判例データベース
裁判所職員頸肩腕症候群事件
- 事件の分類
- 職業性疾病
- 事件名
- 裁判所職員頸肩腕症候群事件
- 事件番号
- 大阪地裁 − 昭和49年(ワ)第2784号
- 当事者
- 原告個人1名
被告国 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 1980年04月28日
- 判決決定区分
- 一部認容・一部棄却
- 事件の概要
- 原告は、昭和35年8月大阪地方裁判所雇として採用され、昭和39年7月に裁判所事務官に昇任した女性であり、昭和43年4月に統計係に配転されるまで、主に記録運搬業務及び記帳業務に従事していた。
原告は、昭和42年2月月中旬頃右前腕に急に鋭い痛みが走り、肘を曲げることができず、書字が困難になり、肩がひどく凝り始めた。そこで同月28日受診したところ、右上肢神経炎と診断され、今後1ヶ月間は重量物運搬や手を持続的に使用する業務を禁じられた。その後原告は通院し、投薬治療を受けたが、同年3月中頃から手のしびれがひどくなり、腕や首を回すことも、箸で豆を掴むこともできず、食欲もなくなったことから、約1ヶ月間勤務を休んで温泉治療を行った。原告は同年5月8日から再び出勤したが、その後寒さが厳しくなると、手の震え、右頸部、肩背の突っ張りや凝り、右下肢の疼痛、感覚鈍麻の症状が出て、就寝中こむら返りを起こし、右坐骨神経炎の症状が現れ、これらの症状は同年12月から昭和43年1月にかけて悪化した。
原告は同年4月に統計係に配転となったが、全体として急速な回復はみられず、肋間神経痛と診断され、更に「脊柱側溝、頚腕症候群、右上肢神経炎、要治療継続」と診断された。原告は昭和44年11月の健康診断の結果では回復がみられ、昭和48年3月には一部症状は残るものの残業もやれるようになり、昭和51,2年頃には頸部、肩背の凝り、腕のだるさもほぼ解消した。
原告は、頚肩腕症候群等の疾病は、公務に起因して発生したものであると主張し、被告国に対し、治療費、慰謝料等559万6008円の支払いを請求した。 - 主文
- 被告は原告に対し金64万8000円及びこれに対する昭和49年6月28日から支払ずみまで年5分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを5分し、その1を被告の負担とし、その余は原告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 原告の記録係における業務内容及び業務量
原告が従事した昭和38年7月から昭和43年4月までの記録運搬は、当時の庁舎にエレベーターがなく多数の階段を歩いて昇ったこと、運搬記録の重量にばらつきがあること、H分室を除く各室へは記録を前抱えに持つ方法で運搬したこと、H分室へは重いときには約15キログラムを超えるものを運搬していたことからすると、女子職員にとって腰部、頸肩腕部に相当な負担を与える作業であったことが推認される。点検係のYは、原告が担当していた時期が量的に一番多忙であり、長期的に見ても最も多忙だった人たちの部類に属している旨述べているが、原告の業務内容、業務量、既済件数並びに上訴件数の変化、点検係の補助業務の縮小等の諸事情を考慮すると、十分信用できるものというべきである。そうすると、原告の記帳作業だけでもほぼ女子職員1名分の事務量に近く、昭和41年以降昭和42年3月頃までの業務量は記帳作業の女子職員の業務量より相当程度超過していたものであり、昭和40年の業務量は右時期より更に超過していたと認めるのが相当である。
2 頸肩腕症候群の発症
原告の昭和42年2月以降の症状は、一部を除いて頚肩腕症候群の労災認定基準を定めた基発第59号通達の定義の症状にほぼ合致していることが認められ、更に原告には他の原因疾患が存在しないことから判断すると、原告の同症状は、同年9月ないし10月から現れた右下肢のだるさ、足のつり、右下肢の疼痛、感覚鈍麻、右坐骨神経炎を除いて、頚肩腕症候群であることは明らかであり、昭和39年5月から昭和40年2月までの肩痛症は頸肩腕症候群の前駆症状の現われであって、昭和42年2月に至って本格的に発症したことが認められる。
