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八王子労基署長(Pコンサルタンツ)うつ病自殺事件【うつ病・自殺】

事件の分類
うつ病・自殺
事件名
八王子労基署長(Pコンサルタンツ)うつ病自殺事件【うつ病・自殺】
事件番号
東京地裁 − 平成17年(行ウ)第352号
当事者
原告個人1名

被告国
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
2007年05月24日
判決決定区分
認容(確定)
事件の概要
 K(昭和18年生)は、昭和43年にP社に土木技師として入社した者であり、昭和52年10月から死亡するまで、建設事業に関する調査、設計、工事監理等に関する一切の技術業務、土木建築事業に関する全てのマネジメント及びコンサルティング等を業とするPCIに出向していた。

 Kは、昭和45年以降、イラク共和国、アラブ首長国連邦、パキスタン・イスラム共和国等に派遣され、主として港湾建設の土木技術者として業務を遂行していた。Kは平成11年4月15日からカリブ海のセントヴィンセント国に派遣され、9月頃まで同国に滞在して水産センター建設等の業務を行った。Kの妻である原告は7月下旬から8月にかけてKの元を訪れたが、原告が帰国した8月下旬以降、Kは原告宛のメールに業務上の悩みや気分の落ち込みについて記載することが多くなり、9月中旬頃は疲労感、桟橋設計や在留資格が切れている状態になっていることに対する罪悪感を訴え、同月26日付メールでは気分の落ち込みを明確に伝えていた。また、Kは、同月23日頃から遺書を書き始めており、同年10月1日に同地において刃物で胸を突いて自殺した。
 原告は、Kの自殺につき、平成15年1月7日、八王子労働基準監督署長に対し、労災保険法に基づく遺族補償給付を請求したが、同署長は同年9月29日付けで不支給の決定をした。原告は本件処分を不服として、労災保険審査官に審査請求をしたが棄却され、更に労働保険審査会に対し再審査請求をしたが裁決がされないため、署長の行った不支給処分の取消しを求めて提訴した。
主文
1 八王子労働基準監督署長が原告に対し平成15年9月29日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付を不支給とする処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
判決要旨
1 労災保険法に基づく保険給付

 労災保険法による補償制度は、業務に内在ないし随伴する各種の危険が現実化して労働者に死亡等の結果がもたらされた場合には、使用者等に過失がなくとも、その危険を負担して損失の補填をさせるべきであるとする危険負担の法理に基づくものであることからすれば、労働者の死亡等を業務上のものと認めるためには、業務と死亡等の結果発生との間に条件関係があるだけではなく、業務に内在する危険性が原因となって結果が発生したという相当因果関係があることが必要である。このことは精神疾患について業務起因性の有無を判断するに当たっても同様である。すなわち、精神疾患の発症・増悪が業務上のものであると認められるためには、単に業務が精神疾患を発症・増悪させた一つの原因であるというだけでは足りず、当該業務自体が、社会通念上、当該精神疾患を発症・増悪させる一定程度の危険性を内在し、その危険性が原因となり精神疾患を発症・増悪させたと認められることが必要である。

 この危険性の有無は、発症前後から災害に至るまでの当該労働者の業務が、通常の勤務に就くことが期待されている平均的な労働者を基準として、労働時間、業務の質、責任の程度等において過重であるために当該精神疾患が発症・増悪する程度に心理的負荷が加えられたといえるかどうかによって判断するのが相当であり、この点は労働者が自殺した場合であっても異なるところはない。もっとも、労災保険法12条の2の2第1項は、労働者が故意に死亡した場合には保険給付を行わない旨定めているが、業務上の精神障害によって正常の認識、行為選択能力が著しく阻害され、又は自殺を思い止まる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われた場合には、これを同項の「故意」というべきでないことからすれば、業務と精神疾患の発症との間に相当因果関係が認められ、かつ、労働者が業務に起因して発症した精神疾患により、正常の認識、行動選択能力等を阻害されるなどした結果、自殺に至った場合には、労災保険法上の保険給付が行われるべきと解される。

