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長野市職員頸肩腕症候群公務外認定処分取消請求事件

事件の分類
職業性疾病
事件名
長野市職員頸肩腕症候群公務外認定処分取消請求事件
事件番号
長野地裁 - 昭和52年(行ウ)第2号
当事者
原告個人1名

被告地方公務員災害補償基金長野県支部長
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
1980年05月30日
判決決定区分
認容
事件の概要
 原告は、昭和34年3月高校卒業後、S村役場職員として採用され、その後の合併により長野市職員となり、事務吏員、司書、学校事務職員として勤務してきた女性である。

 原告は、市民係として、戸籍届を始め各種届の受付、証明書の交付、お茶の接待などを行っていたが、採光が悪く暖房設備がないなど良好な職場環境とはいえない中で、職員が減らされる一方業務が増大していた。その後雑用はなくなったが、業務量は漸増傾向にあり、繁忙期には2、30人の市民が待つこともあり、精神的緊張度の高い業務であり、昼休みも十分に取れない状態であった。またこの頃からボールペンが使用されるようになり、原告らは、届出人が複写式の届出書に強く記入しないためなぞり書きをすることもあって、原告の手指の負担が増大した。その頃庁舎の建替えのため小学校の体育館を仮庁舎として使用していたが、作業環境は劣悪であった。また原告が従事した学校事務は、予算の執行に関する事務等恒常的な業務のほか、4、5月には補助金事務があり、多数の書類を手書きし、印鑑を多数回にわたり押印しなければならないものであった。

 原告は、昭和42年に仮庁舎勤務になってから、肩凝り、後頭部、足腰の痛み、手指・腕の痺れ、生理痛などの症状を覚え、その後眼精疲労の診断を受け、身体の疲労が激しく、昭和46年11月に「神経症、頸肩腕症候群」との診断を受け、昭和47年3月まで自宅療養した。その後、一旦復職したが「頸肩腕症候群、背腰痛症、自律神経不安定症」と診断されたことから、入院による専門治療を受け、昭和49年9月末まで自宅療養した。
原告は、昭和48年2月22日、被告に対し公務上の災害であることの認定を求めたが、被告は同49年4月10日付けで公務外の災害と認定する処分(本件処分)を行った。そこで原告は地方公務員災害補償基金長野県支部審査会に対し審査請求を、更に地方公務員災害補償基金審査会に対し再審査請求を行ったが、同審査会は昭和51年11月24日付けでこれを棄却する旨の裁決をしたことから、原告は被告の公務外認定処分の取消しを求めて提訴した。
主文
 被告が昭和49年4月10日付けで原告に対してなした地方公務員災害補償法による公務外認定処分を取り消す。
 訴訟費用は被告の負担とする。
判決要旨
 地方公務員災害補償基金理事長による頸肩腕症候群についての通達によると、それが公務上の災害とし認定すべき基準として、(1)キーパンチャー等その他上肢の動的筋労作又は静的筋労作を主たる業務に従事する職員で相当長期間(一般的には6ヶ月程度以上)継続して当該業務に従事したものであること、(2)業務量が同種の他の職員と比較して過重である場合またはその業務量に大きな波があること、(3)いわゆる「頸肩腕症候群」の症状を呈し、医学上療養が必要であると認められること、(4)公務以外の原因(外傷、先天性の奇形等)によるものでないと認められること、(5)当該業務の継続によりその症状が持続し、又は増悪する傾向を示すことを掲げ、公務上外の認定に当たっては専門医によって詳細に把握された症状及び所見に従って行うこととされている。

 しかして、この種疾病における公務起因性を判断するに当たっては、概ね右通達の基準によるのが相当であると考えるのであるが、右認定基準(2)については、比較の基準を当該勤務所における年齢、性別、作業態様及び熟練度が同じ条件の労働者の平均的な業務量に置いているけれども、実際問題としてこのような比較すべき適切な対象者が得られ難く、仮に得られたとしても、その労働者の能力によって判断が左右されることは相当ではないと考えられるので、結局、認定を受けるべき者の適切な業務量を基準として過重であったかどうかを判断すべく、業務量と個体のアンバランスすなわち業務量が個体にとって過重であることから頸肩腕症候群が発症したと認められれば、それをもって足りるものと解するのが相当である。

