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名古屋南労基署長(C社)うつ病自殺事件【うつ病・自殺】
- 事件の分類
- うつ病・自殺
- 事件名
- 名古屋南労基署長(C社)うつ病自殺事件【うつ病・自殺】
- 事件番号
- 名古屋地裁 − 平成15年(行ウ)第18号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 名古屋南労働基準監督署長 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2006年05月17日
- 判決決定区分
- 認容(控訴)
- 事件の概要
- T(昭和38年生)は、高校卒業後の昭和57年4月、電気供給事業を主たる業とするC社に入社し、幾つかの業務を経て、平成9年8月より火力センター工事第一部環境整備課に配属され、平成11年8月、同課の主任に昇格した者である。
Tは、仕事を抱え込み、思い悩む性格であり、課長から厳しい指導を受け、時間外労働時間数が平成11年6月以降急増し、主任昇格が心理的負担となり、しかも平成11年度上期の人事考課が5段階の最低評価である「E」であったことなどから、同年9月下旬頃うつ病を発症し、同年11月8日に自家用車の車内で焼身自殺をした。
Tの妻である原告は、Tの自殺は業務に起因するうつ病によるものであるから、業務上災害であるとして、平成12年10月19日、被告に対し労災保険法に基づき、遺族補償年金及び葬祭料の支給を請求した。これに対し被告は、Tの自殺は業務上の事由によるものとは認められないとして、平成14年5月31日付けで各不支給決定をした。原告は、この処分を不服として、同年7月1日に審査請求をしたが、3ヶ月を経過しても決定がされないため同年12月30日、労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、これも3ヶ月を経過しても裁決がなされなかったことから、本訴を提起した。 - 主文
- 1 被告が原告に対して平成14年5月31日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償年金及び葬祭料を支給しない旨の各処分をいずれも取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 業務起因性の判断基準
労災保険給付の対象となる業務上の疾病については、労働基準法75条2項に基づいて定められた労働基準法施行規則35条により同規則別表第1の2に列挙されており、精神疾患であるうつ病の発症が労災保険給付の対象となるためには、同別表第9号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当することが必要である。そして、業務と疾病との間に業務起因性があるというためには、労災補償制度の趣旨に照らせば、単に当該業務と傷病等との間に条件関係が存在するのみならず、社会通念上、業務に内在又は通常随伴する危険の現実化としての死傷病等が発生したと法的に評価されること、すなわち相当因果関係の存在が必要であると解するのが相当である。
業務と精神疾患の発症や増悪との間に相当因果関係が肯定されるためには、単に業務が他の原因と協働して精神疾患を発症又は増悪させた原因であると認められるだけだは足りず、当該業務自体が、社会通念上当該精神疾患を発症又は増悪させる一定程度以上の危険性を内在又は随伴していることが必要であると解するのが相当である。そして、現在の医学的知見によれば、環境由来のストレスと個体側の反応性、脆弱性との関係で精神破綻が生じるか否かが決まり、ストレスが非常に強ければ、個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起こるし、反対に個体側の脆弱性が大きければ、ストレスが小さくても破綻が生ずるとする「ストレス脆弱性」理論が合理的と認められる。したがって、業務とうつ病の発症、増悪との間の相当因果関係の存否を判断するに当たっては、うつ病に関する医学的知見を踏まえて、発症前の業務内容及び生活状況並びにこれらが労働者に与える心身的負担の有無や程度、更には当該労働者の基礎疾患等の身体的要因や、うつ病に親和的な性格等の個体側の要因等を具体的かつ総合的に検討し、社会通念に照らして判断するのが相当である。また、相当因果関係の判断基準である、社会通念上、精神疾患を発症させる一定以上の危険性の有無については、同種労働者(職種、職場における地位や年齢、経験等が類似する者で、業務の軽減措置を受けることなく日常業務を遂行できる健康状態にある者)の中でその性格的傾向が最も脆弱である者(ただし、性格傾向の多様さとして通常想定される範囲内の者)を基準とするのが相当である。
