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熊谷うつ病自殺事件【うつ病・自殺】

事件の分類
うつ病・自殺
事件名
熊谷うつ病自殺事件【うつ病・自殺】
事件番号
東京地裁 - 平成12年(ワ)第14717号
当事者
原告 個人1名
被告 株式会社(A)、株式会社(B)
業種
製造業
判決・決定
判決
判決決定年月日
2005年03月31日
判決決定区分
一部認容・一部棄却
事件の概要
 被告Aは、精密機械・器具等の製造・販売等を主たる業とする株式会社であり、被告Bはソフトウェアの開発・設計・作成等の労務の請負を業とする株式会社である。T(昭和50年生)は、平成9年10月27日に被告Bに入社し、被告Aの熊谷製作所に配属され、主としてステッパーの完成品検査作業に従事していた。

 同年12月以降、Tは被告A従業員の交替勤務と同様のシフトで業務に従事し、毎月の夜勤は概ね6〜8日にもなり、休日労働はほぼ毎月行われ、平成10年7月には夜勤が7日に達した。平成11年1月14日から、Tは連続15日間に及ぶソフト検査自習に従事し、その後Tは頭痛等を訴え、味覚が鈍磨し、著しく体重が減少するなどしたことから、母親である原告に対し被告Bを退職する旨伝えた。Tは同年2月22日及び23日に欠勤し、翌24日上司に対し同月末で退職したい旨告げたが、上司は契約上の定めがあるのでそれは難しいは回答した。その後Tは同月27日及び28日無断欠勤し、その後連絡がつかないまま、同年3月10日に自殺した。
 原告は、Tは過重労働によりうつ病を発症して自殺に至ったとして、被告A及び被告Bに対し、安全配慮義務違反ないし不法行為に基づき、逸失利益、慰謝料など総額1億4455万5294円の支払いを請求した。
主文
1 被告らは、原告に対し、連帯して、2488万9471円及びこれに対する平成11年3月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2 原告のその余の請求をいずれも棄却する。

3 訴訟費用はこれを6分し、その5を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。
4 この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。
判決要旨
1 Tの業務の過重性

 Tの時間外労働・休日労働は、被告B入社から平成11年2月までの約1年6ヶ月間で434時間半であり、そのうち一番多かったのは平成10年7月の103時間、次は平成11年1月の77時間であった。そして、平成10年7月には出張が含まれ、平成11年1月には15日間連続勤務が含まれ、いずれの月も昼夜交替勤務が含まれている。医学的見解等のとおり、昼夜交替勤務・深夜勤務について、(1)夜間睡眠と比較して昼間睡眠の量・質が低いこと、夜勤が慣れないこと等により睡眠障害・消化器疾患等が生じ、慢性疲労が生じている、(2)仮眠には前記障害等に対し効果がある等と指摘され、(3)夜勤時の時間外労働をできる限り制限すべきである、(4)各夜勤の間隔時間を十分に取るべきである、(5)夜勤中には仮眠を取るようにすべき旨の指摘もされていることに照らすと、Tの昼夜交替勤務は通常以上の身体的精神的負担があったといえる。確かに被告Aが主張するように、夜勤間の間隔を空け、休日を増やすなど配慮がなされているが、3日間夜勤が連続する際の夜勤間の間隔は13時間しかなく、Tは夜勤時に時間外労働をしており、Tの身体的精神的負担に関する前記認定を覆すとはいえない。

 被告Aが、平成10年春先に、請負社員・派遣社員の縮小方針を打ち出した中、Tは原告に対し、大幅なリストラの噂を訴え、同僚の解雇について不安を訴えていることが認められ、Tにとって解雇の不安は通常以上の精神的負担になっていたといえる。被告Aの社員は、人材派遣あるいは業務請負等の契約形態を問わず、外部からの就労者を派遣社員と呼んでいたこと及びTに対するシフト変更、残業指示等の業務上の指示は、被告Bを通さず、被告Aが直接行っており、更に人材派遣で作業している者と業務請負の形態で作業している者との間で、被告Aの労務管理等における対応が格別異なるとはいえないことに照らせば、労働者派遣事業法の潜脱があったかどうかは格別、外部からの就労者は人材派遣、業務請負等の区別なく、被告Aの労務管理のもとで業務についていたといえる。

 Tは、被告Bに入社後、昼勤でステッパーの社内検査に従事し、平成9年12月15日より昼夜交替勤務に変更され、平成10年3月には台湾に過度の時間外・休日労働を伴う納入検査のための出張を行い、同年7月には過度の時間外・休日労働を行うとともに、宮城県に納入検査のための出張に行き、同年夏頃には解雇の不安に襲われ、同年9月から10月にかけて夜勤を昼勤に変更され、同年11月より昼夜交替勤務に再度変更され、同年12月には再度台湾に出張に行き、翌年1月には過度の時間外・休日労働を行い、同月24日から同年2月7日までの時間外・休日労働を含んだ連続15日間の初めてのソフト検査実習に従事した。以上によれば、Tの業務においては、時間外・休日労働が連続して100時間にも及ぶというような明確な数値として表れてはいないものの、十分な支援体制がとられていない状況下において過度の仕事量ないし勤務・拘束時間の長時間化があり、またTは過度の身体的精神的負担を伴う勤務形態及び勤務環境において勤務し、更に解雇の不安に襲われていたといえる。そして、通常以上の身体的精神的負担があったと認められる内容及び程度に照らせば、Tの業務には精神障害を発病させるおそれがある強い心理的負担があったと評価することができる。