 一般に、労働者が精神疾患を発症・増悪させ自殺に至った場合、精神疾患の原因や自殺を決意した原因として業務以外の事由を想定し得ないときには、原則として業務と精神疾患の発症及び精神疾患の発症と自殺との間の条件関係はそれぞれ認められるといえる。しかし、精神疾患の発症及び自殺の原因として業務以外の事由を想定し得ないからといって、そのことから直ちに業務が精神疾患を発症・増悪させる程度に過重であり危険性を内在するものであったとはいえない。現在の医学的知見によれば、環境由来のストレスと個体側の反応性、脆弱性との関係で精神的破綻が決まり、ストレスが非常に強ければ個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起こるし、逆に脆弱性が大きければストレスが小さくても破綻が生じるとするストレス脆弱性理論が広く支持されていると認められる。これを前提とすれば、個体側の脆弱性が平均的労働者を超えて大きいときには、平均的労働者に精神的破綻を生じさせない程度のストレスによっても精神的破綻が生じ得るのであって、そのような場合にまで労災保険法による災害補償の対象とすることが法の趣旨と解されないことは明らかである。したがって、業務が精神疾患を発症・増悪させる程度に過重であり、危険性を内在するものであったかどうかは、業務の過重性ないし心理的負荷が平均的労働者を基準として、精神的破綻を生じさせる程度のものであったかどうかによって判断されなければならない。

2 Kの自殺の原因及び業務との条件関係

 うつ病の発症から希死願望が発現するまでには数日から数週間かかることが通常であることからすれば、Kは9月初旬から遅くとも中旬にかけてうつ病を発症して、症状を急速に悪化させ、自殺に至ったと認められる。Kには従前精神疾患の病歴はなく、そのうつ病の発症がKの服用していた薬などによるものと認めるに足りる証拠もない。そして、Kの私生活上のトラブルといった職場以外の事情による心労が生じていたとも認められない一方で、Kは在留資格や桟橋設計といった業務上の悩みを原告に書き送り、遺書中にも業務上の悩みのみ記載されていたことからすれば、Kがうつ病を発症した原因として業務以外の原因を考えることはできない。以上により、Kは、業務上の心理的負荷が原因でうつ病を発症したものであることは明らかであり、Kの業務とうつ病の発症・増悪及び自殺との間には条件関係が認められる。

3 Kのうつ病発症と自殺との間の相当因果関係

 単身で海外赴任すること自体が、国内で単身赴任をして業務を遂行することと比較して、相応の心理的負荷を伴うものであろうことは容易に推測できるところであるが、その赴任先がカリブ諸国で最貧国といわれ、Kがこれまで長期間滞在した海外の赴任先とは異なる文化を有すると解されるセントヴィンセントであることからすれば、同地に単身赴任をして業務に従事すること自体が、Kのような海外業務に慣れた社員にとっても、心理的負荷となり得るものであったろうことは容易に推測できるところである。

 海外に長期間赴任して業務を行うに際し、在留資格を有することは当然の前提であり、在留資格が切れた状態で業務を遂行することが海外赴任をする会社員にとって日常的な事態であるとも解されないことからすれば、セントヴィンセント国赴任直後から自殺の直前まで断続的に在留資格が切れた状態で就労せざるを得なかったことが、Kの心理的負荷となり続けていたであろうことは容易に推測できるところである。

 Kは、平成11年7月25日からドミニカ国へ観光目的で入国したにもかかわらず、現地政府に許可を得ることなく業務目的で現地調査を行ったことを理由として、水産局から入国管理事務所や警察に連絡し、逮捕するよう要請されたと告げられている。Kは、PCIから指示された者に連絡を取れなかったため、政府関係者の許可を得ないで現地調査を行うことになったものであるが、業務で初めて訪れた外国でこのようなことになること自体、相当の心理的負荷を受けたと推測できる。このような事態は、海外出張に従事する会社員にとって日常的な出来事とは到底いえず、その発生が、Kがセントヴィンセント国において在留資格が切れた状態になっていた直後のことで、Kが在留資格につき神経質になっていた時期であると考えられることや、Kには平成2年にフセイン政権下のイラクから出国できなかった経験があり、そのことがドミニカ国での一件に影響を与えた可能性も高いと推測されることも併せて考慮すれば、ドミニカ国出張の一件がKに与えた心理的負荷は相当に大きかったであろうことは明らかである。

