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S会(J総合病院)女医うつ病自殺事件【うつ病・自殺】
- 事件の分類
- うつ病・自殺
- 事件名
- S会(J総合病院)女医うつ病自殺事件【うつ病・自殺】
- 事件番号
- 大阪地裁 - 平成17年(ワ)第5021号
- 当事者
- 原告 個人2名A、B
被告 財団法人 - 業種
- サービス業
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2007年05月28日
- 判決決定区分
- 一部認容・一部棄却(控訴)
- 事件の概要
- 被告は、J総合病院(被告病院)を開設する財団法人であり、Mは平成14年1月から被告病院において麻酔科の研修医として勤務していた女性であって、原告らはMの両親である。
Mは、平成14年3月の外来診察中にてんかん発作で倒れたことから、手術中の痲酔をMが担当する際には痲酔科のG医師が必ず立ち会うなど配慮したこともあって、勤務中に発作が出現することはなかった。平成15年2月11日、Mは当直勤務での診察中にてんかん発作で意識を失った後自宅療養し、同年3月11日に業務に復帰したが、復帰後は、それまで月3回程度あった当直勤務が月1回程度に軽減され、Mの痲酔についてはG医師が必ず立ち会う態勢が採られた。その後Mにうつ症状が顕れたことから、G医師は再三受診を勧めたがMはこれを頑なに拒否し、うつ症状が同年11月頃から激しくなったため、被告病院長はMに対しゆとりのある病院で勤務するよう異動を示唆した。
平成16年1月5日、Mは手書きの辞職届と「静かに過ごしていなくなってしまうので、探さないでください。」という内容のメモを残したまま、行方不明となった。G医師はMが自殺を企てるおそれがあるとして、病院長、教授らに連絡するとともに、Mの姉に連絡をしたが、Mから両親である原告らには絶対に連絡しないように告げられていたため原告らには連絡をしなかった。翌6日、Mは被告病院に定時に出勤し、6日は午後9時57分まで、7日は午後11時57分まで、8日は午後8時10分まで、9日は午後9時まで、10日は午後6時55分まで、11日(日曜日)には午前9時から翌12日(祝日)午前9時まで当直勤務をし、同日午後零時22分から午後7時54分まで痲酔科外来病棟にて勤務した後、翌13日、被告病院内において、痲酔薬を自己の静脈に注射する方法により自殺した。
原告らは、Mの自殺の原因は被告病院における過重な業務によってうつ病を発症し、これを増悪させ、更にうつ病発症後も被告が適切な措置を執らなかったことにあり、被告は安全配慮義務を怠ったとして、逸失利益1億4623万7000円、死亡慰謝料3000万円、葬儀費用150万円、弁護士費用1000万円を請求した。 - 主文
- 1 被告は、原告Aに対し、3836万6585円及びこれに対する平成16年1月13日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告は、原告Bに対し、3836万6585円及びこれに対する平成16年1月13日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 原告らのその余の各請求を棄却する。
4 訴訟費用は、これを2分し、その1を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。
5 この判決は、第1項及び第2項に限り、仮に執行することができる。 - 判決要旨
- 1 被告病院における業務とMの自殺との相当因果関係
死亡前半年間(平成15年7月17日から平成16年1月12日まで)におけるMの労働時間のうち所定労働時間を上回る部分は次のとおりである。
(1)1ヶ月前 105時間32分
(2)2ヶ月前 121時間45分
(3)3ヶ月前 123時間40分
(4)4ヶ月前 104時間45分
(5)5ヶ月前 37時間55分
(6)6ヶ月前 84時間06分
以上のとおり、Mの労働時間は相当長時間に及んでいるが、上記の労働時間は必ずしも実働時間を示しているものではない。すなわち、Mは勤務終了後被告病院に留まっていたこともあり、労働時間中における休憩の取得状況や具体的な実働時間については不明であるから、上記の労働時間の長さのみをもって直ちに被告病院における業務が過重なものであったということは困難である。また、Mはてんかんに罹患しており、平成15年2月の当直勤務中にてんかんに起因するけいれん発作を発症させ、翌月に職場復帰した頃から気分の変調が顕著となり、うつ状態が出現しているなどの経緯からすると、てんかんの罹患あるいはてんかん発作により思い通りに業務ができないことへの苛立ちや嫌悪感といったものがうつ病発症にかなり影響していたと考えられるところであって、被告病院における業務のみによってうつ病に罹患したと認めることはできない。
Mは、平成15年11月からうつ状態が激しくなったことから、被告病院は業務のより軽い病院へ異動させるべく行動していることからすると、この時点においてMの症状は業務に著しく支障を来す程度に悪化していたものと認められる。そして、被告病院におけるMの業務は拘束時間が長時間に及ぶものであること、精神的緊張を強いられるものであること、Mは未だ経験が浅く、経験を積んだ痲酔科医には簡易な業務であっても負担を感じることがあったと考えられること、勤務時間外でも緊急手術等のため呼び出しを受ける可能性があるため、時間的な制約だけでなく心理的にも完全に解放されることがないなど、執務外における負担も決して小さいものとはいえないことからすると、被告病院において一定の負担軽減措置を講じてはいたものの、Mにとっては被告病院の業務が相当過重になっていたものということができる。特に、Mは平成16年1月5日に自殺を予告するようなメモを残して失踪して以降も、従前と同様の業務を担当し、同月7日には午前9時から午後11時57分まで、同月11日には午前9時から翌日午前9時までの当直勤務も行っていたのであって、通常の心理状態ではないMにとってかかる業務は明らかに過重であったというべきである。