2 Tのうつ病罹患の有無及び業務起因性

 Tは、昼夜交替勤務が始まるまでは精神及び身体上特に問題なく業務に従事していたが、昼夜交替勤務開始後は、不眠、胃の不調、下痢等を訴え、出張後は疲労感、味覚鈍麻、摂食量の低下等がみられた。平成10年9月から一旦夜勤がなくなり、同年11月中旬から再度昼夜交替勤務に従事してから、記憶力・集中力の低下、激しい頭痛、胃痛、疲労感を原告に訴え、平成11年になって体重が入社時の60kgから52kgまで減少し、被告Bに退職を申し出たが回答をもらえなかった。以上に加え、Tは通常以上の身体的・精神的負担のある業務に従事し続けたことにより、強い心理的負担に襲われ、精神障害の兆候とも見られる睡眠障害、疲労感、味覚鈍麻、嗅覚鈍麻、摂食量の低下、体重の減少等が生じていたところに、15日連続の過度の時間外労働・休日労働を伴った心理的負荷の高いソフト検査実習を行ったため退職を申し出るに至っており、遅くともソフト検査実習時には、Tはうつ病に罹患していたものと認められる。

 労働省通達においては、ICD-10第5章のF0からF4に分類される多くの精神障害では、業務による心理的負荷によって精神障害が発生したと認める者が自殺を図った場合には、精神障害によって正常の認識、行為選択能力が著しく阻害され、又は自殺行為を思い止まる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われたものと推定し、原則として業務起因性が認められ、前記以外の精神障害にあっては、当該精神障害と自殺との関連について検討をする必要があるとしている。Tは、ソフト検査実習後には、うつ病に罹患していたということができ、Tの業務には精神障害を発病させるおそれがある強い心理的負担があったといえる。そして、うつ病の場合、急激に病状が進行して自殺に至ることがあるとの医学的知見に照らせば、Tの自殺の原因の重要な部分は業務の過重性に基づくうつ病にあるというべきであり、業務起因性を肯定することができる。

3 被告らの安全配慮義務違反ないし不法行為責任の有無

(1)被告Aの安全配慮義務違反ないし不法行為責任

 被告Aの本件製作所において勤務する外部からの就労者は、人材派遣あるいは業務請負等の契約形態の区別なく、被告Aの労務管理の下で業務に就いていたといえる。そして、Tもシフト変更、残業指示及び業務上の指示を被告A社員より直接受け、それに従って業務に就いていたのであるから、Tは被告Aの労務管理の下で業務に就いていたといえる。とするならば、被告AはTに対し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負担等が過度に蓄積してTの心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負担していたといえる。

 そして、被告Aは、(1)平成10年7月及び平成11年1月の過度の時間外・休日労働、(2)過度の時間外・休日労働を含んだ海外出張、(3)平成11年1月24日から同年2月7日までの連続15日間の初めてのソフト検査実習、(4)仮眠も取れない夜勤を含む昼夜交替勤務、(5)クリーンルーム内での検査作業、(6)請負社員・派遣社員の縮小方針による解雇の不安につき、Tに対しカウンセリングを行い、休養を取らせるとか、業務を軽減するなどの措置をとることは可能であったといえる。にもかかわらず、被告Aは15日間連続勤務の終了日である平成11年2月7日以降、同月10日から通常の2交替勤務に就かせたものであり、Tは同月15日からの3日連続の夜勤が終了した後は、もはや就労に復帰することはできなかった。

 被告Aは、Tに対し、昼夜交替に就く際の健康診断を実施しているが、このような定期的な健康診断のほかは、業務に伴う身体的・精神的負荷を軽減する措置を講じたことを認めるに足りる証拠はない。以上によれば、被告Aには、本件に関し安全配慮義務を怠った(過失があった)ということができる。そして、うつ病と自殺の関係についての医学的知見をも考慮に入れると、Tがうつ病に罹患し、自殺を図ったことについて業務起因性が肯定される以上、被告AはTに対し、その安全配慮義務違反に基づく責任を負い、更に不法行為責任を負うものである。

 労働者が死亡している事案において、使用者側が労働者の健康状態の悪化を認識していない場合、気付かなかったから予見できないとは直ちにいえないのであって、死亡について業務起因性が認められる以上、労働者の健康状態の悪化を認識していたか、あるいはそれを認識していなかったとしても、その健康状態の悪化を容易に認識し得たような場合には、結果の予見可能性を肯定して良いと解するのが相当である。本件では、Tが自殺に至るまでに原告が認識していたような疲労感、体重減少に伴う痩せや顔色の悪さという症状は生じており、また15日間連続勤務に伴う疲労が蓄積し、その後の2交替勤務を継続することが困難なほどの状況にあったというのであるから、そのような健康状態を容易に認識することは可能であったということができる。

