判例データベース
知的障害者施設腰痛公務外認定処分取消請求事件
- 事件の分類
- 職業性疾病
- 事件名
- 知的障害者施設腰痛公務外認定処分取消請求事件
- 事件番号
- 横浜地裁 − 平成9年(行ウ)第44号
- 当事者
- 原告 個人2名A、B
被告 地方公務員災害補償基金神奈川県支部長 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2002年07月30日
- 判決決定区分
- 認容
- 事件の概要
- 原告A(昭和30年生)は、昭和54年10月に社会福祉職として横浜市に任用され、同年12月に知的障害者通園施設であるS学園が開設されると同時に児童指導員として同学園勤務を命じられた男性であり、原告B(昭和31年生)は、昭和52年4月保母として横浜市に任用され、S学園が開設されると同時に保育士として同学園勤務を命じられた女性である。S学園において原告らが実際に従事した指導時間は、昭和59年から平成元年までの各年とも、5月から7月、10月と11月には週60時間を超えること多く、それ以外も極く一部を除いて週40時間を超えていた。
原告Aは、昭和60年4月頃から腰・背中・足の強い痛み、肩や首のひどい凝りや強い痛みを感じるようになり、5月から7月まで治療を受けたが余り改善が見られなかった。原告Aは、昭和62年11月頃から、腰痛、頸部痛、両肩痛などの症状を感じ、針灸マッサージ治療を定期的に受けるようになり、平成元年11月には休業加療が必要である旨の診断を受けて休業し、平成2年10月から職場復帰した。原告AがS学園に復帰した後、腰痛の症状は緩和されたが、希望により平成5年に異動したところ、異動後は上肢や腰部の症状を感じることはなかった。
原告Bは、長女出産後の産休中にS学園に異動し、昭和55年3月から同学園での勤務を開始したが、この時点では、頸・肩・上肢・腰などに症状を感じることはなかった。原告Bは同年8月に長男を出産して10月に勤務を再開し、昭和58年3月から次男出産のため産休を取り、同年8月に職場復帰した。原告Bは、昭和59年9月頃、腰や背中、肩の痛みを感じるようになり治療を受けたが、昭和60年以降症状は悪化し、昭和61年1月から3月まで針灸マッサージの治療を受けた。原告Bは昭和63年度も引き続き腰痛や上肢の痛みがあったが、通院の時間も取れない程多忙であり、通院を一旦中断した。原告Bは平成元年5月から長女の不登校に対応するため看護休暇を取って、同年8月に職場復帰したが、同年12月末には医師から休業加療を要する旨の診断を受けて休業に入った。原告Bは平成6年4月に異動した保育園では、乳児クラスや障害児を含むクラスを担当しているが、通院を要するような腰や上肢の痛みは生じていない。
原告A及び原告Bは、S学園における過重な業務によって症状が発生したとして、それぞれ被告に対して公務災害の認定請求をしたが、被告はいずれについても平成5年11月17日付けで公務外認定処分を行った。原告らはこの処分について地方公務員災害補償基金審査会に再審査請求をしたが、同審査会は平成9年6月25日付けでいずれも棄却する旨の裁決をしたため、原告らは被告の処分の取消しを求めて提訴した。 - 主文
- 1 被告が原告らに対し平成5年11月17日付けでした地方公務員災害補償法に基づく各公務外認定処分をいずれも取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。 - 判決要旨
- 地公災法は、地方公務員の公務上の災害に対して補償を行うものであるところ、公務上の災害といえるためには、公務と災害との間に相当因果関係が必要である。そして、地公災制度の目的は、労働者災害補償保険法と同様に、公務に内在又は随伴する危険が現実化して発生した災害によって地方公務員が被る損失を補償することにあると考えられるから、当該災害の発生が公務に内在又は随伴する危険が現実化したものといえるような関係にある場合に公務と災害との間に相当因果関係があると判断されるものと解される。そして、この意味における相当因果関係、すなわち公務起因性の有無は、当該地方公務員の公務の内容・性質、勤務状況、疾病の発生の経緯、発症前の健康状態、症状の推移と公務との対応関係、同種公務に従事する他の地方公務員にかかる類似症状の発生の有無、疾病についての医学的知見等、諸般の事情を総合して判断されるべきものである。
自閉症児、特に多動児に対しては、他の園児との衝突を防ぎ、また多動児自身が傷害を負うのを防ぐために、力一杯抵抗する園児を押さえることもある。更に、多動児の場合どのような動きをするかを事前に予測することが困難な場合もあるため、それに対応するためには、常にその園児に意識を向けることが必要になる。このようなことから、動きの特に多い多動児などの園児に対しては、児童指導員・保育士の個別的又はこれに近いかかわりが必要となる場合が少なくない。障害の程度が重くない園児についても、他の園児と自発的に遊ぶことが余り期待できないため、園児の能力を発達させるためには、児童指導員・保育士が見本を示したり、手助けをするなどして積極的に遊び・課題を行わせることが重要である。これらの作業においては、児童指導員・保育士は、園児の身長に合わせるために姿勢を低くしなければならず、園児の体を支えるなど低い位置で上肢や腰部に負担がかかる作業を行うことが多い。園児の体重は通常10kgを超え、20kgを超える場合も珍しくない上、園児の動きに合わせて不意に他律的に動かなければならないため、一連の作業により、特に園児の体重を支えることになる上肢や腰部にかかる負担は大きい。また椅子に腰掛ける場合も、園児用の低い椅子に腰掛けることになり腰部への負担は大きい。
