判例データベース
社団法人N会化学物質過敏症事件
- 事件の分類
- 職業性疾病
- 事件名
- 社団法人N会化学物質過敏症事件
- 事件番号
- 大阪地裁 − 平成16年(ワ)第6715号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 社団法人 - 業種
- サービス業
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2006年12月25日
- 判決決定区分
- 一部認容・一部棄却(控訴)
- 事件の概要
- 被告は、医療救護等を目的とし、大阪H病院(被告病院)を設置している社団法人であり、原告(昭和30年生)は、看護師の資格を有し、平成7年から正従業員として被告病院に勤務した女性である。
原告は、平成10年5月から午前は整形外科、午後は検査科の配属になり、検査科において、ステリハイドを使用して器具の洗浄を行っていた。原告は、この作業を長袖の予防着を着用し、プラスチック製の手袋を2枚重ねて作業していたが、被告病院においては、看護師に対し、防護マスクや防護ゴーグルなどの防護用具の着用の指示をしたことはなかった。
原告は、検査科に配属になって以降、鼻粘膜や咽喉粘膜に違和感を感じ、医師にその旨を訴えたところ、同医師からステリハイドを吸入したことによる刺激症状と考えられるので耳鼻科診断を要するとの診断がされた。原告は、消毒液がステリハイドからサイデックスに変更された平成11年1月以降も咽頭痛が継続し、平成12年1月からはアレルギー性鼻炎、結膜炎などの治療薬を処方された。原告は、同年6月からサイデックスを使用しない外科に、同年11月からは小児科に配属になったが、同年11月頃から、サイデックスの臭気だけで口内炎が出るようになり、その後口内炎が増悪し、歯肉炎、気道の粘膜の刺激症状があったことなどから、平成13年6月末に被告病院を退職した。
原告は、平成13年7月8日に労働基準監督署に労災保険給付の請求を行い、平成16年8月6日、労災と認定されて療養補償給付の決定を受けた。原告は平成14年10月頃大阪産業保健推進センターの医師から、化学物質過敏症ではないかとの診断を受け、他の病院においても同様の診断を受けた。そこで原告は、検査機器を洗浄する際に使用した消毒液に含まれるグルタルアルデヒドの影響で化学物質過敏症に罹患したこと、被告には安全配慮義務違反があったことなどを主張し、被告に対し、後遺障害逸失利益1293万8960円、通院慰謝料300万円、後遺障害慰謝料600万円、弁護士費用226万2486円など、総額2488万7347円の損害賠償を請求した。 - 主文
- 1 被告は、原告に対し、1063万8113円及びこれに対する平成16年6月19日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は、これを2分し、その1を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
4 この判決は、第1項に限り仮に執行することができる。 - 判決要旨
- 1 グルタルアルデヒドと原告の症状との因果関係
原告の症状経過からすると、原告はグルタルアルデヒドに曝露した結果、化学物質過敏症に罹患したと認めることができる。確かに、化学物質過敏症の病歴や発生機序については未解明な部分が多く、中毒やアレルギーといった既存の疾病による患者が含まれていることが指摘されているところではあるが、微量の化学物質に反応し、非アレルギー性の過敏状態の発現により精神・身体症状を示す病態が存在することが否定されているわけではない。また、原告はグルタルアルデヒドを組成物とするステリハイドやサイデックスという消毒剤を使用する換気が不十分な透視室で作業に従事していたことや、検査科に配属になる前と後では原告の症状が明らかに異なることに照らすと、原告の症状は透視室内で発生したグルタルアルデヒドの蒸気に反応したことにより化学物質過敏症に罹患したものと認めることができる。
2 被告の安全配慮義務違反
使用者は、雇用契約の付随義務として、労働者に対し、使用者が業務遂行のために設置すべき場所、施設若しくは器具等の設置管理又は労働者が使用者の指示のもとに遂行する業務の管理に当たって、労働者の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負っている。
