判例データベース

宮城自動車販売会社覗き見事件

事件の分類
セクシュアル・ハラスメント
事件名
宮城自動車販売会社覗き見事件
事件番号
仙台地裁 − 平成11年(ワ)第528号
当事者
原告個人1名

被告自動車販売会社
業種
サービス業
判決・決定
判決
判決決定年月日
2001年03月26日
判決決定区分
一部認容・一部棄却(確定)
事件の概要
 被告は、自動車の販売等を目的とする会社であり、原告は昭和39年1月生まれで、平成2年3月、営業職社員として被告に雇用された女性である。

 平成10年1月4日午後、原告が女子トイレ内にある掃除道具置き場の扉を開けたところ、男性従業員Aがその中にしゃがみこんでいるのを発見した。原告がAに尋ねたところ、Aは「頼まれて女性がトイレで用を足している写真を撮っていた。関西の方の雑誌に送るといい金になる。でも今日は撮っていない。」と打ち明けた。なお、本事件以前において、掃除道具置き場から女子個室トイレが覗き見できる構造になっていたことに気づいて被告に注意を喚起した者はいなかった。

 本件は店長に報告され、店長から本社常務に報告されたが、直ちに原告から事情聴取したり、Aを呼び出したりすることはなかった。その日夜のミーティングの際、原告は本件について報告し、Aを呼んではっきりさせて欲しいと店長に申し出たが、店長は、それ程の緊急性があるとは思えなかったこと、当日まだ業務が残っていたことから、原告に対し口外することを禁止しただけで、何らの措置も取らなかった。

 店長は、同月6日Aから事情を聴取し、覗き見目的で掃除道具置き場に潜んでいたこと、写真を撮ろうとカメラを持っていたことを確認し、本社に報告した。同月8日、被告常務、部長からの事情聴取が行われ、原告はAの言動について説明したところ、常務らは会社に任せるように述べて原告に口止めをしたが、翌9日、常務は「警察に届けるかどうかは原告の意思で決めるように」と言ったことから、原告は12日、警察署に被害届を提出した。その後原告は警察から、「A宅を家宅捜索したが何も見つからなかった。」旨連絡を受け、トイレで用を足しているところをAに覗き見されたのではないかとの不安や、被告の対応への不満もあって、2月末で会社を辞めようと考えている旨店長に述べた。

 原告は、2月下旬以降、店長に対し出退勤の挨拶を行わなかったり、お茶を出さなかったり、仕事以外には口を開かなかったり、店長から仕事の指示をされたときに嫌な顔をしたり、睨みつけたりするなど反抗的な態度をとるようになり、このようなことから、職場秩序が乱れ、営業面でも支障を来すようになった。被告人事部長は原告に勤務態度を改めてもらい、勤務を継続してもらおうと考えて話し合いを持とうとしたが、勤務態度を改めさせることもできず、原告に退職してもらうしかないと考えるに至った。そして同年4月27日、同部長は原告に対し、強い口調で、「来月一杯で辞めていただきたい。男性なら転勤という方法もあるが、女性なので辞めていただくことにする。反省するならいても良いが、当然ボーナスの査定も下がる。」などと通告した。
 最後の出勤日である同年5月31日に、店長は原告に対し、改めて退職を確認し、退職願を書くように要求したところ、原告は依願退職ではないから書けないと拒絶したが、翌6月1日に店長から、離職票や退職金を出すため辞表を書くように要求され、原告は結局同月5日に退職願を提出した。原告は代理人を通じて、同年11月10日、被告に対し精神的損害に対する損害賠償を打診したが、被告がこれに応じなかったため、原告は本件を提訴し、被告との間に雇用契約上の地位を有することを確認すること、慰謝料1000万円、11ヶ月分の賃金347万4218円、弁護士費用237万円の支払いを請求した。
主文
1 被告は、原告に対し、金350万円及び内金320万円に対する平成10年5月31日から、内金30万円に対する平成11年6月4日から各支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2 原告のその余の請求を棄却する。

