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名古屋市南労基署長(C電力会社)うつ病自殺控訴事件【うつ病・自殺】

事件の分類
その他
事件名
名古屋市南労基署長(C電力会社)うつ病自殺控訴事件【うつ病・自殺】
事件番号
名古屋高裁 − 平成18年(行コ)第22号
当事者
控訴人 名古屋南労働基準監督署長
被控訴人 個人1名
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
2007年10月31日
判決決定区分
控訴棄却
事件の概要
 T(昭和38年生)は、高校卒業後の昭和57年4月、電気供給を主たる業とするC社に入社し、平成11年4月に環境整備課の主任に昇格した者である。

 Tは、主任昇格が重荷になった上、昇格に関連して上司である課長から厳しい指導を受け、結婚指輪を外すことを強要されたことなどもあって、平成11年9月中旬頃うつ病に罹患し、同年11月8日焼身自殺をした。

 Tの妻である被控訴人(第1審原告)は、Tの自殺は業務に起因するものであるとして、控訴人(第1審被告)である労働基準監督署長に対し、労災保険法に基づき遺族補償年金及び葬祭料を請求したが、同署長が不支給決定としたことから、労働保険審査官に審査請求し、更には労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、請求が認められなかったため、控訴人が行った処分の取消しを求めて提訴した。

 第1審では、Tのうつ病の発症と業務との間、うつ病の発症と自殺との間に相当因果関係を認め、本件処分の取消しを命じたことから、控訴人がこれを不服として控訴したものである。
主文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
判決要旨
1 業務起因性の判断基準

 労災保険法に基づいて遺族補償年金及び葬祭料を支給するためには、業務と疾病との間に業務起因性が認められなければならないところ、業務と疾病との間に業務起因性があるというためには、単に当該業務と疾病との間に条件関係が存在するのみならず、業務と疾病の間に相当因果関係が認められることを要する。そして、労働者災害補償制度が、使用者が労働者を自己の支配下において労務を提供させるという労働関係の特質に鑑み、業務に内在又は随伴する危険性が現実化した場合に、使用者に何ら過失はなくても労働者に発生した損失を填補する危険責任の法理に基づく制度であることからすると、当該業務が傷病発生の危険を含むと評価できる場合に相当因果関係があると評価すべきであり、その危険の程度は、一般的、平均的労働者、すなわち通常の勤務に就くことが期待されている者を基準として客観的に判断すべきである。

 したがって、疾病が精神疾患である場合にも、業務と精神疾患の発症との間の相当因果関係の存否を判断するに当たっては、何らかの素因を有しながらも、特段の職務の軽減を要せず、当該労働者と同種の業務に従事し遂行することができる程度の心身の健康状態を有する労働者を基準として、業務に精神疾患を発症させる危険性が認められるか否かを判断すべきである。また、本件のように精神疾患に罹患したと認められる労働者が自殺した場合には、精神疾患の発症に業務起因性が認められるのみでなく、疾患と自殺との間にも相当因果関係が認められることが必要である。

 うつ病発症のメカニズムについては、いまだ十分解明されてはいないが、現在の医学的知見によれば、環境由来のストレス(業務上又は業務外の心理的負荷)と個体側の反応性・脆弱性との関係で精神破綻が生じるか否かが決まり、ストレスが非常に強ければ、個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起こるし、反対に個体側の脆弱性が大きければ、ストレスが小さくても破綻が生ずるとする「ストレス脆弱性」理論が合理的であると認められる。そうすると、結局、業務と精神疾患の発症との相当因果関係は、このような環境由来のストレスと個体側の反応性、脆弱性を総合考慮し、業務による心理的負荷が、社会通念上客観的に見て、労働者に精神疾患を発症させる程度に過重であるといえるかどうかにより判断すべきである。