なお、労災保険法12条の2の2第1項は、労働者の故意による事故を労災保険の給付対象から除外しているが、自殺行為にように外形的に労働者の意思的行為とみられる行為によって事故が発生した場合であっても、その行為が業務に起因して発生したうつ病の症状として発現したと認められる場合には、労働者の自由な意思に基づく行為とはいえないから、上記条項の「故意」には該当しないものと解される。そして判断指針においては、業務による心理的負荷により精神障害が発病したと認められる者が自殺を図った場合には、精神障害によって正常の認識、行為選択能力が著しく阻害され、又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われたものと推定し、原則として業務起因性を認めるものとしているが、この考え方は妥当なものである。
2 Tに対する業務上の心理的負荷
C社における業務がTのうつ病発症の要因の一つになっていたこと自体は明らかであり、業務の過重性については、心身的負荷の性質上、本人が置かれた立場や状況を十分斟酌して出来事の持つ意味合いを把握した上で、心身的負荷の強度を客観的見地から評価することが必要である。
Tの業務は、必ずしも締切や期限に追われるような性質のものではなかったが、Tは自らの担当業務について思い悩んでしまう傾向があったため、進捗状況が必ずしもはかばかしいものではなく、平成11年度上期のTに対する人事評価は極めて低く、自己に対する評価等により自信を喪失していたものと推認することができる。以上に照らせば、Tは仕事の進め方についての問題点や自らの業務遂行能力を十分自覚していたものであり、Tが真面目で責任感が強い性格であったからこそより一層担当業務に従事することによって、決して強度ではないにしても、心理的負荷を募らせていった状況に置かれていたことが窺われる。
Tの上司である課長は、課員にとっては概して厳しい者であり、Tに対する指導の頻度も相当程度多く、その内容も厳しいものであったと推認することができ、時としてTの心情等について配慮に欠ける言い方で指導することもあったことが窺われる。Tは、前記のように業務遂行能力上の問題点を有していたため、課長の的確な指導を受けても、その指導に沿って問題を解決したり、要領よく仕事を進めることができなかったことから、課長から再々同じ事項について指導を受けるなどしたことが窺われるところ、Tはそれが専ら自己の責任であると考え、それが仕事に対する自信の喪失につながり、課長の指導等に対し萎縮的な態度を示すようになっていったと推認することができる。上記に照らせば、課長のTに対する日常的な業務上の指導等も、徐々にではあるが継続的にTに対し心理的負荷を及ぼしていったことが窺われる。そして、Tの性格、業務遂行能力、同人が置かれていた状況等に照らせば、Tは同種労働者の中でその性格傾向が最も脆弱である者に極めて近似する性格傾向を有する者であったということができる。
Tは、平成11年8月、環境整備課の主任に昇格したが、これがTを奮起させ、励みになった面があったことは否めないものの、他方で、相当程度の心理的負荷を及ぼしたことが容易に窺われる。その上、Tが主任に昇格した際、課長はTに対し、「主任としての心構え」と題する文書の作成・提出を指導し、更にTが同文書を提出した後、書き直しを指示したと認められ、これを作成する過程で、課長がTに対し問題点を事細かに指摘したことが推認でき、Tはより一層の心理的重圧を覚えたと推認することができる。課長としては、主任としての自覚や奮起を促す意図で実施していたとしても、独自の方法であり、すべての主任昇格者にとって効果的な指導方法であったとは認められないばかりか、内容面についても、仕事に対する矜持や生活信条等を不用意に傷つけかねない危険性をはらんでいると認められるから、Tのように業務遂行上の問題点を抱えており、仕事に対する自信を喪失した者にとっては、かえって心理的重圧を与えるだけの結果になりかねないと認められるから、Tが主任に昇格した事実は、課長の指導方法等とも相俟って、Tに対し相当程度の心理的負荷を及ぼしたと認められる。
Tの担当業務は、その業務量や業務の内容だけに着目すれば、量的にも質的にもさほど困難又は複雑な性質の業務であったとは認められず、Tに対して大きな心理的負荷を与えるようなものとは認め難い。しかしながら、Tは業務遂行上の問題点を抱えており、要領良く仕事をすることができなかったこと、課長の指導に対し萎縮的な態度を示すようになったことなど、Tの時間外労働時間数を併せ考慮すれば、Tの担当業務は、相当程度の心理的負荷を及ぼしていたものと推認することができる。