3 訴訟費用は6分し、その5を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
4 この判決は、第1項に限り仮に執行することができる。
判決要旨
1 本件侵入事件に関する被告の職場環境整備義務違反の有無 

 事業主は、従業員に対し、雇用契約上の附随義務として、良好な職場環境の下で労務に従事できるよう施設を整備すべき義務を負っていると解すべきである。本件女子トイレの構造は、その中に掃除道具置場があり、女性のみならず、場合によっては男性も本件女子トイレの中に入っていく機会を作り出していたことが認められる上,本件女子トイレ内の掃除道具置場と個室トイレとの間には,板1枚の仕切りしか設けられておらず,しかも隙間があって掃除用具置場から個室トイレ内を見通すことができる構造になっていたのであるから,本件女子トイレの構造に欠陥があり、その設置保存に瑕疵が存在していたことは否定できないものである。しかしながら、他方で、このトイレに対し、女子従業員や女性客を含め、その構造に気づき、注意を喚起した者がいなかったことから見れば、被告が本件女子トイレの設置保存に瑕疵が存在したことについて認識できる機会はなかったというべきであり、瑕疵の存在を予見することもできなかったというべきである。その意味で、本件では、まさに本件侵入事件が発覚して初めて被告の女子トイレの構造上の問題点が明らかになったというべきであり、これをもって、被告に職場環境整備義務違反があったということはできない。

2 本件侵入後における被告の適切な対応の有無

 事業主は、雇用契約上、従業員に対し、労務の提供に関して良好な職場環境の維持確保に配慮すべき義務を負い、職場においてセクシャル・ハラスメントなどの事件が発生した場合、誠実かつ適切な事後措置をとり、その事案に係る事実関係を迅速・正確に調査すること及び事案に誠実かつ適正に対処する義務を負っているというべきである。本件は、直接的なセクシャル・ハラスメントの被害が顕在化したとまではいえないにしても。原告が覗き見目的で潜んでいたAを発見しなければ、その後原告を始めとする女子従業員のプライバシーが侵害されることになったばかりでなく、Aが過去に同種の行為を反復継続していた可能性もあったのであるから、職場環境を侵害する事案として、被告には誠実かつ適正に対処する義務があったというべきである。被告店長は、本件について報告を受け、ミーティングの際原告から訴えを受けていたのであるから、被告としては当日のうちにAから事情を聴取し、その上で、被害回復、再発防止のための適切な対処をする義務が存在していたというべきである。しかるに、店長は、当日仕事が残っていたこと、緊急性のある事件ではないと判断したことなどから、Aからの事情聴取を6日に延ばし、原告に対して口止めして業務を続けたのであり、被告は本件に対する初期の適正迅速な事実調査義務を怠ったというべきである。

 また、被告としてはAからの事情聴取の際、写真を撮ったかどうか、ネガを所持しているかどうか、撮影を依頼した人物がいるのかどうか、発言を変遷させるに至った理由は何か、などの点を原告の言い分に照らして具体的に事情を聴取すべきであったというべきである。しかるに、被告はこれらの事情を聴取することもなく、また原告とAの言い分が異なっているにもかかわらず、漫然とAの言い分を聞くだけで、これが真実かどうか確認する努力もしなかったのであるから、被告に誠実かつ適正な事実調査義務を怠った過失が存在するというべきである。更に、被告は原告に対し警察や社外に口外しないよう指示したのであるから、被告自らが事実調査を行う義務を負ったと自認していることは明らかというべきであるのに、Aの言い分と原告の言い分のどちらが正しいかの事実を確認することもなく、漫然とAの言い分を真実と受け止めるような態度をとったことは、事案に適正に対処する義務を怠ったものといわざるを得ない。

