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成田労基署長(N航空客室乗務員)くも膜下出血控訴事件【過労死・疾病】

事件の分類
過労死・疾病
事件名
成田労基署長(N航空客室乗務員)くも膜下出血控訴事件【過労死・疾病】
事件番号
東京高裁 − 平成17年(行コ)第279号
当事者
控訴人 成田労働基準監督署長
被控訴人 個人1名
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
2006年11月22日
判決決定区分
控訴棄却(確定)
事件の概要
 被控訴人(第1審原告)は、N航空会社のチーフパーサーとして勤務していた女性であるところ、平成8年5月29日朝、乗務のために滞在していた香港のホテルにおいて、脳動脈瘤破裂に伴う出血に起因するくも膜下出血を発症し、その後療養のため休業し、休業期間満了によって平成12年8月3日をもってN航空会社を退職した。
 被控訴人は、控訴人(第1審被告)に対し、労災保険法に基づき療養補償給付、休業補償給付の支給請求をしたところ、控訴人は被控訴人の疾病は業務上の疾病に当たらないとして不支給処分とした。そこで被控訴人は、この不支給処分の取消しを求めて提訴したところ、第1審では、被控訴人の疾病は過重な業務に起因するものであるとして、控訴人の行った処分を取り消したことから、控訴人がその取消しを求めて控訴したものである。
主文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は、控訴人の負担とする。
判決要旨
1 業務起因性の判断基準について

 嚢状脳動脈瘤について、その発生や成長、破裂の機序を医学的に解明することはできないといわざるを得ないし、被控訴人の脳動脈瘤について、その発生から破裂に至る機序を明らかにする証拠はない。また、被控訴人の業務が直接の原因となって、嚢状脳動脈瘤が発生し破裂したことを認めるべき証拠もないし、被控訴人の身体に由来する先天的要因のみによって脳動脈瘤が発生し破裂したことを認めるべき証拠もない。そうしてみると、元々被控訴人において脳動脈瘤や血管病変の基礎疾患を有し、それが何らかの原因によって破裂したものとみるのが自然である。しかし、労働基準法及び労災保険法の趣旨に照らすと、被控訴人がそのような基礎疾患を有していたとしても、脳動脈瘤が破裂して本件発症に至る過程で、業務による過重な負荷を受け、基礎疾患をその自然経過を超えて増悪させたと認められる場合は、業務と疾患との間に相当因果関係があるというべきであり、業務起因性が肯定されると解するのが相当である。そして、相当因果関係の立証については、一点の疑義も許さない自然科学的照明ではなく、経験則に照らして特定の事実の存在を是認し得る高度の蓋然性を証明することと解されており、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである。

2 被控訴人の業務の過重性について

 一般にN航空における客室乗務員は、1ヶ月単位の変形労働時間制が取られ、頻繁なスケジュール変更と相俟って、勤務の開始・終了時刻が一定しておらず、1日の労働時間も日によって異なるのであって、不規則性を伴った業務といえるし、加えて、振動、騒音、タービュランスに曝露されたり、食事や休憩が満足に取れない、不審者への対応などの機内秩序維持に気を配らなければならないといったように、身体的・精神的ストレスにさらされやすい業務環境にある。また、国際線に乗務する場合は、長距離を数時間ないし十数時間もかけて乗務することがあり、時差や天候の急激な変化による心身の負担、かつ、早朝・深夜・徹夜時間等による心身の負担は相当なものがある。更に被控訴人はチーフパーサーをしていたものであり、機内における保安業務やサービス業務について最終的責任を負い、経験の浅い客室乗務員に対する教育・指導・指揮監督を行い、搭乗前にはメンバーのアロケーションチャートを作成したり、グループメンバーの成績考課を行ったりなど、特段の緊張を強いられやすい立場にもある。

 被控訴人の乗務の状況を見ると、本件発症前1年間において、デッドヘッドを含まない総乗務時間は870時間31分であり、乗務時間が80時間を超える月は1回しかなく、就業規則の定めが遵守されているほか、5回の成田・ニューヨーク便の乗務はいずれも30日のインターバルが確保されている。また、月に数回の深夜勤務や徹夜勤務もあるが、国際線においてはその後就業規則に定められた休日が確保され、国内線においてもその後の休日が確保されたり、出頭時刻の遅い乗務となっている。更に時間外労働は多い月でも数時間以下であり、専門検討会報告書で目安とされた月45時間を大きく下回っている。ところで、専門検討会報告の趣旨とする業務の過重性は、労働時間だけでなく、勤務の不規則性、拘束性、深夜業務を含む交替制勤務の状況、作業環境等の諸要因の関わりや業務に由来する精神的緊張の要因を考慮して、総合的に評価することが妥当である。被控訴人の業務は、時差の大きな地域間の飛行、不規則な日程で行われる深夜業務等により生体リズムが乱れる機会が多いほか様々な緊張にさらされる業務であるということができ、被控訴人の時間外労働時間数が上記目安を大きく下回っているからといって疲労が蓄積することは考え難いということはできない。むしろ、疲労の蓄積という性質及び被控訴人の業務の特質に照らすと、上記報告書の示唆する6ヶ月の間、被控訴人の業務が全体としてどのような実質を持ったものであったかについて、総合的に、時間の経過をも考慮して検討することが相当であると解される。