Tの平成11年における各月の時間外労働時間数は、6月:51時間17分、7月:61時間44分、8月:86時間24分、9月:93時間57分、10月:117時間12分、11月:39時間52分となっており、Tが同年6月以降徐々に増加傾向にあった時間外労働に従事し、とりわけ、Tが主任に昇格した同年8月以降は1ヶ月80時間を超える時間外労働に従事したことによって、精神的・肉体的な疲労を蓄積させ、強い心理的負荷を受けたと認めることができる。被告は、Tは平成11年9月下旬頃にうつ病を発症したところ、Tが長時間にわたり在社したのは、うつ病により同じ業務をこなすのに従前よりも多くの時間を費やした等の事情によるものであるから、業務の過重性に結びつけることは相当でないと主張する。しかし、仮にうつ病発症が仕事の能率の低下など業務遂行に影響を及ぼし、そのためTの労働時間が増加していったとしても、C社はそのことを容認していたというべきであり、Tが長時間の時間外労働に従事していたことは否定することができない。
平成11年10月末頃、課長はTと面談した際、Tの結婚指輪に目をとめ、勤務中は結婚指輪を外すよう指示したことに照らせば、課長は結婚指輪を身に着けることが仕事に対する集中力低下の原因となるという全く独自の見解に基づいて、Tに対し指輪を外すよう発言したと認められるところ、かかる課長のTに対する発言は合理的な理由に基づくものではなく、しかもTに対する配慮を欠いた極めて不適切な内容の発言であったといわざるを得ない。そして、Tが原告と結婚した以降、常時指輪を身につけていた事実に照らせば、結婚指輪に関する課長の発言が、Tに対し強い心理的負担を及ぼし、既に発症していたうつ病を増悪させたものと認められる。
3 業務以外の出来事による心理的負荷とTの個体側の要因
Tらが平成9年3月に転居した原因が、他の社宅入居者との間で悶着が起こったことであった事実は認められるものの、その他に格別家族関係で問題となったような事情は認められない。また、Tは住宅ローンの債務を負っていたものの、これによって金銭的に困窮していたという事情もなく、その他業務外の出来事による心理的負荷が強度なものであったと認めるに足りる事情は窺われない。
Tには精神障害と関連する疾患についての既往歴はなく、その家族についても精神障害の既往歴はない。また、Tの性格が、几帳面で真面目で責任感が強いというものであり、物事を抱え込んだり、考え込んだりしてしまう傾向も認められるところ、うつ病に関する医学的知見に照らせば、うつ病に親和的なものであったということはできるが、その性格が通常人の正常な範囲を逸脱して偏ったものであるということはできない。
4 総合評価
Tは、日常的担当業務に従事したこと自体や、課長による業務上の指導等によって、継続的かつ恒常的に心理的負荷を募らせていった状況に置かれていたこと、Tが平成11年8月1日に主任に昇格したことによって相当程度の心理的負荷を受けたこと、平成11年度にTが従事した業務は、業務量や業務の内容だけに着目すれば、さほど困難又は複雑な性質の業務ではなかったが、上記状況に置かれていたことや増加傾向にあった時間外労働と相俟って、Tに対し相当程度の心理的負荷を与えていたと推認できること、平成11年8月以降、時間外労働時間数が顕著に増加したことによって、Tは精神的・肉体的な疲労を蓄積させ、強い心理的負荷を受けたこと、業務以外の出来事による心理的負荷が強度なものであったとは認められないこと、Tはうつ病に親和的な性格傾向を有してはいたが、通常人の正常な範囲を逸脱したものではなかったことを総合考慮すれば、Tのうつ病は、継続的かつ恒常的に心理的負荷を募らせていった状況の下、時間外労働の増加を伴う業務に従事したこと及び主任に昇格したことによる心理的負荷とTのうつ病に親和的な性格傾向が相乗的に影響し合って発症したものと認めるのが相当である。そして、うつ病を発症した同年9月以降も長時間にわたる時間外労働に従事し、更に結婚指輪に関する課長の発言等によってうつ病を急激に増悪させた結果、Tはうつ病による希死念慮の下、発作的に自殺したものというべきである。
したがって、前記業務等による心理的負荷は、Tに対し、社会通念上、うつ病の発症のみならず増悪の点でも、一定程度以上の危険性を有するものであったと認められるから、Tのうつ病の発症及び増悪は、業務に内在する危険性が現実化したものといわざるを得ず、業務とTのうつ病の発症及び増悪との間には相当因果関係が認められる。そして、Tの自殺は、同人のうつ病の症状として発現したものであるから、労災保険法12条の2の2第1項の「故意」には該当しないものである。
以上によれば、Tのうつ病の発症及び増悪とこれに基づくTの自殺には業務起因性が認められるから、これを否定した本件各処分はいずれも違法であるといわざるを得ない。 - 適用法規・条文
- 07:労働基準法75条2項、
労災保険法12条の2の2第1項、16条の2、17条 - 収録文献(出典)
- 労働判例918号14頁
- その他特記事項
- 本件は控訴された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
---|---|---|
名古屋地裁 − 平成15年(行ウ)第18号 | 認容(控訴) | 2006年05月17日 |
名古屋高裁 − 平成18年(行コ)第22号 | 控訴棄却 | 2007年10月31日 |