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横浜市保育園保母公務災害慰謝料請求等上告事件

事件の分類
職業性疾病
事件名
横浜市保育園保母公務災害慰謝料請求等上告事件
事件番号
最高裁 - 平成5年(行ツ)第85号
当事者
上告人個人1名

被上告人横浜市
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
1997年11月28日
判決決定区分
原判決破棄・差戻し
事件の概要
 上告人(第1審原告、第2審被控訴人・附帯控訴人)は、昭和43年に被告に雇用され、保母として保育園で勤務していた。上告人は昭和45年頃から肩と背中に痛みを感じ出し、昭和47年6月に山手保育園に主任保母として赴任した頃からは腕、肘の痛みも激しくなったことから診察を受けたところ、同年9月4日、頸肩腕症候群と診断され、その後通院・治療を受けていたが、症状が改善しないため、昭和49年7月地方公務員災害補償基金横浜支部長に対し、公務災害認定の請求を行った。これに対し同支部長は公務外の決定をしたことから、上告人はこれを不服として、審査請求、更には再審査請求を行ったが、いずれも棄却の裁決を受けた。上告人は、本件障害は保母の業務に起因するもので、被上告人(第1審被告、第2審控訴人・附帯被控訴人)は当時障害の発生を予見できたにもかかわらず対策を怠る安全配慮義務違反があったとして、肉体的・精神的苦痛に対する慰謝料として被上告人に対し1000万円を請求した。
 第1審は、本件障害は保母の業務に起因して発生したもので、被上告人には保母の健康障害の発生を防止する義務違反と、上告人の病状の増悪を防止し健康の回復を図るための義務違反があったとして被上告人に慰謝料として200万円の支払いを命じた。これに対し第2審では、(1)上告人の業務内容や業務量は過大であったとはいえず、一般に頸肩腕症候群が生ずる蓋然性が高い職種とはいい難いこと、(2)保母の業務は身体の両側をほぼ同様に使用するとみられるところ、上告人の症状は主として右側に顕れていること、(3)上告人の症状と保育業務との間に何らかの関連があることは否定できないとしても、頸肩腕症候群の発症や増悪の相対的に有力な原因とまで認定できないこととして、被上告人敗訴の部分を取り消し、上告人の請求を棄却した。そこで上告人は第2審の破棄を求めて上告したものである。
主文
 原判決を破棄する。
 本件を東京高等裁判所に差し戻す。
判決要旨
 訴訟上の因果関係の立証は、1点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである(最高裁昭和50年10月24日判決)。

これを本件についてみると、保母の保育業務は、長時間にわたり同一の動作を反復したり、同一の姿勢を保持することを強いられるものではなく、作業ごとに態様は異なるものの、間断なく行われるそれぞれの作業が、精神的緊張を伴い、肉体的にも疲労度の高いものであり、乳幼児の抱き上げなどで上肢を使用することが多く、不自然な姿勢で他律的に上肢、頸肩腕部等の瞬発的な筋力を要する作業も多いといった態様のものであるから、上肢、頸肩腕部等にかなりの負担のかかる状態で行う作業に当たることは明らかというべきである。事実、頸肩腕症候群による労災補償の認定を受けた保母も相当数いるという状況がある。原判決の説示する上告人の具体的業務態様をみても、保母1人当たりの園児数等は児童福祉施設最低基準に違反するものではなく、通常の保母の業務に比べて格別負担が重かったという特異な事情があったとまでは認められないとはいえ、その負担が軽いものということはできない。

 

 また、上告人の症状は、長津田保育園で勤務し始めて3年目で、長女を出産するよりも前である昭和45年9月に、肩や背中の痛みといった前駆的症状が現れ、その後長女を出産した約10ヶ月後である昭和47年4月ころから、慢性的に肩凝り、右腕、右肘の筋肉の痛みという形で顕在化した。上告人は、その状態のまま新設の山手保育園に主任保母として着任し、同僚のほとんどは新任保母であるという状況の中で入園式や保育開始準備に集中的に当たり、その間10日程度の短期間とはいえ、精神的・身体的に負担が大きかった上、1、2歳児6名を1人で担当することとなり、このころも肩凝り、腕のだるさ等の自覚症状があったところ、夏季合同保育期間中であった同年8月に調理員が休暇を取った7日間は、1日平均12.4名分の調理を担当するなどしており、その調理作業中に右背中に激痛を感じたというのである。そしてその後、同年9月4日に病院で診察を受けて頸肩腕症候群と診断され、通院を開始した。上告人は、この間必ずしも十分な休憩、休暇を取得することができなかったことも窺われる。その後も同僚保母の長期欠勤のため合同保育に当たるなど、上告人の業務負担が重くなることはあっても軽減されることはなく、上告人の症状も若干の起伏を伴いながら続いた。こうした上告人の症状の推移と業務との対応関係、業務の性質・内容等に照らして考えると、上告人の保母としての業務と頸肩腕症候群の発症ないし増悪との間に因果関係を是認し得る高度の蓋然性を認めるに足りる事情があるものということができ、他に明らかにその原因となった要因が認められない以上、経験則上、この間に因果関係を肯定するのが相当であると解される。上告人の出産、育児、発症部位その他の原判決の説示する事情は、右の結論を左右するものではない。
 したがって、原判決の説示する理由をもって上告人に発症した頸肩腕症候群と上告人の保母としての業務との間の因果関係を否定し、上告人の本件請求を棄却した原審の判断には、因果関係に関する法則の解釈適用の誤り、経験則違背、理由不備の違法があるものといわざるを得ず、この違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は右の趣旨をいうものとして理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、上告人主張の義務違反、過失の有無等につき更に審理を尽くす必要があるから、本件を原審に差し戻すこととする。
適用法規・条文
なし
収録文献(出典)
労働判例727号14頁
その他特記事項
本件は東京高等裁判所に差し戻された。