 このような観点からみると、本件発症前1年間のうち前半6ヶ月間における月間平均乗務時間は69時間03分であるが、後半6ヶ月間においては76時間02分で75時間を超過している。加えて、平成7年12月から平成8年4月までは、連続して月間乗務時間が75時間を超えており、5月についても本件発症がなければ月間75時間を超えることになるような密度の濃い乗務であったということができる。

 疲労の蓄積にとっては、ある時期の業務の負荷がそれ自体で過剰な負荷を生じさせることがなくても、一定程度の負荷を生じさせる業務が継続することが重要な意味を持つと考えられるところ、被控訴人の各月の乗務時間が月間85時間の就業規則の制限を逸脱していないとはいえ、年間900時間の制限を12分した月間75時間を超える乗務を5ヶ月連続しており、この間の一連の業務は80時間を超える乗務を2ヶ月連続することに少なくとも匹敵し、これをも優に超える程度の業務であるというほかなく、この結果、被控訴人に非常に大きな負荷を生じさせるものであるというべきである。業務の実質的内容については、平成7年12月以降、いずれも被控訴人に相当の負荷を生じさせる程度のものであったこと、1月から3月までの期間に、特別に負担の大きいニューヨーク便に3ヶ月連続で乗務したこと、その間の間隔は取決めにある30日ギリギリであったこと、被控訴人は平成7年10月に2日取って以降、本件発症まで有給休暇を取っていなかったこと、特に平成7年12月以降、スケジュール変更のうち、乗務の予定が休日等の非乗務に変更される回数に比べ、非乗務が乗務に変更される回数が格段に多かったことが認められる。

 以上に認定した通り、被控訴人の業務は、1ヶ月単位の変形労働時間制が取られ、頻繁なスケジュール変更など不規則性の高い業務であり、拘束時間が長く、深夜・徹夜業務、時差への対応等から心身の負担が大きい業務であるほか、機内における保安業務やサービス業務など身体的精神的ストレスにさらされやすい業務であり、その労働密度は相当なものであったということができる。そして、発症前6ヶ月間の被控訴人の毎月の乗務がいずれも75時間を超えていたこと、この間の乗務時間は同僚と比べても抜きん出ていること、業務内容はいずれも相当な負荷を生じさせる程度のものであったこと、これに加えて、この間、乗務時間及び業務の実質の両面からみてこのように相当負荷の大きい業務が6ヶ月間継続していたことを考慮すると、この間の業務は被控訴人に過重な負荷を生じさせ、疲労を蓄積させるに十分なものであったということができる。

 また、被控訴人は、4月頃以降顔色も悪く、自宅で寝ていることが多く、夫などに疲れを頻繁に訴えるようになり、5月には偏頭痛、右手のしびれ、肩の凝り、首の付け根あたりの張り及び鈍痛を訴え、本件発症の1週間前頃からは更にこれらの症状が強まり、食欲不振になるとともに吐き気を催すようになったというものであり、これらの諸状況は、被控訴人の心身に通常では考え難い疲労を蓄積していたことを窺わせるに十分ということができる。そして、被控訴人の本件疾病の発症については、その機序を明らかにする証拠はなく、また、脳動脈瘤破裂の危険因子という意見のある喫煙について、被控訴人に長期間にわたって1日11ないし20本の喫煙歴が認められるものの、この喫煙と本件発症の関係を明らかにする証拠もなく、他の危険因子が本件発症をもたらしたとする事情も認められない。
 以上に説示した被控訴人の基礎疾患の内容、本件発症に近接した時期における被控訴人の健康状態、本件発症前6ヶ月間の被控訴人の業務内容を総合考慮すれば、被控訴人の脳動脈瘤が本件発症当時その自然の経過によって一過性の血圧上昇があれば直ちに破裂するという程度に増悪していたとみることはできず、他に確たる増悪要因が認められない以上は、被控訴人が本件発症前に従事した業務による過重な精神的・身体的負荷が被控訴人の基礎疾患をその自然の経過を超えて増悪させ、その結果本件発症に至ったものとみるのが相当であり、その間に相当因果関係があるということができる。したがって、被控訴人の発症した本件疾病は、労働基準法施行規則35条別表第1の2第9号にいう「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当するというべきである。
適用法規・条文
労働基準法75条、労働基準法施行規則35条、労災保険法13条、14条
収録文献(出典)
労働判例929号18頁
その他特記事項