3 原告の雇用契約上の地位の有無と解雇の正当性、賃金請求権

 原告は3月以降も勤務を継続したものの、店長に反抗的な態度を示し、そのため職場秩序が保たれなくなっていることに加え、営業上も支障を来すに至るなど支店の経営全体に支障を来すようになっていたのであるから、被告としては原告の勤務態度に関し何らかの対応が必要となっていたというべきである。そして被告社長が原告と話しをする機会を持とうとしたり、人事部長が原告の勤務態度を改めるように求めたりしたのも、原告に勤務態度を改めてもらうことを期待してのものであったということができ、それにもかかわらず、結局原告の勤務態度が改まらなかったことから、人事部長が4月27日の発言をするに至ったものと認められ、この発言が解雇通告とも受け取られるような強い発言であったことは認められるものの、原告の勤務態度如何によっては勤務できる余地を残した発言であったのであるから、これを解雇通告と捉えることはできないというべきである。そして、この一連の経過に鑑みれば、人事部長の発言は、原告に対し、退職することを強く求める労働契約の合意解約の申し込みに当たるというべきである。そして、原告は5月31日をもって勤務を終了したのであり、この勤務終了をもって被告の労働契約の合意解約の申し入れに対する原告の承諾がなされたものと捉えるのが相当である。

 原告は、6月5日、退職願を提出し、退職金を受領していること、被告から「依願退職による」とする離職票の交付を受け、これを公共職業安定所に提出して雇用保険の給付の申請を行っていること、その後原告は本件支店を何度か訪れているが、働きたいとか未だ労働契約上の地位を有すると発言したことはなかったこと、原告が被告の従業員たる地位を有すると主張したのは退職から1年近く経過した本訴においてが初めてであり、仮処分の申立てなどの手段もとっていないことなどの諸事情を考慮すれば、原告は被告を任意退職したとの認識を有していたものというべきであり、原告が被告に対し不当解雇を理由に慰謝料を求めることもできない。

 本件侵入事件に対する被告の対応に問題があったことは確かであり、Aに用を足している姿を見られたかもしれないことに強い不安感を抱き、精神的苦痛を覚える原告が、結局警察の捜査をもってしても写真等が発見されなかったことに不満を覚え、初期の対応を怠った店長に対しその不満を向ける気持ちを持ったことはやむを得ない面があるとはいえ、いつまでも店長に対し、反抗的な態度をとり続けたことは相当でないといわざるを得ず、3月以降、原告と店長との折り合いの悪さが顕在化し、被告支店の経営にも支障を来たしつつあったことを考慮すれば、人事部長の発言が不当であるとまではいうことは出来ないというべきである。また、一般的に事業主に解雇・退職回避義務が存することは首肯できるが、これはセクシャル・ハラスメント等があった場合に事業主に要求される配慮であるところ、これが会社の対応に不満を持った者がいつまでもその不満を顕在化させるのを放置することまで許容したのではないことは明らかであって、被告の対応に解雇・退職回避義務の違反はないというべきである。したがって、原告は被告を任意退職したものと認められ、原告は被告に対する雇用契約上の地位を有しないことから、雇用契約上の地位に基づく賃金請求権は認められない。

4 損害額
 原告の被告に対する請求のうち許容できるのは、本件侵入事件に対する被告の不適切な対応(職場環境配慮義務)による精神的苦痛に対する損害賠償請求であるところ、原告が被告に対し、本件侵入事件に対する適正かつ迅速な対応を求めたにもかかわらず、店長らは事件当日にAから事情を聞くのを怠った上、その後のAの言い分を安易に事実と受け止め、それ以上の対応を怠ったものであり、これら被告に不適切な対応が重なって原告が精神的苦痛を覚え、ひいては被告を退職するに至ったものというべきであり、原告の退職が任意退職であるとしても、被告に8年余り勤務し安定した給与を得ていた原告の無念さは察して余りあるというべきである。したがって、このような事情を斟酌すると、原告の慰謝料としては320万円が相当であり、これと相当因果関係を有する弁護士費用相当の損害額は30万円と認めるのが相当である。
適用法規・条文
民法709条
収録文献(出典)
労働判例808号13頁
その他特記事項