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社会保険庁職員うつ病自殺事件【うつ病・自殺】

事件の分類
うつ病・自殺
事件名
社会保険庁職員うつ病自殺事件【うつ病・自殺】
事件番号
甲府地裁 − 平成15年(ワ)第374号
当事者
原告個人2名 A、B

被告国
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
2005年09月27日
判決決定区分
一部認容・一部棄却(控訴)
事件の概要
 M(昭和48年生)は、高校卒業後の平成5年4月、社会保険庁に入庁し、平成8年4月1日、社会保険業務センター中央年金相談室相談業務課電話相談係に配属され、年金受給者等からの相談に応じると共に、雑用を行っていた。同年11月から翌年3月までは、通常でも繁忙期であることに加え、基礎年金番号実施に関しMに問合わせが殺到し、内容も複雑なものが多く、係長の不在等体制の不備などもあって、Mの業務は過重となっていた。Mの所定労働時間は、月曜日から金曜日まで、午前9時から午後5時15分であったが、超勤時間は、平成8年11月28時間、12月55時間、平成9年1月71時間、2月58時間、3月94時間であり、3月29日から4月4日までは48時間と、自殺直前の1ヶ月間では120時間を超えていた。

 平成9年4月1日付けで、Mは人事係に異動になったが、4月は人事異動、昇給昇格に伴う繁忙期であり、専任の係長がなく、前任者からの引継書などがない中で、Mは昇給昇格対象者一覧、昇給昇格書の作成など、同月9日の締切りに追われ、不安やイライラを募らせていた。Mは同月4日午前3時頃まで勤務した後、電話で主任に対し「自信がない」「眠れない」「異動させて欲しい」などと訴え、翌5日午前3時頃まで勤務を行い帰宅した後、自宅アパート近くのマンション11階から飛び降り自殺した。社会保険庁は、平成11年11月22日、Mの自殺は公務上の災害ではない旨認定したが、原告Aは人事院に対して審査を申し立て、人事院は平成14年12月17日、Mの自殺は公務上の災害と認定すべきである旨判定し、これを受けて社会保険庁は、平成15年1月7日、Mの自殺を公務上の災害と認定し、原告らに対し、遺族補償一時金各504万6500円、遺族特別給付金各100万9300円、遺族特別支給金各150万円、遺族特別援護金各580万円、葬祭補償原告Aに61万7790円を給付した。
 Mの両親である原告らは、Mの自殺は長時間労働等による過重な勤務によりうつ病を罹患したことによるものであり、公務とうつ病の罹患、うつ病の罹患と自殺との間には因果関係があり、被告は安全配慮義務を負っているのに、同義務に違反したとして、国家賠償法に基づき、逸失利益7252万4519円、慰謝料5000万円等総額1億1144万8719円を被告に対し請求した。
主文
1 被告は、原告らに対しそれぞれ金3591万6921円及びこれに対する平成15年8月9日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は、これを3分し、その1を原告らの負担とし、その2を被告の負担とする。
判決要旨
1 業務の過重生及び自殺との因果関係について

 Mが人事係に配置換えになって以降の業務についてみると、前任者が転出するに伴ってMは人事の内示なされた平成9年3月25日から業務の引継のため超過勤務をするようになり、同年4月1日に異動になった後は、昇格・昇給関係資料の作成に追われていた。更に同係では係長や同僚らが新たに配属された者であった上、前任者からの引継書も残されていなかった。このようなMの業務内容、職場環境やMの置かれていた立場、状況に照らせば、当時の業務がMにとって相当な精神的、肉体的負担を伴うものであったことは明らかであり、Mの当時の超過勤務時間を合わせ考えるならば、平成8年11月頃から平成9年4月5日までにMが担っていた業務は、過重なものであったというべきである。

 したがって、Mの業務内容、職場環境、勤務形態から生じた疲労は、その持続期間を考慮すれば、人間の身体面、精神面の双方に慢性的な過労状態を導くものといえ、うつ病を惹起するのに十分な程度であったものと認められ、Mは継続的な業務の負担により、睡眠時間が不足し、食欲がなくなるなどの身体症状が現れ、疲労が回復しないまま業務を遂行する中で抑うつ状態が生じ、ついにはうつ病の罹患、発症、さらに自殺へと至ったと認められる。以上の次第で、Mの自殺を公務上の死亡と認定した社会保険庁の判断に瑕疵があるとは認められないから、被告は、Mが公務上死亡した事実を否定することは許されない。したがって、本件訴訟においては、Mが公務上死亡したこと、すなわち、過重な業務のためにMがうつ病に罹患し、その症状の表れとして自殺したという事実を前提としなければならない。