原告Aは、さざんか学園で勤務を始める前には、特に上肢や腰部の症状を感じたことがなかったが、昭和60年4月中旬頃、腰・背中・足の強い痛み、肩や首のひどい凝りや強い痛みを感じるようになり、その後通院して治療を続け、業務が多忙でない時期に一旦定期的な治療を中断したが、昭和63年5月から7月、同年9月と10月に特に多忙となり、平成元年5月から治療を再開した。しかし、上肢及び腰部の症状はその後も好転せず、平成元年11月、医師から休業加療が必要であるとの診断を受け休業した。なお原告Aは、さざんか学園から南福祉事務所に異動した後には、上肢や腰部の症状を感じていない。以上によれば、原告Aの症状は、歩行介助が必要な園児や自閉症傾向児を担当していた昭和60年に病的な状態に悪化し、その後も業務が多忙な時期には悪化が見られるという経過をたどり、特に歩行不安定や歩行不可の園児が多かったクラスを担当した昭和63年度と平成元年度に更に悪化し、平成元年11月には休業に至っている。しかし、原告Aは、休業後11ヶ月で職場復帰し、さざんか学園の業務から離れた後には、症状を感じなくなっている。
原告Bは、産休から復帰し、通勤緩和職免が終了して間もなくの昭和59年9月頃、腰や背中、肩の痛みを感じるようになり、その後通院して治療を受けたが、上肢及び腰部の症状はその後も好転せず、平成元年12月、医師から休業加療が必要との診断を受けた。原告Bは、昭和61年6月には集中して通院しており、これは業務が多忙な時期と一致している。もっとも、原告Bは同年9月にも集中して通院し、同月1日から4日まで年休を取得しているが、この直前は夏季特別指導期間であり、この時期に症状が悪化したものとすると、園児の指導業務と直接関係があるとは必ずしもいえないかのように見える。しかし、それ以前の経過からすると、原告Bの症状は、この頃までには慢性的なものに進行していた可能性が高く、この場合、僅かな上肢や腰部への負担でも強い症状を引き起こすことが十分に考えられるので、原告Bの症状と業務との関係が否定されるものではないと考えられる。原告Bが治療を再開するのは昭和62年11月で、その後昭和63年1月にかけて5回、2月に1回、3月に2回治療を受け、同年9月から11月にかけて5回治療を受け、治療はそこで中断している。このうち6月は新学年開始に伴う業務繁忙期の直後であり、9月から11月にかけては指導業務が多忙な時期に当たる。原告Bは平成元年5月から7月にかけて長女の看護休暇を取得したが、9月からは歩行不安定や歩行未自立な園児を多数含む組に配置され、多忙な業務を行ったもので、他のクラス等からの応援が入ったことはあったとしても、特に11月及び12月においてはより多くの園児の保育を担当しなければならなかったことが推認される。同年12月、原告Bは休業加療を要する旨の診断を受け、休業に入ったが、これは以前から上肢や腰部に症状があった原告Bについて、完治に至らないうちに前記のような負担の重い業務に就いたことで一気にその症状が悪化したと見ることができる。なお、原告Bは他の保育園に異動した後は、通院を要するような上肢や腰部の症状を感じていない。さざんか学園の児童指導員・保育士における類似症状の発症例としては2例見られ、各種の保母、保育士等の健康調査によれば、上肢や腰の痛みなどの自覚症状を有する者が少なからず存在したことが明らかにされている。
以上、原告Aについては、さざんか学園に勤務中の昭和60年4月頃、原告Bについては同学園勤務中の昭和59年9月頃、それぞれ、頸肩腕症候群及び腰痛症が発症したもので、かつこれら疾病の発症は、いずれも同学園において従事した児童相談員ないし保育士としての公務に起因するものと認めることができる。なお、被告は、原告Bについて、ぜんそくの持病があるとか、家庭生活上のストレスがあるとか、他原因の存在を主張するが、ぜんそくが原告の頸肩腕症候群及び腰痛に類似した症状を引き起こしたことを認めるに足りる証拠は見当たらない。長女の登校拒否については、原告Bにとって大きな心配の種であったことは想像に難くないが、原告Bがこれをどの程度大きなストレスと感じたかについて的確に確かめ得る証拠はないし、原告Bの症状は昭和63年及び平成元年頃にはかなり進行し慢性化していたと見られるところ、長女の登校拒否と原告Bの推移が対応しているともいい難い。以上の次第であるから、本件各処分はいずれも違法であって、取消しを免れない。 - 適用法規・条文
- 地方公務員災害補償法26条、28条、28条の2第1項、29条1項、31条、45条1項
- 収録文献(出典)
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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