 頸肩腕症候群の病理機序は未だ十分に解明されるには至っていないが、その発症原因は極めて複雑であり、労働負荷の程度、労働者個人の肉体的要因、それに加えて心理的要因等が複雑にからみあって発症するとされており、整形外科の立場からは、事務を取ったり、事務機器を使用したりする主として上肢を使用する作業労働者にみられる障害で、上肢運動器の弱体状態にあるものが頸椎肩甲帯から上肢に静力学的負荷がかかって歪みを生じ発症するもので、全身を均等に使わない状態が持続した時に不定愁訴が加わって、心身共に不健康の状態を来した病態とされ、冷房のきいた部屋で長時間上肢を殆ど使用する場合に発症が多く見られ、職場における人間関係等の精神面における不安定によって愁訴が助長されることも多いと指摘されている。また、産業衛生学的見地からは、頸肩腕障害は、上肢作業に従事することにより単なる筋肉の肉体的疲労が蓄積するのみならず、それに伴って神経緊張の持続等による精神疲労などの脳・中枢神経系の疲労が蓄積して自律神経の不安定な症状も生じ、その結果起こる機能的器質的な障害とされ、従ってその発症及び病像増悪の要因として、職場における緊張度の高い対人関係、寒気・不十分な照明・騒音等の職場環境、作業量の一時的な負荷過重、作業内容・職場の変化等の作業疲労を増大させる条件を重視しなければならないとしている。そして、頸肩腕障害は、非常に早期に適切な治療を受け療養・作業軽減をすると完治することが多いが、さして苦痛でない疲労症状が慢性化した状態で相当長期間働き続けた後に一時的な負荷過重により苦痛な症状が現われたときには、その治療は極めて困難となり、相当長期間を要することが多いとされている。

 原告が約6年間従事した市民係の窓口業務は、主として上肢を使用する作業である上、市民を相手に緊張を強いられ、とりわけ仮庁舎時代には作業環境が劣悪であったため疲労度の高い業務であったと推認でき、また市役所の資料係及び学校事務では、簿記作業について一時的な負荷過重があったものと認められるところ、原告は昭和42年5月に仮庁舎に勤務する頃から症状が発現し、昭和45年6月学校事務に移って筆耕作業をしたことにより急激に症状が悪化して欠勤するに至り、同47年4月には一旦復職したものの、同年9月から再び欠勤し、同49年9月に復職したことが認められる。原告が入院した病院の主治医は、原告の症状を「頸肩腕症候群、背腰痛症、自律神経不安定症」であり、原告の従事した作業内容、職場環境が疾病の主たる原因であると診断しており、これを引き継いで原告の診察に当たった専門医も同様な診断をしていることが認められる。
 以上の事実等を総合すると、原告の頸肩腕症候群はその公務に起因するものと認めるのが相当である。被告は、原告の業務は通常の業務に比して過重なものではなく、原告の作業環境が通常の業務に比して著しく不良なものともいえず、原告の体質的な弱さから発症したもので、公務と疾病との間に相当因果関係が認められない旨主張するが、頸肩腕症候群が公務上の災害と認められる要件としての業務量の相対的過重とは、作業量と個体の体力のアンバランスから本症が発生したと認められればそれで足りる趣旨と解すべきであるし、原告にはその症状を惹起させる基礎疾患はなく、医学上の判断としてもその発症が原告の従事した業務に起因するものとして納得し得るから、被告の主張は採用できない。してみれば、原告の疾病は公務上のものとは認められないとした公務外認定処分は違法であるから、右処分の取消を求める原告の本訴請求は理由がある。
適用法規・条文
地方公務員災害補償法
収録文献(出典)
労働判例365号94頁
その他特記事項