Mの自殺理由については定かでない面があるものの、自殺に至る経緯からすると、Mはうつ病が悪化し、てんかん発作も出現するなどして思うように業務ができなかったところ、仕事熱心で自分自身に対する要求水準が高い性格もあって、将来に対する絶望感から自殺するに至ったものと推認することができる。そうすると、被告病院における業務がMの自殺の主要な要因になっていたということができ、業務とMの自殺との間には相当因果関係を認めることができる。
2 安全配慮義務違反の有無
一般に、使用者は従業員との間の雇用契約上の信義則に基づき、従業員の生命、身体及び健康を危険から保護するように配慮すべき義務(安全配慮義務)を負い、その具体的内容として、労働時間、休憩時間、休日、休憩場所等について適正な労働条件を確保した上、労働者の年齢、健康状態等に応じて従事する作業時間及び内容の軽減、就労場所の変更等適切な措置を執るべき義務を負うところ、Mは被告病院において痲酔科医として勤務していたのであるから、被告病院はMに対し前記義務を負っていた。
そして、被告病院におけるMの業務は、労働時間の質量ともに決して軽いものではなく、被告病院長においても、平成15年12月までにはMを異動させる方針を固めていたのであるから、被告病院としては、その時点でMに休職を命じるか、業務負担の大幅な軽減を図るなどの措置を採り、Mに十分な休養を取らせるべき注意義務を負っていたというべきである。とりわけMがメモを残して失踪した後にあっては、Mが自殺する危険性が顕在化し、かつ切迫した状況にあったのであるから、より一層Mの健康状態、精神状態に配慮し、十分な休養を取らせて精神状態が安定するのを待ってから通常の業務に従事させるべき注意義務があったというべきである。しかるに、被告病院長は、Mの業務負担を適宜の方法により軽減する措置を採りつつも、Mを引き続き勤務させ、Mが失踪し自殺の危険性が顕在化した段階においても、Mの業務を軽減するための措置を具体的に講じることなく、当直勤務を含め、通常通りの業務に引き続き従事させていたのであるから、Mに対する安全配慮義務を怠ったというべきである。
Mから休職の申し出がないのに、無理に休職させることによってかえって症状が悪化する可能性もないわけではなく、Mが休んだ場合にもG医師が対応できる態勢を整えた上でMに業務を継続させたことがあながち誤りであったということはできず、絶えずMをフォローしていたG医師の熱意と努力は並大抵のものではなかったことは容易に理解できる。しかしながら、平成16年1月5日には自殺を示唆する言動があり、非常に深刻な事態になっていたのであるから、それ以降においては、被告病院での業務をさせるのではなく、いかに両親との不仲を聞かされていたとしても、両親である原告らに連絡し、まずMの安全を確保し、精神科を受診させ、精神状態が安定するのを待って、Aの今後の業務について相談すべきであったということができ、被告病院においてそのような措置を講ずることなく、Mを通常の業務に従事させたことは、安全配慮義務に違反し、違法というべきである。以上により、被告は民法715条に基づき、Mの死亡により生じた損害を賠償する責任を負う。
Mがうつ病に罹患し、悪化するに至ったことにつき、Mのてんかんの既往症が影響していることは否定し難いところであり、また、MはG医師から再三勧められたにもかかわらず精神科による診療を受けなかったことが、うつ病を悪化させ自殺するに至らせたものと考えられる。かかる事情について、Mの病状を考慮すると、損害賠償額を算定するに当たり、これを全面的に被告の負担に帰することは公平を失するというべきであるから、民法722条2項の規定を類推適用して損害額から相当額を控除するのが相当であり、本件においては損害額の30%を減額するのが相当である。
3 損害額
Mは平成15年1月から12月までの間に733万4912円の収入を得ていたことが認められるが、研修を終えた後は更に高額の収入を得る蓋然性が高かったものと考えられる。したがってMの死亡逸失利益を算定するに当たっては、平成16年賃金センサスによる医師平均賃金1227万6600円を基礎とすべきであるが、Mの病状からすると、ある程度休養を取りながら医師業務を行わざるを得なかったものと考えられ、前記平均賃金の70%をもって基礎収入と定めるのが相当である。生活費控除率については、Mが当時独身であったことや収入を考慮すると50%とするのが相当であり、就労可能期間は死亡時から67歳に達するまでの39年間(対応するライプニッツ係数は17.0170)として死亡逸失利益を計算すると、7311万8815円となる。
被告病院におけるAの業務の状況、死亡時の状況など一切の事情を考慮すると、Mの死亡慰謝料は2500万円、葬儀費用は150万円となり、30%の過失相殺をすると、残額は6973万3170円となり、これを原告らは2分の1ずつ相続し、弁護士費用は原告らにつき各350万円を認めるのが相当である。 - 適用法規・条文
- 民法715条、722条
- 収録文献(出典)
- 労働判例942号25頁
- その他特記事項
- 本件は控訴された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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