(2)被告Bの安全配慮義務違反ないし不法行為責任

 Tは、被告Bの社員として被告Aの本件製作所において勤務していたこと、被告Bは被告AからTの就労状況について月ごとに報告を受けてこれを把握していたこと、被告Bの担当者が週に1回程度Tと面談していること等に照らすと、Tの心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負担していたということができる。

 被告Bは、被告Aと同様に、上記(5)については認識し、Tがうつ病に罹患した後に、Tに対しカウンセリングを行い、休養を取らせるとか、業務を軽減するよう被告Aに要請するなどの措置を講ずることは可能であったといえる。にもかかわらず、被告BはTの健康診断費用は負担するものの、労働時間の管理については、月末に被告Aからの報告を受けて初めて当月のTの労働時間を把握しており、被告Aの担当者と打合せをし、週に1回程度Tと面談をしているだけに過ぎなかったのであるから、前記安全配慮義務を怠ったといえる。

 また、被告Bの担当者は、平成11年2月23日及び24日に、Tから退職の申出を受けたにもかかわらず、被告Aにこれを伝えたのは同年3月3日であり、その後もTとの面談ができず、Tの死亡の事実を知ったのが同月10日であったこと等、その対応の拙さが指摘されなければならない。よって、被告Bも、Tに対しその安全配慮義務違反に基づく責任を負い、更に不法行為責任を負うものである。

 以上の通り、被告Aと被告Bは、Tに対し、それぞれ安全配慮義務違反に基づく責任及び不法行為に基づく責任を負うものであり、両者の安全配慮義務違反ないし不法行為と、Tがうつ病に罹患し自殺を図ったこととの相当因果関係が認められるので、被告らは連帯してTに対し損害賠償責任を負担すると解するのが相当である。

4 損害及び過失相殺・素因減額

 Tは、自殺当時23歳の独身男性であり、就労可能年数は67歳までの44年間とするのが相当である。そして、Tは高等専門学校を卒業後、大学に編入したが4年生の秋に退学していること及び自殺時の年齢に照らせば、Tの逸失利益における基礎年収は、自殺時である平成11年の賃金センサス第1巻第1表産業計・企業規模計・男性労働者・高専・短大卒・全年齢平均賃金500万9500円とし、生活費控除率50%、中間利息5%とすると、逸失利益は4424万0647円となる。また、死亡慰謝料は2000万円、葬儀費用は41万4985円とするのが相当である。

 Tは、うつ病に罹患するまでに、被告Bに対し、前記症状を訴え、業務調整等を願い出ることは可能であり、また外部の医療機関において診察・治療を受けることが可能であったにもかかわらず、いずれも行っていないことが認められる。もっとも、これらの事情は、Tが前記措置をとっていれば、被告らにおいて予見可能性及び結果回避可能性が増加したであろう事情というべきであって、Tが被告Aに直接訴えることが難しかったと思われることや、被告らの連携がさほど期待できないことを考慮すると、過失相殺事由として取り上げるには疑問がある。

 労働省通達において心理的負荷による精神障害等にかかる業務上外の判断において考慮すべき個体的要因として、生活史、性格傾向等を挙げており、Tの生活史においては、Tの父親には放浪癖があり、Tが中学3年生の時に父親の放浪癖やギャンブル癖等が原因で両親が離婚していることが認められる。また、Tの性格傾向は、真面目、物静か等うつ病親和性があるとされる執着性格が認められるが、業務の負担が過重であることを原因として労働者の心身に生じた損害の発生又は拡大に労働者の性格等が寄与した場合において、その性格が同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでないときには、損害を算定する際に、その性格等を民法722条2項の類推適用により労働者の心因的要因として斟酌すべきでないところ、Tの性格等がステッパー検査に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れているとは認めるに足りる証拠はない。

 もっとも、本件においては、Tの自殺の原因について、(1)Tの自殺の原因の主要な部分は業務の過重性に基づくうつ病にあるというべきであること、(2)原告及び兄への金員の貸与による預金の一時的喪失は、自殺の直接の原因とまでは認めるに足りないものの、一定程度の精神的負担になっていたことは否定できないこと、(3)Tは、退職の申出に対する被告らからの回答を待つだけの精神的余裕もないほどに悲観的になった要因の一つは、退職が先に延ばされると、資格試験の準備が間に合わないという焦りがあったのではないかと考えられること、(4)うつ病の発症から自殺までは比較的短期間であり、結果回避可能性が必ずしも多くなかったことの諸事情を考慮する必要がある。
 本件の場合、被告らにおいては、Tの健康状態の悪化に気付かず、また原告もTの身近におらず、事態の深刻さに思い至らないうちにTが死を選んだことはまことに不運な出来事であるところ、以上の諸事情を総合して判断すると、Tの損害につき、公平の見地から3割の減額をし。7割の限度で認容するのが相当である。
適用法規・条文
02:民法415条、710条、722条2項
収録文献(出典)
労働判例894号21頁
その他特記事項
本件は控訴された。