平成7年頃からグルタルアルデヒドの医療従事者に対する危険性が具体的に指摘されており、原告が被告病院検査科に配属されていた当時、医療従事者がグルタルアルデヒドの蒸気により眼、鼻などの刺激症状という副作用が生じることが認識されていたということができる。そして、原告は、平成10年6月2日に被告病院の衛生管理者であった医師に対し、鼻粘膜と咽頭粘膜の刺激を訴え、同医師よりステリハイド吸入による刺激が考えられる旨診断され、その後も咽頭痛が継続し、被告病院において診察・治療を受けていたのであるから、長時間グルタルアルデヒドを吸入する可能性のある透視室に勤務していた原告の業務内容からすると、被告において、原告の刺激症状が透視室での洗浄消毒作業に起因するものと認識することは十分に可能であったということができる。
被告は、原告が化学物資過敏症に罹患することを予見することは不可能であったと主張するところ、確かに、グルタルアルデヒドの曝露によって化学物質過敏症に罹患するとの指摘がされたガイドラインが発行されたのは平成16年3月であり、原告の症状につき化学物質過敏症との診断がされたのは原告が被告病院を退職した後であって、原告が被告病院に勤務していた当時、原告が化学物質過敏症に罹患し、あるいは罹患するであろうことを認識・予見することは困難であったことは被告の主張する通りである。しかしながら、被告の労働者に比較的軽微な症状が出現し、それが被告の業務に起因する疑いが相当程度あり、その症状が一過性のものかより重篤なものになるか定かでない場合、被告において容易に原因を除去し、あるいは軽減する措置を採ることができるときは、そのような措置を講じるべき義務があるというべきであり、特段の措置を講じることなく、従業員の症状経過を観察していた場合には、被告は上記義務に違反したというべきである。
しかるに、本件においては、原告のグルタルアルデヒドの吸入によって発生したと考えられる刺激症状が一過性のものであるか、より重篤なものになるかは定かではなかったのであるから、被告において、容易に原因を除去し、あるいは軽減する措置を採ることができた場合は、そのような措置を講じるべき義務があったというべきである。しかるに、被告病院の透視室には換気扇がなく、排気口は天井付近に1つあっただけであり、放射線管理区域であったために戸を自由に開放することができず、換気が十分でなかったのに、被告病院では、看護師に対して防護マスクやゴーグルの着用を指示せず、透視室では検査後にグルタラールの製剤を漬けた雑巾で透視台や床を清拭させていたのである。防護マスクやゴーグルの着用を原告に指示することは極めて容易であり、それによりグルタルアルデヒドの吸入を減らすことができ、原告の症状は相当程度軽減していた可能性が高く、被告はそのような措置を講じるべき義務に違反したということができる。
原告は、当時のグルタルアルデヒドの曝露による危険性の認識からすると、防護マスクやゴーグルの着用について看護師の自主性に任せる対応は常識的なものであったと主張するところ、現に原告がグルタルアルデヒドの吸入により刺激症状を起こした疑いが相当程度あったのであるから、他の看護師に対してはともかく、原告に対しては防護マスクやゴーグルの着用を指示すべきであったということができ、何らの指示をしなかったことは使用者として適切さを欠き、安全配慮義務に違反するというべきである。
3 損害額
原告は、化学物質過敏症に罹患したことにより、医療現場での勤務が到底できない状況にあるが、原告は家事一般を担当していることが認められるから、かかる後遺障害は、後遺障害等級12級に相当する14%の労働能力を喪失したとみるのが相当である。原告の症状固定時49歳であったから、労働能力喪失期間18年で計算すると、517万5362円となる。また、通院慰謝料は150万円、後遺障害慰謝料280万円が相当であり、弁護士費用は100万円が相当である。 - 適用法規・条文
- 民法415条、709条
- 収録文献(出典)
- 労働判例936号21頁
- その他特記事項
- 本件は控訴された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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