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成田労基署長(N航空客室乗務員)くも膜下出血事件【過労死・疾病】
- 事件の分類
- 過労死・疾病
- 事件名
- 成田労基署長(N航空客室乗務員)くも膜下出血事件【過労死・疾病】
- 事件番号
- 千葉地裁 − 平成12年(行ウ)第89号(甲事件)平成15年(行ウ)第78号(乙事件)
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 成田労働基準監督署 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2005年09月27日
- 判決決定区分
- 各認容(控訴)
- 事件の概要
- 原告(昭和22年生)は、昭和41年12月にN航空会社に入社し、昭和42年4月からスチュワーデスとして業務を開始し、昭和63年4月にチーフパーサーに昇格して、本件発症前日まで国際線に乗務していた女性である。
原告は、平成8年5月26日から、日本・香港間を2往復する4日間連続の国際線に乗務していたが、同月29日香港のホテルにおいて、脳動脈瘤破裂に伴う出血に起因するくも膜下出血で倒れ、翌日手術を受けた。原告はその後療養のため休業し、平成12年8月3日、休職期間満了によりN社を退職した。
原告は、労働態様が不規則で長時間勤務であり休憩・睡眠等が十分に取れなかったこと、乗務時間が長い長大路線の勤務が多かったこと、特に本件発症前6ヶ月は、年末年始にまたがる業務の過重性、スケジュール変更による疲労の発生が見られたほか、同僚と比較しても乗務時間が長く、チーフパーサーで3ヶ月連続して大きな精神的負担を感じるニューヨーク便に乗務することは希であることなどから、本件疾病は業務に起因するものであるとして、平成10年5月28日、被告に対し労災保険法による平成8年5月29日から平成10年3月31日までの療養補償給付及び平成8年5月29日から平成10年5月22日までの休業補償給付の支給請求を行った。しかし、被告は、本件疾病は業務に起因する疾病とは認められないとして、平成11年3月31日付けでこれらをいずれも支給しない旨の処分を行った(本件処分1)。原告は本件処分1を不服として、審査請求及びその棄却を受けて再審査請求をし、同年12月1日、被告の処分の取消しを求める訴えを提起した(甲事件)。また、原告は、同年11月13日、被告に対し、労災保険法による平成10年5月23日から平成12年10月31日までの休業補償給付の支給請求をしたが、被告はこれについても業務に起因する疾病とは認められないとして、平成13年3月7日付けでこれを支給しない旨の処分(本件処分2)をした。原告は本件処分2についても不服として、審査請求及びその棄却を受けて再審査請求を行ったが、労働保険審査会は平成15年9月10日付けで、各審査請求をいずれも棄却する旨の裁決をしたことから、原告は同年12月3日、本件処分2の取消しを求めて訴えを提起した(乙事件)。 - 主文
- 1 被告が平成11年3月31日付けで原告に対してした労働者災害補償保険法による療養補償給付及び休業補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。
2 被告が平成13年3月7日付けで原告に対してした労働者災害補償保険法による休業補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。
3 訴訟費用は、甲乙事件を通じて被告の負担とする。 - 判決要旨
- 本件疾病が労災保険法による療養補償給付、休業補償給付等の保険給付の対象となるためには、労働基準法施行規則35条別表第1の2第9号にいう「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当する(業務起因性がある)ことを要するところ、業務起因性があるといえるためには、業務と疾病との間に相当因果関係のあることが必要であると解される。そして、くも膜下出血は、基礎疾患である動脈瘤ないし血管病変が存在し、これが種々の危険因子の集積によって増悪し発症に至るものであるが、ある業務とくも膜下出血の発症との間における相当因果関係を肯定するためには、その業務が、基礎疾患である動脈瘤ないし血管病変をその自然経過を超えて増悪させるに足りる程度の過重負荷になっていたことを要し、かつそれで足りると解するのが相当である。