 Kは、セントヴィンセント国滞在中、8月下旬までは、概ね月曜から金曜まで朝7時半に出社し、午後6時に退社するという生活を送っていたと考えられ、9月以降も労働時間は増え、日曜日も業務に従事しなかったのは1日だけであったが、連日深夜勤務が続いていたとも認められないことからすれば、Kの労働時間が直ちに精神疾患を発症・増悪させ得る程過重なものであったとはにわかに考えにくい。しかし、Kはセントヴィンセント国赴任後、原告が滞在していた期間を除いては単身赴任をしていたのであり、その交際範囲も現地に滞在する日本人5〜6名と極く限定的なものであり、それらの者もKが施工監理する建設会社の社員が主であったことからすれば、Kが業務終了後や休日に十分な休養や気分転換を図り得ていたものとも考えられない。このことからすれば、Kがこのような環境中、恒常的に時間外労働を行い、9月に入ってから長時間労働を強いられるようになったことが、Kのうつ病の発症及び急速な悪化に与えた影響は少なくないと考えるのが自然である。

 以上の通り、Kは4月にカリブ海の小国に単身赴任し、かつ一人事務所での勤務で、そのこと自体一般的に心理的負荷は軽くない上、在留資格の延長許可がうまく受けられなかったばかりか、その結果、頻繁に在留資格が切れる状態に陥っており、その状態はKが自殺するまで解決せず、自殺の直前にも同様の状態に陥っている。その労働環境や生活環境が十分な休息や息抜きをし得る環境でもない中で、海外赴任の基礎となる在留資格の問題が継続して生じていたこと自体、過大な心理的負荷となり得るものと解されるが、Kはその様な問題に頭を悩ませ続けていた7月下旬には、ドミニカ国に出張した際、入国目的を偽ったとして逮捕すると政府関係者から言われたのであるから、その心理的負荷が極めて強かったことは明らかである。更にKは、9月に入ると、再度単身赴任の状態となり、労働時間も著しく増加する中、セントヴィンセント国での常駐要員の滞在期間に関する方針が変更されるなど、Kにとって心理的負荷となり得る事態が立て続けに生じている。

 在留資格の問題はKの入国以来死亡までの6ヶ月の間断続的に発生しており、そのような心労の中、9月以降、原告の帰国による単身赴任の再開、労働時間の増加、今後の滞在方針の急遽変更及びそれに伴うPCIからKへの連絡不足といった心理的負荷となり得る出来事が立て続けに生じたことが、Kに多大な負担になったであろうことは容易に推測できる。業務で海外出張中、在留資格が切れることや、許可なく港湾の調査をしたとして逮捕を要請したと告げられることは、海外出張に慣れた労働者にとっても、希にしか経験しない異常な出来事というほかなく、Kの生活環境や労働環境が十分な息抜きや気分転換がうまくできる環境であったとも解されないことからすれば、Kが経験した上記の各事象は、いずれも平均的労働者にとっても過度の心理的負荷となり得るものであったと解される。

 被告は、Kがストレスに対する脆弱性が大きく、Kがうつ病を発症・増悪させたのはKの脆弱性に起因すると主張するが、Kが入社以来長期間にわたり海外業務に従事しながら、その間精神疾患を発症した経歴もないことからすれば、Kが通常の職場で想定し得る労働者の中で特にストレスに対する脆弱性が大きかったとは考えられない。以上に照らせば、Kに生じた前記の出来事は、通常の勤務に就くことが期待されている平均的な労働者にとっても、社会通念上、精神疾患を発症・増悪させる程度の危険性を有するものであり、Kのうつ病の発症・増悪及び自殺に至る一連の過程は、これらの業務に内在する危険が現実化したものというべきである。
 以上によれば、Kの自殺につき業務起因性を否定した本件処分には誤りがあるというほかないから、本件処分は取り消されるべきである。
適用法規・条文
労災保険法12条の2の2、16条
収録文献(出典)
労働判例945号5頁、判例タイムズ1261号198頁
その他特記事項