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C病院S園頸肩腕症候群兼疲労性腰痛事件
- 事件の分類
- 職業性疾病
- 事件名
- C病院S園頸肩腕症候群兼疲労性腰痛事件
- 事件番号
- 大阪地裁 − 昭和49年(ワ)第879号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 大阪府 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 1980年02月18日
- 判決決定区分
- 一部認容・一部棄却
- 事件の概要
- 原告は、昭和44年11月被告に採用され、府立C病院に勤務し、昭和45年4月C病院S園に配転となり、同年7月以降生活指導員として外来の自閉症児の治療に従事してきた女性である。
原告ら生活指導員の主たる業務は自閉症児に対する遊戯療法であり、これを行うには患児を背負ったり、抱いたりすることが必要であり、そのため生活指導員は敏捷な患児の動作に合わせて立ち座りを頻繁に繰り返し、中腰又は座位など無理な姿勢を続けねばならず、また身体的接触を保つため可能な限り患児を背負い、抱き上げ、肩車などをしなければならなかった。また、殆どの患児が屋外での遊戯を要求するため、その際には患児を背負ったり、抱いたりしながら階段を昇降し、長時間歩かなければならなかったほか、患児を背負ったまま前屈みの状態で鉄扉などを開閉せざるを得なかった。
原告は被告に採用されるまで概ね健康であったが、昭和45年9月頃から肩が凝り、体全体の疲労感が取れず、腰痛を感じるようになり、疲労感、腰痛、腕のだるさ、肩凝り感が増大し、昭和46年1月頃まで右症状が悪化の一途を辿った。そこで原告は診察を受けた結果、根性腰痛症と診断され、同月30日から同年2月25日まで入院、同年3月14日まで自宅静養し通院治療を受けた(第1次欠勤)。原告は同月15日から出勤したが、秋頃まで一進一退の状態が続き、昭和47年2月には腰痛のため一晩中眠れないときもあり、肩、腕、指先にも痺れ感が出たことから診断を受けたところ、腰痛兼頚肩腕症候群(疲労蓄積)と診断され、更に頚肩腕部、腰部、背部、手指に圧縮が認められたため、同年4月1日から昭和48年1月まで欠勤(第2次欠勤)し、治療を続けた。その後一進一退が続いた後、昭和49年秋ころから症状は回復に向かった。
原告は、頚肩腕症候群兼腰痛症は業務に起因する疾病であり、被告は同疾病を防止するための安全配慮義務を怠ったとして、欠勤による逸失利益、慰藉料等294万2590円の支払いを請求した。 - 主文
- 1 被告は原告に対し、金132万1295円及び内金122万1295円に対する昭和53年4月1日から完済まで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は、これを3分し、その1を原告の、その2を被告の各負担とする。
4 この判決は第1項に限り仮に執行することができる。 - 判決要旨
- 1 業務起因性
原告の主たる業務である遊戯療法は、不自然ないし非生理的な姿勢を長時間とり続け、或いは患児の危険な動作を防止するために高度の注意集中も要求され、作業場の責任の度合いも高いものであって、疲労の多い作業内容であると認められるところ、原告は昭和45年8月から第1次欠勤前まで他の生活指導員とほぼ同程度の遊戯療法を行い、体全体の疲労感、腰痛が徐々に悪化し、欠勤するに至ったこと、復職後再び遊戯療法に従事しているうちに欠勤前と同様な症状が発生し始め、寒さが厳しくなるにつれてそれが急激に悪化し、第2次欠勤に至ったこと、その後症状はほとんどなくなるまで回復したことが認められる。
松心園では、昭和45年10月、保母1名が腰痛症で入院し、引き続き腰痛を訴える者が続出して昭和46年2月には生活指導員、保母ら22名が腰痛症と診断されたこと、松心園開設1年余りで看護婦3名及び保母5名が退職していること、右のような腰痛症患者の多発を契機として、松心園ではなるべく個人遊戯療法を少なくし、集団遊戯療法を行うこととしたこと、松心園と同一又は類似の施設である重症心身障害施設、肢体不自由児の特殊学級の保母、看護婦などに原告と同一症状の疾病が多発していることが認められる。以上の事実と原告の作業歴、原告の症状と治療経過を総合して考えれば、原告の頚肩腕症候群兼疲労性腰痛症はその業務に起因するものと認めるのが相当である。