N航空における客室乗務員については、1ヶ月単位の変形労働時間制が取られており、勤務の開始・終了時刻が一定しておらず、1日の労働時間も日によって異なっている。また、原告は主に国際線に乗務していたものであるが、一般的に国際線の客室乗務員の場合には、乗務時間が9時間を超える長大路線の乗務の負担、早朝勤務・深夜勤務・徹夜勤務による負担がある。原告の平成7年6月1日から本件発症前日である平成8年5月28日までの総乗務時間は、870時間31分であり、N航空におけるチーフパーサーの中でも特に長かったといえる。またこの乗務時間は、就業規則における1年間の制限乗務時間(900時間)は超えていないものの、平成5年11月に改定される前の制限総乗務時間(840時間)を30時間超えている。以上からすれば、総乗務時間だけをとっても、本件発症前1年間の勤務はかなり過密なものであったというべきである。
本件発症前1年間における原告の勤務を見ると、平成7年12月までは、ある程度の負荷が生じてはいたものの、疲労の蓄積の観点から特に過剰な負荷が生じていたとまでは認められない。しかし、本件発症前6ヶ月をみると、同年12月には、長大路線で時差があり客室乗務員の負担が大きい南米路線に乗務し、その後スケジュール変更により徹夜勤務が続き、乗務時間の合計は75時間を超えていることなどからすれば、原告にはある程度の負荷が生じていたものと推認されるが、この時点で疲労の蓄積の観点から過剰な負荷が生じていたとは認められない。平成8年1月には、前月に続きスケジュール変更を挟んで徹夜勤務便に乗務していること、長大路線で時差があり負担感の非常に大きいニューヨーク便に乗務していること、乗務時間の合計が前月に続き75時間を超えていることからすれば、原告には1月の時点でかなりの負担が生じていたものと推認される。2月には、スケジュール変更がなかったのは僅か2日であり、前日や当日に通知されることもあったこと、毎月ニューヨーク便に乗務していること、乗務時間の合計が12月、1月に引き続き75時間を超えていることからすれば、原告には遅くとも2月の時点で過剰な負担が生じていたものと推認される。3月にはスケジュール変更は1日もないが、3ヶ月連続してニューヨーク便に乗務しており、これはチーフパーサーでは通常見られないこと、乗務時間は88時間36分と就業規則の上限である85時間を超えていることなどからすれば、3月の時点で更に過剰な負荷が生じていたものと推認される。4月には、乗務時間の合計が60時間台になっているが、ニューヨーク便の後も徹夜勤務等が続いていることからすれば、4月の時点で前月までの過剰な負荷が解消できる状況ではなかったものと推認される。5月には、長大路線で時差があるフランクフルト便に乗務し、更に徹夜便にも乗務していることなどからすれば、4月までの過剰な負荷が解消できる状況ではなかったものと推認される。
客室乗務員の勤務形態はもともと不規則なものであること、国際線の客室乗務員の場合には、勤務時間が早朝、深夜、徹夜と様々であり、長大路線や1日に複数の路線に乗務する場合等には拘束時間が非常に長くなること、5時間以上の時差のある地域への乗務も度々こなさなければならないこと、長時間の乗務であっても一定の休憩時間を必ず取ることができるとは限らず、その休憩場所の設備も必ずしも十分に整っているとまではいえないことなどに照らすと、一般的に国際線の客室乗務員の業務は、一定量良質な睡眠を確保することが困難であることなどから疲労を蓄積させやすい業務であるといえる。また、保安業務とサービス業務をその主な内容とする客室乗務員の業務はある程度の精神的負担を伴うものであり、特に客室の最終責任者であるチーフパーサーの場合には、一般の客室乗務員と比較してより大きな精神的負担を伴っていることが推認される。
更に、特に平成7年12月から平成8年3月までの原告の乗務パターンは非常に密度が高く、同年1月以降、身体的にかなりの負荷ないし過剰な負荷をもたらすものであったことが推認できるのに対し、原告に付与されている休日は、就業規則の最低限である10日から12日であり、原告は有給休暇もほとんど申請していなかったことからすれば、疲労の回復も余り期待できない状況にあったといえる。そして、同年4月及び5月においても、過剰な負荷が解消されておらず、疲労が回復しているとはいえない。加えて、遅くとも同年4月頃には、原告には労働組合からの脱退問題による精神的負担が存在していたことが認められる。以上を総合すれば、原告は、少なくとも同年1月頃から継続して業務による相当ないし過剰な負荷を受け続けており、そのような業務の継続が原告に慢性的な疲労をもたらしたことは否定し難い。そうすると、本件発症前の業務は、疲労を蓄積する程度の過重な負荷を伴うものであったとみるべきである。