3 原告の頸肩腕症候群と業務との因果関係
裁判所職員の頸肩腕症候群の公務上外の認定に関しては、その業務の画一性、斉一性、迅速性を確保するために「手指作業に従事する職員の手指作業に基づく疾病に関する公務上の災害の認定基準について」と題する最高裁事務総局人事局長通達が出されており、公務災害に基づく損害賠償請求訴訟における業務と疾病との因果関係の存否を判断する上において右通達のみに拘束されるものではないけれども、本件損害賠償請求訴訟においては、これらの通達を参照にしつつ、原告の従事した業務内容、業務量、業務従事期間、作業環境、当該公務員の肉体的条件、疾病の発生・症状の推移と業務との相関関係、原告に症状を発生させる他の原因の有無などを総合して判断し、当該疾病の発生が医学的常識に照らし業務に起因して生じたものと納得することができれば足りるものと解するのが相当である。原告の記録係における作業は全体として、通達の作業態様の要件を満たしているというべきであり、原告が同種の女子職員の業務量より相当程度超過し昭和40年から発症まで2年2ヶ月間従事しており、原告の記録係における作業が通達の作業従事期間、業務量の各要件を満たしていることは明らかである。
原告は昭和39年5月から昭和40年2月まで肩痛症という頚肩腕症候群の前駆症状が現れ、昭和42年2月になって急激にその症状が出て、同年3月にH分室への記録運搬が免除されたにもかかわらず症状が悪化し、約1ヶ月間業務を免除されて療養した結果症状が急速に回復したこと、記録係に復帰して記帳作業に従事するようになってから、同年秋から冬にかけて初診時の症状の外右坐骨神経炎等の症状が現れたこと、昭和43年4月に統計係に配転してからも急速な回復がみられず、肋間神経痛の症状が現れ、その後緩やかに回復し、昭和48年3月には一部症状が残っているものの、残業もやれるような状態にまで回復したことが明らかである。
労働基準監督署の業務上外の認定実務において、「個々の症例に応じて適切な治療を行なえば、概ね3ヶ月程度でその症状は消退するものと考える」といわれており、適切な治療とは、作業上の配慮、生活指導、精神衛生面よりの助言・指導などを含むものであり、原告に対する作業上の配慮は十分でなかった。以上において認定した原告の記録係における業務内容、業務量、業務従事期間、原告の既往症と症状の経過、原告には頚肩腕症候群に影響を与えるほどの素因は存しなく、他に原因もなかったこと、基発第59号通達の認定基準では原告の頚肩腕症候群と記録係における業務との間に因果関係が存する場合に該当することなどの諸事実等を総合して判断すると、右下肢の症状を除く原告の頚肩腕症候群の発症とその後の症状の継続は、医学的常識に照らし原告の記録係における業務に起因して生じたものと納得することができるものであり、したがって右両者の間には因果関係が存するというべきである。
4 被告の責任
国は、国家公務員に対し、国が公務遂行のために設置すべき場所、施設等の設置管理又は公務員が国若しくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理に当たって、公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負っているものと解すべきであり、右の安全配慮義務の具体的内容は、当該公務員の職種、地位及び安全配慮義務が問題となる当該具体的状況等の諸般の事情を総合考慮して決定されるものというべきである。
これを本件についてみるに、昭和39年5月から特に既済件数が増加し、昭和40年に入って既済件数及び上訴件数が激増し、原告の業務は一般の女子職員の業務量より相当程度超過していた。一方頚肩腕症候群は、発症の初期には他覚的症状に乏しく、自覚的症状が先行するものであり、昭和42年当時においては、タイピスト等についてはともかく、一般事務従事者にも業務遂行の結果として頚肩腕症候群の発症のあり得ることは一般に認識されていない状況にあったものと推認することができるから、本人からの申し出がない限り、使用者としては一般事務従事者に頚肩腕症候群の発症したことを窺い知ることができない状況であったということができる。そうすると、原告から昭和42年3月15日付診断書が提出される以前においては、大阪地裁当局に、原告に対する問診など頚肩腕症候群の発症の予防ないし発見をする具体的義務を課することはできないというべきである。
