判例データベース

A社配転拒否懲戒解雇事件

事件の分類
配置転換
事件名
A社配転拒否懲戒解雇事件
事件番号
東京地裁 - 昭和43年(ワ)第15128号
当事者
原告 個人1名
被告 株式会社
業種
製造業
判決・決定
判決
判決決定年月日
1973年03月31日
判決決定区分
棄却
事件の概要
 被告は、油脂関連製品等の製造・販売を行う会社であり、本社のほか5つの工場等の事業所を設けている。一方原告は、昭和32年4月に被告に入社して研究所において研究補助業務を行っていたが、昭和39年5月に本社食品課の設置に伴って同課勤務になった。

 被告は、昭和39年5月以降事業部制を採用し、食品販売部門の業績が拡大したことから、販売活動を地方へと進展させ、昭和42年4月の定期異動で原告を福岡出張所に転勤させることとして、同年2月初めに原告にその旨告げたところ、原告は、(1)妻と2人で働いており、親へも生活補助していること、(2)妻が妊娠中で6月出産の予定であること、(3)妻の両親が老齢であり、妻は1人っ子であることから、本件転勤命令に応じれば家庭生活が破壊されることを挙げて被告に再考を要請した。被告はこれを受けて、関西事業所の社員を福岡に転勤させ、原告をその後任として関西へ転勤させるよう変更し、同年4月1日付けで原告に対し関西食品課への転勤命令を行った。

 これに対し原告は、昭和41年5月の結婚以来共稼ぎを続けてきたところ、妻が妊娠中であり、妻の両親が老齢のため、近くに住んで面倒をみてきたこと、妻が勤務を辞めて転勤に同行しても、勤務を続けて二重生活をしても、原告の生活は根底から破壊される実情にあること、原告は組合の青年婦人部長、執行委員を務めたことから、本件転勤命令は左翼分子を排除するためのものであることを主張して、本件転勤命令を拒否した。そこで被告は、就業規則違反を理由として、原告を同年4月13日付けで懲戒解雇処分にしたため、原告は本件解雇の無効による雇用契約上の地位の確認と賃金の支払いを求めた。
主文
原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。
判決要旨
 原告の妻A子は、分娩が昭和42年6月に予定されていたが、転勤予定の同年4月当時において妊娠による健康状態につき特に懸念されることはなかったと認められるから、A子の妊娠が原告の本件転勤を妨げるに足りる事由には当たらないというべきである。原告には母がいるが原告の兄弟が母と同居していること、原告は母あてに月4000円を仕送っていたこと、A子の両親は健在で経済的援助を必要とすることはなかったものの、原告に倣って月4000円の仕送りをしていたことが認められるが、このような事情の下においては、原告らがその親たちに反対されたからといって本件転勤命令に応じないことは到底首肯しがたいものといわなければならない。

 

 同じ定期人事異動により、原告と条件のほとんど変わらない者が東京から福岡へ転出しているが、このような人事異動は被告の雇用体制上必要不可欠の人事交流として定期的に運用されており、被告の労働組合もこれに協力していることを認めることができる。しかも、A子は結婚後においても、年老いた両親と一人っ子の絆にほだされて新居を近所に求め、原告の社宅入居の機会を見送り、賃料及び間取りなどの条件で到底社宅に及ばない6畳1間の間借り生活に甘んじていることが認められ、その上A子は将来とも長きにわたって勤め続けようとしている。世上配偶者の職業上の理由又は同居の親族の看護・教育上の必要などにより余儀なく単身で転勤する事例がままあることでもあるから、原告は本件転勤問題に対処するにあたって、さしあたり、巷間の事例に倣いA子にその勤続12年に及ぶ勤務を従前通り継続させることとし、自らは単身で大阪へ転勤するほかない事情にあったということができる。まさに原告のいう生活の実態は、被告との雇用関係を維持する限り、このように対処し選択することを原告に促すのではなかろうか。ともあれ、以上のような認定事情の下において、原告が夫婦共稼ぎをしていて妻が転勤できないからといって本件転勤命令に従わないことは相当でないというべきである。

 被告は専ら企業防衛の見地から、日本共産党、日本民主青年同盟への警戒心を旺盛にしていることを認めることができるが、原告が日共ないし民青的分子であるかどうかについて見極めるだけの証拠は見当たらないし、かりにそうだとしても、その故をもって本件転勤を原告に命じたことを肯認するに足りる証拠は更にない。原告は入社後、組合の青年婦人部長、執行委員を務めて、積極的に組合活動に従事し、販売会議に際してすら組合的要求を持ち出したりしたことが認められるが、被告は従業員の勤務成績の考課に際しては、常に原告の快活・温厚・勤勉さを正当に評価し、原告の組合活動の故をもってことさらに給与等を異にするような処遇は絶えてしなかったし、原告が昭和39年に組合の執行委員を降りて以降は目立った組合活動の場もなく経過していたのであるから、本件転勤命令が左翼分子排除のためであるとする原告の主張は理由がない。

 原告は、A子が会社を退職して原告の大阪転勤に随伴するか、勤務を継続して夫婦別居状態で原告が単身で大阪に赴任するかについては、本件転勤問題に強気で臨んでいるA子の昂然たる意気込みに触発されてか、その選択肢などもとより念頭になく、当初の福岡転勤の内示から約1ヶ月経った同年3月2日の大阪転勤の内示以来、ますますその態度を硬直にしていき、ついに「共稼ぎの夫婦が別居しなければならないような転勤は納得できない。転勤はしない。」との高姿勢に転じて転勤そのものを拒否し、さらに労働組合がその交渉を無条件で委任することを求めたが、この好意的申し出も斥け、やみくもに本件転勤命令には応じないとの戦う姿勢に終始したことが認められるが、これでは、あくまで原告の責任において決定し選択すべきことがらについてその順逆を倒錯するものと誹議されてもやむを得ない。

 以上にみたとおり、本件懲戒解雇は、原告の本件転勤命令拒否行為の情状に照らしてその裁量に過誤があるとはいえないし、懲戒手続きの上でも間然すべき所はないと解すべきであるから、原被告間の雇用関係は本件懲戒解雇により昭和42年4月13日をもって終了した。
適用法規・条文
なし
収録文献(出典)
労働判例176号59頁
その他特記事項