであり、殊に男女の情交関係のように社会の良識上からもこれを公然と発表することを差し控えるべき事項にあっては特にかかる要請が強いものといわなければならない。したがって、本件における如く、男女関係を当事者の意に反して強いて発表させようとすることは、明らかに供述者の精神的自由を侵害した違法な行為と言うべきである。殊に本件においては、被告が原告Aに対して示した態度は、企業内の秩序維持のため当事者たる原告Aの意思を全面的に無視し、その結果甚だしくその人格を傷つけていることは明らかであり、この面からも社会的に強く非難されなければならず、その違法性は極めて高いものというべきである。

 以上、原告Aは、被告の被用者がその業務を執行するについて精神的自由を侵害されたということができる。原告Aは雇用契約の解約の意思表示をさせられてから深く懊悩し、退職の強制が長く心理的圧迫となって強い劣等感を植え付け、その後就職しても退職を強制された事実が暴露されることを恐れて一雇用先に長期間勤務することができない状態になっていたことが認められる。また、18歳で未婚の原告がその意に反して自らの情交関係の陳述をさせられた精神的打撃により殆ど錯乱状態にあったということができる。本件原告Aの職業、年齢、性別を総合すると、本件不法行為による損害については、金30万円をもって一応の慰藉がなされ得るものと認められる。
 原告Bは、原告Aの受けた不法行為によって原告B自身の名誉が傷つけられたと言うが、原告Aに対する不法行為が認められない限り、原告Bに対する不法行為もまた成立せず、原告Aに対する不法行為が認められる事実については、精神的自由の侵害はいわば内心の意思決定の自由に対する侵害であって、かかる事実が直ちに第三者たる父の名誉を侵害することにはならず、それにより原告Bの名誉が毀損されたと認めることはできない。
適用法規・条文
民法709条
収録文献(出典)
労働関係民事判例集20−6−1527
その他特記事項