しかしながら原告は、昭和49年9月11日に、医師から週1回の通院を指示されていたのに昭和50年5月28日までの約8ヶ月間通院することもなく、また同日には平素は疼痛もなく、投薬も不要とされるまで回復し、同年9月には客観的症状はほとんどなくなり、その後は不定期的に通院しているのみで、症状の再変は全く見られないこと、原告の症状には多分に精神的要素も認められることからすると、現在まで原告が訴えている症状のすべてが業務に起因する頚肩腕症候群兼疲労性腰痛症によるものと認めることはできず、少なくとも昭和50年8月末日までの原告の症状が頚肩腕症候群兼疲労性腰痛症によるものであると認めるのが相当である。
被告は、原告の行った遊戯療法の回数が他の生活指導員と比較して遥かに少ないことなどから、業務と疾病の間に相当因果関係があるとは認められない旨主張するが、頚肩腕症候群は業務量と個体の体力とのアンバランスから発症するものであり、同種の労働者、あるいは原告の従前の業務量と比較して単に少ないということのみではその業務起因性を否定することができないばかりか、原告の場合、その作業態様、作業従事期間及び業務量からみて、その発症は医学常識上業務に起因するものとして納得し得るものであるから、被告の主張は理由がない。
2 被告の責任
被告は使用者として、労働契約上その被用者に対し、職業病の予防・早期発見に努めるとともに、これを発見した時は就業制限、早期治療を適切に行って病状の悪化を防ぎ、その健康回復に必要な措置を講ずる義務(安全配慮義務)を負っているところ、労働基準法、労働者災害補償保険法等の法意に鑑みれば、被用者の疾病につき業務起因性が肯定される以上、特段の事情がない限り、被用者の右疾病は使用者が安全配慮義務を充分果たさなかったことによるものと推定され、これを争う使用者において右特段の事情を立証する責任を負うものと解すべきである。
まず、第1次欠勤の原因となった原告の腰痛症の発症について被告の責任を否定するに足りる特段の事情について被告は特に主張しておらず、また、右事情を認める証拠も存在しないというべきである。園長は第1次欠勤後の原告の業務については、原告の希望を受け入れ、業務内容についても指示を与えず、原告に任せていたが、それによって松心園事務当局の原告に対する安全配慮義務が尽くされたものということはできず、原告が第1次欠勤の原因となった患児の療養業務に再び就いた以上、再発しないように適宜の措置を採るべき義務を有しているものというべきである。尤も中宮病院では腰痛対策として昭和46年6月26日から特別健康診断を実施したところ、原告は受診を拒否したが、松心園事務当局はそれを放置して原告のなすがままに任せていたものと推認され、その後原告に対し意を尽くして受診させるよう働きかけたことを認めるに足りる証拠もないのであるから、右の事情をもってしても松心園当局が安全配慮義務を尽くしたとすることはできない。
一方、原告は第1次欠勤後、園長の指示する軽作業を拒否し、再び従前と同じ療養業務に就いたものであり、右業務が自己の腰部、頚肩腕部に悪影響を与えるものであることは十分承知していたものであるから、原告自身十分注意する必要があるのに、診察を受けるまでは松心園事務当局に申し出るなど何らの措置もとっておらず、鍼灸院で治療する以外に特に専門医の診察を受けていないのであるから、右疾病が罹患した本人の訴えがない限り他から客観的に症状を把握しにくいものであることを考慮すると、第2次欠勤及びそれ以降の欠勤の原因となった腰痛症並びに頚肩腕症候群の発症について原告側にもかなりの大きな原因があったものといわなければならない。以上に述べた諸事情を考慮すると、被告が負担すべき損害の範囲は、原告の生じた後記損害のうち、その5割をもって相当と解すべきである。
3 原告の損害
原告が頚肩腕症候群兼腰痛症に罹患していなければ、原告には昇給停止事由がなかったことになり、順次昇給し得たものと考えられるから、原告は右疾病に罹患したことにより、昭和48年4月1日から昭和53年3月31日までの間に現実に支給を受けた給与と昇給していたならば得べかりし給与との差額相当分の損害を蒙ったことになり、右損害額は合計164万2590円であると認めることができる。したがって、被告が負担すべき損害額は右金員の5割に相当する金82万1295円となる。
原告が発症当時25歳の女性であり、約5年間にわたり頚肩腕症候群兼腰痛症のため、原告が個人生活上も職場生活上も種々の肉体的、精神的苦痛を蒙ったことは推測に難くなく、右事実に入院期間、現在では回復していること、原告にも症状増悪の防止につき一半の責任のあること、被告が取った段階的職場復帰の措置など諸般の事情を総合すると、被告に負担させるべき原告の慰藉料は金40万円をもって相当と認め、弁護士費用は金10万円をもって相当と認める。 - 適用法規・条文
- 民法415条
- 収録文献(出典)
- 労働判例338号57頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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