2 Tの業務上の心理的負荷

 Tはもともと主任になることに不安を抱いていたこと、その上、Tの上司である課長は、Tの主任昇格に際し、Tが能力において不足することを明記させ、かつ昇格後の担当者の業務についても全面的に責任を負う内容の文章を作成させ、更に「主任失格」という文言を使って叱責していたこと、これらを併せ考えると、Tの置かれた状況の中では、主任への昇格は、通常の「昇格」よりは、相当程度心理的負荷が強かったものと理解するのが相当である。課長はTに対し「主任失格」「いてもいなくても同じ」などと感情的に叱責し、かつ結婚指輪を身に付けることが仕事に対する集中力低下の原因となるという独自の見解に基づいて、結婚指輪を外すよう命じていたと認められる。これらは、何ら合理性のない、厳しい指導の範疇を超えた、いわゆるパワー・ハラスメントとも評価されるものであり、一般的に相当程度心理的負荷の強い出来事と評価すべきである。そして、上記の叱責や指輪を外すよう命じられたことが、1回的なものではなく、主任昇格後からTが死亡する直前まで継続して行われているものと認められることからすると、うつ病発症前、また死亡直前にTに対し大きな心理的負荷を与えたものと認められる。

 Tの担当業務は、他の課員と比較して特段多いとは認められないが、平成11年8月に前任者から1件引き継いでいたところ、ほぼ同時期に難易度の高い2件の検討が加わり、しかも、これらのうち予算が必要な件名については絶対的な期限があった上、9月には下半期の業務委託監査があり、Tはその準備、出張、整理のために相当の日数を費やした。これらの仕事を併行して進めていかなければならない状況は、他の課員の状況に照らしても量的にも内容的にも過大であり、8月頃を境に、Tの業務は量的、内容的に大きな変化が生じていたものと認められる。この増加した業務を併行して遂行するため、Tは、8月86時間24分、9月93時間57分、10月117時間12分、11月(7日分)39時間52分という長時間労働を強いられたものであり(9月下旬以降の増加分については、うつ病により能率が下がった結果という部分も相当程度含まれているものと推測される)、これがうつ病の発症及びその進行の大きな原因となったものというべきである。

3 業務以外の心理的負荷及び個体側の要因

 自宅新築に伴う転居、その際の負債の発生、配偶者である被控訴人の稼働開始等の出来事は、いずれも発症の6ヶ月以上前であって、その後、Tには、発症の前後を通じて、業務以外で特段の心理的負荷を発生させるような出来事は認められない。

 Tには、精神障害と関連する疾患についての既往歴はなく、その家族についても精神障害の既往歴はない。Tの性格はメランコリー親和型であって、うつ病に親和的なものであったということはできるが、一般的にこのような几帳面、真面目で責任感が強く、他人の悪口を言ったりしないなどという性格は従業員としてむしろ美徳とされる性格であって、このことが直ちにうつ病を発症させる脆弱性につながるものではなく、また、Tは主任として期待される業務遂行能力を未だ十分に有していなかったと認められるとしても、これまでは上司等から適切な助言があれば、その後は予定どおり業務をこなすことができたのであり、Tがうつ病発症時まで特段の問題もなく社会生活を送り、ほぼ順調に主任にも昇格していることからすると、上記の性格、能力共に、一般的平均的労働者の範囲内の性格傾向や個体差に過ぎないというべきである。

4 まとめ
 以上によれば、業務等による心理的負荷は、一般的平均的労働者に対し、社会通念上、うつ病を発生させるに足りる危険性を有するものであったと認められるから、Tのうつ病の発症は、業務に内在する危険性が現実化したものということができ、業務とTのうつ病の発症との間には相当因果関係が認められる。そして、Tの自殺前の言動に照らし、Tの自殺と業務とは条件関係があることは明らかであり、うつ病の典型的な抑うつエピソードに、自傷あるいは自殺の観念や行為が含まれていることからすると、Tはうつ病によって正常の認識、行為選択能力が著しく阻害され、又は自殺行為を思い止まる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺に及んだものと推定でき、Tのうつ病発症と自殺との間にも相当因果関係を認めることができる。したがって、Tの自殺と業務との間にも相当因果関係があり、Tの死亡は業務起因性があるものと認められる。
適用法規・条文
07:労働基準法75条2項、
労災保険法12条の2の2、16条の2、17条
収録文献(出典)
労働経済判例速報1989号20頁
その他特記事項