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M社化学物質過敏症事件

事件の分類
職業性疾病
事件名
M社化学物質過敏症事件
事件番号
大阪地裁 − 平成15年(ワ)第3841号
当事者
原告 個人1名
被告 株式会社
業種
卸売・小売業・飲食店
判決・決定
判決
判決決定年月日
2006年05月15日
判決決定区分
棄却(控訴)
事件の概要
 被告は、日用品雑貨の企画・販売を業とする株式会社であり、原告は、平成11年3月被告に年俸契約社員として入社した女性である。

 被告は、平成12年5月、改装工事を完了した新社屋に移転したところ、移転当時、建材、化学溶剤等の臭いがあり、特に通常使用されない商品展示室、サンプルルーム、会議室において化学溶剤の臭いが強かった。原告は、同月22日、新社屋で荷物の整理をしていたところ、事務所内にペンキのような臭いを感じ、吐き気や頭痛、鼻や喉の違和感、目やになどの症状が出た。原告はその後、サンプルルームにいると身体のかゆみを感じるようになり、じんましんが出、同年6月5日には激しい喉の痛みと39度を超す発熱があり、その後熱は下がったものの、喉の痛みと不快感が増し、発声が困難となり、アレルギー性鼻炎、急性扁桃炎と診断された。

 新社屋移転当時、原告の周りでも、多くの従業員から建材や有機溶剤のような臭いがする旨の話が出ており、特に会議室で会議しているとき、目を赤く腫らしたり、鼻水を出したりする者もいたが、原告以外は、その症状は徐々に軽減消失していった。原告は、マスクを常用して勤務していたが、微熱が続き、特にサンプルルームや会議室に長時間いるとその症状が重く、発熱や倦怠感があったため、診察・検査を受けたが、特に異常は見られなかった。原告は、同年7月31日から1週間仕事を休んだ後、同年8月7日に出社したが再び症状が出たため、同月11日から欠勤し、国立病院、大学付属病院などで受診して化学物質過敏症と診断された。原告は同年8月に労働基準監督署著に対し労災保険の請求をしたことから、同署が職場の空気中のホルムアルデヒドの濃度を検査したところ、平均で0.034ppm、最高で0.053ppmであった。平成15年1月、大学付属病院の医師は、原告の傷病名を化学物質過敏症、めまい症と診断し、平成16年3月には、症状の発現しない環境下での就労が可能となったことから症状固定とした。これを受けて労働基準監督署長は、平成17年10月12日、原告が後遺障害等級12級12号で症状固定したと認定し、労災保険より治療費101万円余、休業補償632万円余、障害補償120万円余を原告に支給した。
 原告は、被告の新社屋のホルムアルデヒドなどの有害化学物質に曝露し、その結果、めまい、咽喉頭痛、咳、鼻炎症状、全身倦怠感、自律神経失調症という化学物質過敏症に罹患したこと、被告には安全配慮義務違反があったことを主張し、被告に対し1520万1648円の損害賠償を請求した。
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
判決要旨
1 原告が化学物質過敏症に罹患したか否か

 原告は、平成12年5月22日に新社屋に移転した直後から吐き気や頭痛、鼻や喉の違和感等の症状を感じ、その後も新社屋の中にいると身体のかゆみや発熱、じんましん、全身の倦怠感が見られ、その症状は、新社屋内で建材等の臭いが強かった会議室にいた後に最もひどく、他方、帰宅したり、休日になると症状は治まったり、軽減したりしたこと、原告は同年7月下旬に、シックハウス症候群の疑いがあり、専門医療機関による精密加療の必要があると診断されたこと、同月31日から1週間の休暇を取り症状がやや軽快したことから出社するも、気分が悪くなり、鼻血や耳からの出血が見られ、直ぐに欠勤しなければならず、他の建物や乗り物の中に入ると鼻血や咳などの症状が発生するようになったこと、平成13年2月7日の検査の際、鼻咽喉頭に粘膜刺激症状が見られたほか、眼球運動テストでは異常所見があり、持続する頭痛や全身の倦怠感が見られ、微熱、下痢等の症状、興奮や不眠、皮膚のかゆみ等の所見が見られ、化学物質過敏症と診断されたことなどの症状の経過からすると、原告は、新社屋内に滞留する化学物質に反応するシックハウス症候群に罹患し、それを契機として化学物質過敏症になった可能性が高いといえる。

 ホルムアルデヒドの濃度は、新築・改装工事直後が最も高く、その後徐々に減少するところ、新社屋に移転してから約1年2ヶ月経過後に実施されたホルムアルデヒド濃度の検知管検査では、その平均値が0.034ppmであり、新社屋移転直後においてはそれよりも相当程度高かったものと考えられ、厚生労働省が定めた指針値である0.08ppm前後に達していた可能性もあること、原告は、前記検査で0.053ppmが測定された会議室において仕事に従事することもあったこと、新社屋移転当時、建材や有機溶剤のような臭いがしていたことは多くの従業員が話しており、原告以外にも新社屋内で目を赤く腫らしたり、咳が出る従業員がいたこと等に照らせば、原告が新社屋移転を契機としてシックハウス症候群に罹患し、その後化学物質過敏症に罹患したものと認めることができる。

2 被告の安全配慮義務違反について

 原告がシックハウス症候群ないし化学物質過敏症に罹患したと認められる平成12年5月ないし8月当時、厚生省においてホルムアルデヒドの室内濃度指数値を0.08ppmとすることが定められていたが、同省生活衛生局長が各知事等に対し室内濃度指数値等の通達を発したのは同年6月であり、厚生労働省労働基準局長が各労働局長宛てに、事業者に対しホルムアルデヒドによる労働者の健康リスクに関する通達を発出したのは平成14年3月である。そうすると、被告においては、原告が新社屋においてホルムアルデヒド被害を受けた当時、原告が管理者に具合が悪いことを伝え、勤務中マスクを装着していたとしても、直ちに原告の症状が新社屋の改装に伴って発生したホルムアルデヒド等の化学物質によるものと認識し、必要な措置を講じることは不可能又は著しく困難であったということができる。
 確かに、被告は、商品開発や販売において、化学物質について注意をしていたことは認められるが、前記認定のホルムアルデヒド等の化学物質の規制状況からすると、従業員が新社屋から建材等の臭いがすると話していたこと、目が赤くなる者がいたことなどから直ちに新社屋で化学物質が発生し、それがシックハウス症候群ないし化学物質過敏症に罹患する程度の危険性を有するものであるとまで認識することはできなかったと考えられる。また、原告は、平成12年8月7日に職場復帰した際の被告の対応を問題視するが、医師から新社屋の空気清浄の必要性の指摘を受けて1週間程度しか経過していなかったのであるから、被告に対し、この間に必要な調査や適切な対策を講じることを義務付けることはできず、被告の義務違反を認めることはできない。したがって、被告は、原告が新社屋に勤務していた平成12年5月22日から同年8月10日までの間に、新社屋からホルムアルデヒド等の化学物質が発生し、それを原因として、原告がシックハウス症候群ないし化学物質過敏症に罹患したと認識し、必要な措置を講じることは不可能又は著しく困難であったということができ、被告に安全配慮義務違反があったということはできない。
適用法規・条文
民法
収録文献(出典)
労働判例952号81頁、判例タイムズ1228号207頁
その他特記事項
本件は控訴された。