判例データベース
国立大学元大学院生事件
- 事件の分類
- セクシュアル・ハラスメント
- 事件名
- 国立大学元大学院生事件
- 事件番号
- 大阪地裁 − 平成12年(ワ)第5713号
- 当事者
- 原告個人1名
被告個人1名A、国 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2002年04月12日
- 判決決定区分
- 一部認容・一部棄却
- 事件の概要
- 原告は昭和45年9月生まれで、平成9年4月、M大学大学院博士後期課程言語社会専攻に入学した。被告AはM大学の教授であり、原告の主指導教官であった。
平成9年6月7日、被告Aは食事会の席で、原告や10人程度の研究者を前にして、原告は結婚相手を募集中であり、いい人がいれば紹介してやって欲しい旨発言し、その場にいた独身男性を指して「彼などはどうだ。」と聞き、同男性に対しても「彼女と交際してみたら。」などと発言した。またB教授について、「彼は若く見えるが40歳過ぎて妻子持ちで、ナンパ行為を研究室でしたから気をつけなさい。」と発言した。
被告Aは通勤のための車に原告を同乗させ、平成9年5月頃から10年6月頃までの間、車内において原告に対し、「結婚についてどう考えているのか。」「今付き合っている男性はいるのか。」「一流の学者を結婚相手として考えなさい。」「学生が先生に逆らうと将来がないんだぞ」などと発言したことから、原告は苦痛になり、同乗を断った。こうした原告の態度に対し、被告Aは「女性はかわいらしくしておくべきだ」「結婚のことで悩んでいるんだろう」などとの発言を繰り返した。
原告は、被告Aから十分な指導を受けられないことから、平成10年9、10月に被告Aと研究の進め方等について話し合ったところ、被告Aは「指導はしない。指導が必要なら他に先生を探しなさい。その代わり、博士論文を書いたら、それは自分の下で書いたことにする。」「君は結婚のことで苦しんでいるのに、自分が指導しないことが苦しみの原因だと錯覚している。精神科にかかって本当の自分を理解してきなさい。」などと発言したため、M大学を退学し、H大学大学院を受験することとした。すると、被告AはH大学の助教授に、原告がM大学を退学せずに受験することは問題がある旨伝えた。原告はM大学を退学しH大学を受験したが不合格となったことから、被告Aの性差別的発言や、研究指導を行わなかったこと、H大学大学院受験を妨害したこと等を記載した「申立書」を学科教授に交付し、退学願取下げ及び指導教官変更要請の書面をM大学に提出した。M大学ではこれを了承し、原告の主指導教官を被告Aから他の教授に変更した。また、M大学学長は、平成11年6月23日、原告申立ての事実関係調査を行うための調査委員会を設置し、同年7月にはセクハラ防止のための大綱、11月にはセクハラ防止及び対策に関するガイドラインを制定した。
原告は、被告Aから上記のような性的言動を受け、他の教官に対し性的悪評を流されたこと、被告Aは原告がH大学大学院を受験しようとしていることを知ると、虚偽の事実を伝えて受験前の退学を強要したり、原告の「受験許可願・退学願」への署名・押印を拒否して引き延ばすなど、受験機会を与えないとの姿勢を示し、受験後には原告がM大学に残る道を閉ざそうととするなどの嫌がらせを行ったことを主張し、これらの行為は不法行為に当たるとして、被告Aに対しては不法行為に基づき、被告国に対しては良好な環境の中で教育を受け、研究する権利を保障する義務があるのにこれを怠ったとして国家賠償法に基づき、損害賠償770万円を連帯して支払うよう請求した。 - 主文
- 1 被告国は、原告に対し、110万円及びこれに対する平成12年6月13日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告の被告国に対するその余の請求及び被告Aに対する請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は、原告に生じた費用の14分の1と被告国に生じた費用の7分の1を被告国の負担とし、原告及び被告国に生じたその余の費用と被告Aに生じた費用を原告の負担とする。
4 この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。 - 判決要旨
- 1 被告Aの行為の有無及び同行為に基づく被告国の責任の有無
