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新婚女性心因反応退職事件

事件の分類
セクシュアル・ハラスメント
事件名
新婚女性心因反応退職事件
事件番号
さいたま地裁 − 平成18年(ワ)第892号
当事者
原告個人1名

被告個人1名
業種
サービス業
判決・決定
判決
判決決定年月日
2007年12月21日
判決決定区分
一部認容・一部棄却
事件の概要
 原告(昭和51年生)は、A社本社に勤務する女性であり、被告(昭和35年生)は、A社営業部神奈川甲信エリアに勤務し、医師等に対し医薬情報を提供する職務に就いていた男性である。

 原告と被告は、平成15年10月頃から一緒に営業を回るようになり、被告は原告が婚約していることを知りながら、原告をスキーや温泉に誘ったり、冗談半分にキスを求めたり、原告の新婚生活や夫の収入などを興味本位に質問したりした。

平成16年1月22日、原告と被告は自動車で得意先の病院を訪問した帰路、被告が原告の新婚生活について「すぐにでも子供ができる」などと話をし、原告が取り合わない姿勢を見せたところ、被告は「じゃ、僕とキスしよう」と言って、シートベルトをしたまま、上半身を原告の側に倒すようにしてキスをしようとした。原告は両手で顔面を隠して大声で叫んだが、被告はそのまま顔を近づけて原告の手の甲に顔を接触させた(本件行為)。原告は「これってセクハラですよね」と抗議したが、被告は「原告とキスができた」と、謝罪せずに笑みを浮かべていた。
原告は、本件行為当時新婚1ヶ月であったが、被告の行為により著しい精神的苦痛を受け、心的外傷体験による心因反応と診断されて、平成17年11月12日付けで退職を余儀なくされたとして、慰謝料500万円、治療費183万4620円、休業及び退職による逸失利益1653万5650円、弁護士費用150万円を請求した。これに対し、被告は当初からセクハラ行為を認め、原告に謝罪文を送って賠償の意思を示していること、本件行為は軽微かつ一時的なものであって原告に症状が表れ治療費が生じたとしても、本件行為との間に相当因果関係はないこと、被告と原告は離れて勤務・居住しているから、原告の勤務継続に支障はなく、原告の退職と本件行為とは無関係であることを主張し、支払うべき慰謝料の額は50万円が相当であるとして争った。
主文
1 被告は、原告に対し、231万8360円及びこれに対する平成16年1月23日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2 原告のその余の請求を棄却する。

3 訴訟費用はこれを17分し、その15を原告の、その余を被告の負担とする。
4 この判決は、第1項につき、仮に執行することができる。
判決要旨
 被告は原告に対して本件行為に至るまで、被告との男女関係を意識させる発言や、新婚生活や妊娠に関する発言を数回にわたって行っていることが認められる。このような発言が女性である原告に嫌悪感や羞恥心を覚えさせるものであることは多言を要しない上、本件では原告はそのような発言をまともに取り合わなかったというのであるから、このような原告の反応を見れば、被告は原告がこれらの話題を嫌悪していたことを当然認識するべきものであった。本件行為は、上記のような経緯の下で起こったものであり、被告は原告が自分に好意を持っていると勘違いし、原告に対する愛しい感情が高ぶって気持ちが抑えられなかったと供述するが、本件行為が一方的で無神経な行為であることは疑いようがないのであり、原告の人格権を侵害する不法行為に当たるというべきである。したがって被告は、原告に対して損害を賠償する責任があるというべきである。

 原告には、本件行為をきっかけにして、思考・運動制止、興奮、憂鬱気分、希死念慮、不眠、易疲労性、不安、胃炎、下肢の傷みと歩行困難等の心身症、湿疹や皮膚の過敏等の症状が出ていることが認められるが、本件行為自体はごく短時間のことであり、行為態様もそれほど激しいものではないから、本件行為によって上記のような重篤な症状が出ることは通常生ずべき結果とはいえない。

 原告は、本件行為に至るまで、既に内心では被告に対する不愉快な思いや被告と一緒にいることのストレス等を抱えていたと推認され、被告はこれら事情について当然に認識し得たものというべきである。本件行為は、被告が原告に対してキスを求めたものであるが、キスは軽い冗談でする場合もあり得るものの、精神的な繋がりを前提にした重要な行為として捉える者も少なくない。そして後者の場合には、意に反してキスを迫られることに対しその人が極めて強い嫌悪感を抱くことは容易に想像することができる。このようなセクハラ行為が女性に対して屈辱感や羞恥心を与え、自尊心を傷つけるものであることは明らかである。更に被告が、A社の社員行動指針に反してもしっぽを捕まれないようにする旨の発言をしたことがあったことからすれば、原告は、被告からのセクハラ被害が救済されず泣き寝入りせざるを得ないかも知れないという無力感や閉塞感を抱いていたものと推察される。そうすると、本件行為に至る経緯の下で本件行為が行われることは、原告にとって既に蓄積されたストレスや不快感、怒りなどの感情が整理しきれずに精神のバランスを崩す契機となるには十分なものであったというべきであり、一時的に原告の精神状態に看過できない影響を及ぼすかも知れないことは一般に予見可能であったものと認めるべきである。

 他方、本件行為に至るまで、原告がその内心を明確に被告に対して示したことはなく、外見上は不快に思う気持ちは表していたものの、被告と原告は数回会って営業活動をしたに過ぎず、原告がセクハラ被害に対して特に傷つきやすい女性であることを被告が認識していたという特別な事情も認められないから、本件行為が原告に対して、長きにわたり深く苦しめるような著しい精神的衝撃を与えることになることを被告が予見することは困難であったというべきである。しかし被告は本件行為によって原告に対し一時的に看過できない精神的衝撃を与えることは予見可能であったから、被告は原告に対し、そのような精神的衝撃が原告の心身に対して通常及ぼす影響に係る損害について賠償責任を負うというべきである。

 このような観点から、原告に生じた症状等のうち、本件行為に至る事情、本件行為の態様及び当該行為に対する一般的な感受性を前提として、本件行為が女性に与える精神的影響の限度において本件行為との間に相当因果関係があるものに限って損害を認めるべきである。そして、近年心理的な問題についてアドバイスを受ける機会が増えていること、一旦心身のバランスを失うと回復まで一定の期間を要する場合が多いことなどの事情からすると、本件行為から1年間の心療内科の診療に係る治療費11万8360円については、本件行為との間に相当因果関係のある損害として認めるべきである。

 本件行為によって原告が退職に至ることが通常起こるべきこととみるのは困難であり、原告に対するA社の対応策が原告を更に追いつめることになったり、セクハラ被害を公表したことによって原告の在職関係が維持できないような事態に陥ることを被告が予見することは困難である点も考慮すれば、被告が、本件行為によって原告が退職せざるを得ない状況になることについて予見可能であったということはできない。したがって、原告の退職と本件行為との間に相当因果関係を認めることはできない。
 本件行為が原告に著しい精神的衝撃を与え、それがもとで原告は心と体の健全なバランスを失い今なお様々な症状に苦しんでいること、幸せなはずの新婚生活が一変し、退職するに至ったことなど原告の精神上の苦痛は甚大であったといわざるを得ない。そうすると、そのような重大な結果を予見することは被告にとっても困難であること、被告が事実関係を認め、行為を反省して謝罪していることなどの事情を考慮すると、本件行為によって生じた原告の精神的苦痛を慰謝するための慰謝料は200万円とするのが相当であり、弁護士費用は20万円と認めるのが相当である。
適用法規・条文
02:民法709条,
収録文献(出典)
その他特記事項