一方、原告から診断書が提出された以上、当該公務員が疾病に陥っていることは明らかであるから、被告には、医師の意見を聴くなどして右疾病が業務によるものであるか否かなどの調査をし、業務以外の他の原因によることが明らかでない場合には、個々の症例に応じて専門医による適切な療養を受けさせる一方、業務内容、業務量について適切な軽減措置をとるなど症状の悪化を防ぎ、その健康回復に必要な措置を講ずる義務があるというべきである。原告が診断書を大阪地裁当局に提出したのは昭和42年3月15日、同年4月8日、同年5月10日、昭和43年4月10日の4通であるところ、当局はこれに対してH分室への記録運搬を免除し、病気休暇を許可し、職場復帰後記録運搬を全面的に免除し、昭和43年4月原告を統計係に配転した。これらの事実によれば、大阪地裁当局は診断書が出される都度、原告の業務を軽減してそれなりの措置をとったのであるが、右措置が適切なものといえないことは、H分室への記録運搬を免除してからも症状が悪化し、遂に病気休暇に至ったこと、更に運搬作業を免除したのみで記帳作業を従来通り担当させた結果、原告はその後発症時の状態に戻ったのであり、記帳作業だけでも同種の女子職員のほぼ1名分に近い事務量があったことを考えると、職場復帰後の原告の業務量としては過重であると考えられることからも明らかである。したがって、大阪地裁当局は右のような不明確な診断書が出された以上、医師の所見を具体的に確定して症状増悪の防止、健康回復に必要な措置を講ずべきであるのに、その義務を怠ったものというべきである。
頚肩腕症候群は発症の初期には他覚的所見に乏しく、自覚的所見が先行するものであることを考慮すると、原告は発症の兆しを自覚したときにこのことを積極的に大阪地裁当局に申告して相談するなり、自ら速やかに専門医の診療を受けて適切な措置を受けるべきではなかったかと考える面も否定できない。更に原告が職場復帰した後、寒くなるに従い発症時の症状に戻り、その上別の症状が現れたのにその後診断書を提出したのは昭和43年4月10日のことであって、原告自身も主治医の意見を聞くなどしてきめ細かく療養を行なうとか、業務について適切な指示を求めるべきであったと考えられるが、原告がそのような行為をした形跡は認められない。したがって、原告にも自己の健康保持の面からみて十分でなかった面が認められるが、そのような事情があるからといって、被告の安全配慮義務の成否に影響を及ぼすことがないことはもとよりである。
5 損害
原告は、頚肩腕症候群の治療のために、治療費、交通費等9万500円を支払い、病気休暇のため勤勉手当を488円減額されているが、原告にも自己の健康保持に十分でなかった面があることを考慮すると、被告に負担させるべき損害額は金4万8000円をもって相当とする。
原告が頚肩腕症候群に罹病したのは26歳当時であり、その後症状は次第に消退したものの昭和51,2年まで続いたことから、原告のその間の精神的負担は個人生活上も職場生活上も相当大きいものと推認されること、原告にも自己の治療、健康保持などに十分でなかった面があること、その他諸般の事情を総合すると、被告に負担させるべき慰藉料は金50万円とするのが相当であり、弁護士費用は10万円をもって相当と解すべきである。 - 適用法規・条文
- 民法415条
- 収録文献(出典)
- 労働判例346号42頁
- その他特記事項
- 本件は控訴された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
---|---|---|
大阪地裁 − 昭和49年(ワ)第2784号 | 一部認容・一部棄却 | 1980年04月28日 |
大阪高裁 − 昭和55年(ネ)第861号(控訴)、大阪高裁 − 昭和55年(ネ)第1453号(附帯控訴) | 控訴認容・附帯控訴棄却 | 1981年10月23日 |