被告の主張する通り、原告の健康診断における血圧は、いずれもいわゆる高血圧症の範疇に入るものとはいえない。しかしながら、最近では、長期間にわたる業務による疲労の蓄積も脳疾患の発症に及ぼす負荷として認識されるようになってきており、長時間残業、休日なし労働、深夜労働など生体リズムに反する労働での過重負担が持続したり、睡眠リズムの乱れなどにより生活習慣が破綻している場合に生じるストレスにより、大脳皮質に過剰ストレス反応が発生し、カテコーラミン等が増加し、血圧が上昇するというメカニズムがあることが認められるところ、原告の業務は不規則で、長時間勤務や早朝・深夜・徹夜勤務もあり、また時差の影響を度々受けるものであって、特に本件発症前の原告の業務は疲労を蓄積する程度の過重な負荷を伴うものであったといえることからすれば、少なくとも乗務中や乗務直後には前記メカニズムによる血圧上昇が生じていたとみるのが自然である。そして、代表的な巡航速度では、95ないし87デシベルの騒音にさらされているところ、75デシベル程度の騒音で一時的な血圧上昇が認められることや80デシベル以上の慢性的な騒音曝露によって、収縮期血圧や拡張期血圧の上昇傾向がみられるとの報告があることからすれば、少なくとも乗務中の客室乗務員の血圧は上昇しているものと推認される。また、血圧の低下により血管壁の修復作用が働くところ、睡眠の質・量が不良である場合には血圧の十分な低下が起こらないという知見があることからすると、疲労回復のための休養も必ずしも十分には取れていなかったと考えられる原告の場合も、血圧の十分な低下が起こらずに血管壁の修復作用が十分に機能していなかった可能性も否定できない。更に、脳動脈瘤の発生及び成長に関与する要因としては、血管壁の脆弱性と血行力学的負荷があるところ、脳動脈瘤の成長という観点からすれば、高血圧症に至っていない場合であっても、その者の血圧を上昇させる要因があれば、血行力学的負荷を増大させているとみることができる。
以上を総合すれば、原告が高血圧症であることのデータがないとしても、過重な負荷を伴う本件発症前の業務により、血圧の上昇が生じて血行力学的負荷が増大し、また、血圧の低下が阻害されて血管壁の修復作用が十分に機能せず、原告に発生していた脳動脈瘤の成長が促進されたものと考えることができる。
原告は、本件発症当時、脳動脈瘤の好発年齢である40歳代であり、また危険因子の1つとして挙げられている喫煙の習慣も、1日11本から20本以内ではあるもののあったことが認められるが、こうした加齢や喫煙の習慣が原告の基礎疾患である脳動脈瘤の確たる増悪要因となったとは認められない。また、未破裂動脈瘤の破裂する確率は年間1%足らずであり、脳動脈瘤は必ずしも自然経過の中で全例破裂するわけではなく、原告の基礎疾患である脳動脈瘤が、本件発症当時、その自然の経過によって一過性の血圧上昇があれば、直ちに破裂を来す程度に増悪していたと認めるに足りる証拠もない。
以上のような原告が本件発症前6ヶ月間に従事していた業務の内容、態様、遂行状況等に加えて、他に確たる脳動脈瘤の増悪要因を見出せないことなどを併せ考えれば、原告が本件発症前に従事した業務による過重な精神的、身体的負荷が基礎疾患である原告の脳動脈瘤をその自然の経過を超えて増悪させ、本件発症に至ったものとみるのが相当であり、原告の業務と本件疾病との間には相当因果関係があるということができる。したがって、本件疾病は労働基準法施行規則35条別表第1の2第9号にいう「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当するといえるから、本件各処分は違法である。 - 適用法規・条文
- 労働基準法75条、労働基準法施行規則35条、労災保険法13条、14条
- 収録文献(出典)
- 労働判例907号46頁
- その他特記事項
- 本件は控訴された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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千葉地裁 − 平成12年(行ウ)第89号(甲事件)平成15年(行ウ)第78号(乙事件) | 各認容(控訴) | 2005年09月27日 |
東京高裁 − 平成17年(行コ)第279号 | 控訴棄却(確定) | 2006年11月22日 |