2 被告の安全配慮義務違反の存否及びMの自殺と安全配慮義務違反との因果関係の存否

 国は、国家公務員に対し、公務遂行のために設置すべき場所、施設若しくは器具等の設置管理又は公務員が国若しくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理に当たって、公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき安全配慮義務を負っているところ、社会保険業務センターにおいて国の履行補助者として業務上の指揮監督権限を有していたMの上司は、Mの勤務の実態、職場環境及び人間関係に伴う心理的負荷や身体的疲労の蓄積の有無、平成9年4月における人事係への異動の妥当性等について的確に把握すべき義務があったといえる。

 確かに、社会保険庁においては定期の健康診断が実施されており、Mは健康診断で職務に支障を来すような健康上の問題は指摘されておらず、平成8年10月の職員現況調書にも健康状態に不安を感じている様子見られない。しかしながら、職員の健康管理は上記体制的な管理に尽きるものではなく、職員に対して業務上の指揮監督権限を有する者は、職員の日常の勤務状況、職場環境、業務の負担量等について、継続的に的確に業務の把握を行い、健康状態等につき管理をする必要があると解される。

 相談業務課長は、そもそもMの勤務実態を的確に把握しておらず、把握しようとすらしなかったといわざるを得ないところ、同課の業務は制度改正に伴って増加したことや、問題職員がいたことを同課長は認識していたのであるから、管理者としての通常の注意を払っていればMの状況を認識し得たと認められるにもかかわらず、Mの業務の負担量や職場環境などに何らの配慮もすることなくMを漫然と放置していたと認められる。また、人事係はMの希望した職種ではないことに加え、人事係の業務の質・量に鑑みれば、Mを異動対象とするに当たっては、少なくとも正確にMの心身状況を把握し、本人への聴取等を実施する必要があったというべきであるが、相談業務課長も人事担当課長もそのような配慮をした形跡はない。

 上記のような状況に照らせば、相談業務課長は、通常の注意をもってすれば、Mの超過勤務、担当業務及び職場環境の実態を正確に認識することができ、直ちにこれに対する具体的措置を講ずべきことが可能であったが、それらの状況を把握することなく、漫然とMに過重な業務を負わせ続けるとともに、悪化しつつあったMのうつ病に配慮することなく、更に過重な業務を強いられる人事係への配置換えをしたものと認められる。そして、Mが過重な業務を行い続けた結果、心身の健康に悪影響を及ぼしていたことは、遅くとも平成9年3月末ころには認識し得たから、Mに心身の健康相談を実施して休暇を取らせたり、心身の状態に適した配属先への異動を行うなどの対応を採ることは容易であったといえるし、そのような対応を採っていれば、Mのうつ病の重症化とこれに基づく自殺という結果の発生を避けることは可能であったと認められる。したがって、被告には、Mに対する安全配慮義務違反があり、またMの自殺が業務外の要因によるものではなく、過重な業務との因果関係が認められるから、Mの自殺については、被告がその責を負うべきである。よって、被告には安全配慮義務違反があり、これとMの自殺との間には因果関係があると認められるから、被告は安全配慮義務違反の債務不履行に基づく損害賠償義務を免れない。

3 損 害

 Mの死亡時の年収は399万0203円であることから、60歳定年までの37年間勤務した逸失利益は3334万0713円、定額昇給1609万1040円、退職金477万9768円、60歳以降の逸失利益209万8121円と、逸失利益総額は5630万9642円となる。Mは死亡当時23歳の青年であり、業務に真摯に従事した結果うつ病に罹患して自殺するに至ったことなどの事情を考慮すれば、Mの死亡による精神的苦痛を慰謝するための金額は2000万円が相当である。また、国家公務員退職手当法に基づき支払われた退職手当、遺族補償一時金は逸失利益から控除すべきであり、弁護士費用は各330万円を認めるのが相当である。

 被告は、Mの側にも落ち度があるとして過失相殺を主張するが、Mの自殺はうつ病により正常な判断能力が著しく阻害された状態で行われたものと認められることに加え、Mの性格が同種の業務に従事する者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものに当たると認めるに足りる証拠もないから、Mのうつ病の罹患やその悪化を防止するための措置を怠ったことを理由とする過失相殺の主張は採用できない。

4 国家賠償請求について
 国家賠償請求権の消滅時効の起算点は「損害及び加害者を知った時」である。原告らは、本件については人事院による公務災害の判定がなされるまで加害者の行為が違法であることは判然としなかったから、時効の起算点は人事院の判定がなされた平成14年12月25日であると主張するが、公務災害の認定は国のした行為が違法であるかどうかを判断するものではない。したがって、時効の起算点は、Mの死亡日である平成9年4月5日と解すべきであり、この日から3年の経過により消滅時効は完成する。本件訴えの提起は時効完成後であり、被告は時効援用の意思表示をしたから、国家賠償請求権は消滅している。
適用法規・条文
02:民法415条,

04:国家賠償法1条1項,
収録文献(出典)
労働判例904号41頁
その他特記事項
本件は控訴された。