当時、被告Aは、M大学における唯一の博士課程主指導教官として、原告に対し、学位を授与するか否かという重要な判断を行う権限を持っていた上、院生の研究や生活に対し、事実上大きな影響力を持つ立場にあったところ、原告は、被告Aに十分な指導を行うよう求めたのに対し、被告Aは自らの指導不熱心を棚に上げ、原告の悩みは女性特有の悩みであるから精神科へ行くようにという差別的発言をしたため、原告は、被告Aの下で研究を続けることはできないと考えるに至り、M大学を退学し、他大学へ研究の場を移す決意をせざるを得なかったことが認められる。そして、被告Aは、原告がH大学大学院を受験することが分かるや、同大学の教授らに対し、殊更原告がスキャンダルを起こしたという虚偽の性的悪評を知らせたこと、更に被告Aは、原告に対し、学則上の手続きを履践するよう求める一方、原告の「受験許可願・退学願」に押印せず、学務委員会の決定があるまでは押印できないと虚偽の事実を伝えたりしたこと等を総合すれば、被告Aには、原告のH大学大学院受験を妨害する意図があったことが推認される。その上、被告Aは、原告が不倫しているかのような内容の書面を交付する等して、原告に関する虚偽の性的悪評を伝えている。被告Aの以上の行為は、原告が有する良好な環境で研究を行う法的利益や、原告の名誉・信用等を侵害するものであって、不法行為に該当し、国立大学大学院における院生に対する研究指導という公権力の行使に当たる同人が職務を行うについてなしたものというべきである。したがって、被告国は、国家賠償法1条1項により、被告Aの行為により原告が被った損害について賠償する責任がある。
なお、原告は、平成10年9月以前の被告Aの言動についても、セクシャル・ハラスメントとして不法行為を構成すると主張する。確かに、被告Aの一連の言動は、相手の立場や状況等をわきまえない、大学教員としての思慮分別を欠いた行為とのそしりは免れず、これにより原告に不快感を与えたことは否定できないが、他方、同言動は原告に対する悪意から出たものとは認め難いのみならず、言動の内容、態様、原告に与えた不快感の程度等をも総合して勘案すると、未だ社会通念上損害賠償を認めなければならないほどの違法性があるとは認められず、不法行為を構成するとはいえない。
2 被告Aの不法行為責任
公権力の行使に当たる国の公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を与えた場合には、国がその被害者に対して賠償の責に任ずるのであって、公務員個人はその責を負わないと解される。したがって、被告Aはその責を負わない。
3 被告国の債務不履行責任について
国は、私人に対し、一般不法行為法上、当該私人の生命・身体・財産等の法益を保護すべき義務を負担する外、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対し、信義則上の安全配慮義務を負う場合があると解される。国立大学と院生との在学関係は、学長の入学許可という行政処分により発生する法律関係であるところ、被告国は、同法律関係に基づき、信義則上、教育ないし研究から生じ得べき危険から、学生ないし院生の生命及び健康等を保護するよう配慮すべき義務を負うものと解される。しかしながら、被告国に原告の主張する注意義務違反があったからといって、それにより原告の生命及び健康等が害されたというものではないから、同注意義務違反をもって直ちに被告国の安全配慮義務違反があったものとすることはできないというべきである。
仮にそうでないとしても、M大学は、平成11年3月18日付けの原告の「申立書」を受け、同月末日までには原告の在籍と奨学金の継続受給が可能になったこと、同月27日付けで原告から提出された主指導教官変更希望に対し、M大学は最終的には同年7月15日に変更する決定をしたことから、原告が受けた不利益は比較的早期に回復されたというべきである。また、学長は、原告から初めて申立てがあった平成11年3月18日以降3ヶ月弱の間に、私的諮問委員会や本件調査委員会を設置して、原告の申立てに対応していたことが認められる。そして本件調査委員会は、原告、被告A双方に対し、文書による事情聴取を行い、資料開示して公平を図っていること、調査結果では、原告が主張する被告Aの言動や受験妨害を認めてはいないが、被告Aのセクシャル・ハラスメントに対する意識の低さを指摘し、それに基づき学長が被告Aに厳重注意を行っており、学長らの行為が義務違反に当たるとはいえないから、被告国は学長らを履行補助者とする債務不履行責任を負わない。
4 損害額
原告は、被告Aが十分な研究指導をせず、また、原告が女性であることに基づく侮辱的発言により被告Aの下での研究を断念せざるを得なくなった上、新たな研究活動の場を求めて他大学の大学院を受験しようとしたにもかかわらず、被告Aから受験妨害の意図で合理的理由もなく退学手続きを強要されたり、受験先の教官や原告の恩師に対し、虚偽の性的悪評を流布されたりし、更に、被告Aの行為について救済を求めたところ、自己の立場を弁護しようとした被告Aにより、更に性的悪評を広められたのであって、これら一連の被告Aの行為は悪質というべきである。以上の諸事情に鑑みると、原告に生じた精神的苦痛に対する慰謝料は100万円及び弁護士費用として10万円と認めるのが相当である。 - 適用法規・条文
- 国家賠償法1条1項
- 収録文献(出典)
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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