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名古屋西労基署長(N鋼管)うつ病自殺事件【うつ病・自殺】

事件の分類
うつ病・自殺
事件名
名古屋西労基署長(N鋼管)うつ病自殺事件【うつ病・自殺】
事件番号
東京地裁 - 平成17年(行ウ)第579号
当事者
原告個人1名

被告名古屋西労働基準監督署長
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
2008年01月21日
判決決定区分
棄却
事件の概要
 D(昭和25年生)は、昭和49年に大学を卒業後N鋼管に入社し、平成11年2月に同社の子会社であるJプラントサービス社(本件会社)に出向し、平成12年9月に同社に転籍して、名古屋営業所で勤務していた。

 Dは、平成14年4月から津市白銀環境清掃センターの所長であったところ、名古屋メンテセンターにチームリーダー制が導入されたことに伴って、平成15年4月に同センターの第2チームリーダーに就任したが、基本的にはそれまでの業務と大きく変わることはなかった。

 Dの家族は神奈川県に居住しており、Dは本件会社に出向して以降単身赴任生活であったところ、第2チームリーダー就任に当たって、妻である原告の実家がある津市に引っ越した。Dは、第2チームリーダーに就任して以降、上司に対して仕事の不安を訴え、同僚らに対し、仕事に行き詰まったこと、会社をやめざるを得ないことなどを訴え、原告に対し、仕事に行き詰まっていること、誰も助けてくれないこと、津市の住居に対する不満等を訴えたほか、父親に対し助けを求めたりした。そして、平成15年5月1日、Dは津市所在の単身赴任先のアパートにおいて、包丁で右手首を切って自殺した。
 原告は、同年11月27日、名古屋西労働基準監督署長に対し、労災保険の遺族補償給付及び葬祭料の請求をしたが、同署長は本件自殺は業務上とは認められないとして、平成16年10月12日付けでこれらを支給しない旨の処分(本件処分)を行った。原告はこの処分を不服として、労災保険審査官に対し審査請求をしたが棄却され、更に労働保険審査会に対し再審査請求をし、これと併行して、本件処分の取消しを求めて提訴した。
主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
判決要旨
1 業務起因性の判断基準

 労災保険法に基づく保険給付は、労働者の業務上の死亡等について行われるところ、労働者の死亡等を業務上のものと認めるためには、業務と死亡との間に相当因果関係が認められることが必要である。また、労災保険制度が、労働基準法上の危険責任の法理に基づく使用者の災害補償責任を担保する制度であることからすれば、上記の相当因果関係を認めるためには、当該死亡等の結果が、当該業務に内在する危険が現実化したものであると評価し得ることが必要である。

 精神障害の発症については、環境から来るストレスと個体側の反応性、脆弱性との関係で精神的破綻が生じるかどうかが決まるという「ストレス-脆弱性」理論が広く受け容れられていると認められるから、業務と精神障害の発症との間の相当因果関係が認められるためには、ストレス(業務による心理的負荷と業務以外の心理的負荷)と個体側の反応性、脆弱性を総合考慮し、業務による心理的負荷が、社会通念上、客観的にみて、精神障害を発症させる程度に過重であるといえる場合に、業務に内在ないし随伴する危険が現実化したものとして、当該精神障害の業務起因性を肯定するのが相当である。

2 本件自殺の業務起因性

 Dは、平成15年3月下旬頃から、初期症状としての個々の抑うつ症状が出現し始め、Dに出現した心身の症状は、ICD―10診断ガイドラインに照らし、F32「うつ病エピソード」であると判断することができ、発病の時期は遅くとも同年4月20日頃とするのが妥当であり、その後同月下旬にかけて抑うつ症状は次第に進行したものと判断できる。

 Dの自殺当時の具体的な担当業務を分析すれば、それぞれに困難な局面は存在するものの、基本的にはD自身も自己の業務について一定の満足を示し、会社側からも高い評価を得ていた同年3月以前までの仕事と基本的に異なることはなく、本件会社において応援態勢が存し、実際に応援されている事情を併せ考慮すれば、当時のDの資質、能力に照らしても、業務による心理的負荷が強いと認めることは困難である。Dの労働時間は平成15年4月が従前に比して増加しているが、Dのうつ病発症以後の同月20日以降に急に増えており、うつ病の症状である易疲労感の増大や活動性の減少による労働時間の増加とみられるのであって、業務の変化等による労働時間の増加とは考え難い。上記労働時間等に照らせば、Dの労働時間は極めて長時間とまではいえないし、休日も取得しており、第2チームリーダーに就任したことによる変化も特段見受けられず、上記労働時間等から、業務による心理的負荷が強度であると認めることは困難である。

 Dは、従前から関東地区での勤務を希望して単身赴任の解消を強く求めていたのだから、津市に引越が決まったことは、既に4年を超えていた単身赴任の期間が更に延びるという不安や不満が生じたとする可能性はもとより否定できないが、Dの単身赴任の期間が延びたことについての不満の存在やこれによる心理的負担が大きかったことを窺わせる証拠は存しない。以上からすれば、津市への引越による負担による心理的負荷を強いるものと評価することはできない。

 業務以外の心理的負荷を考察するに、家族関係に特段問題があったとは認められないし、Dが健康状態に不安を抱いていた可能性があるが、これ自体がうつ病を発生させるだけの強い心理的負荷であったとは認められない。また、個体側要因を考察するに、日常生活の適応に困難があったとは認められず、D及びその家族に精神疾患の既往歴は認められない。

 Dは、平成15年3月以前は、その業務遂行に特段の問題は存しなかったのであり、Dが同月20日頃発症したうつ病エピソードとの因果関係が想定できる業務に関する要因は、結局、第2チームリーダーに就任し、津市への引越を余儀なくされたことである。この出来事は、社会通念上、客観的にみて、うつ病を発症、増悪させる可能性のある出来事であるということができるのであり、それは、判断指針別表1の出来事の類型に「(5)役割・地位等の変化」の中の「配置転換があった」が存在することからも明らかである。

 第2チームリーダーへの就任と、従前からの引継業務と新たに担当となったことに伴う職種、職務の変化やその負担の状況をみると、いずれも決定的に重要な変化とか、過重な負担であるとまでは評価することができないのであり、この配置自体も十分に合理的であったと認められる。そして、労働時間と休日の取得状況から、同年4月以降のDの業務の質と量を検討しても、第2チームリーダーへの就任に伴い過重な労働を強いられたというだけの客観的な状況を認めることは困難であるし、Dのうつ病エピソード発症の前後を通じて業務に関して本件会社に支援を講じる体制があったと評価できる。また、津市への引越によりDの心理的負荷が生じたことはもとよりであるが、Dにとって津市はなじみがある土地であり、親族による助力が期待できるし、単身赴任生活はこの段階で既に約4年間に及んでいるのであり、これ自体を特に過重な負担と評価することもまた困難といわざるを得ない。
 以上の検討によれば、Dの業務による心理的負荷は、通常の組織変更に伴う配置転換による心理的負荷の域を出ていないと評価せざるを得ない。したがって、本件において、業務による心理的負荷が、社会通念上、客観的にみて、うつ病を発症・増悪させる程度に過重であったと認めることはできないのであるから、Dの業務と同人のうつ病の発症、増悪ひいては本件自殺との間に相当因果関係を認めることはできない。
適用法規・条文
収録文献(出典)
労働経済判例速報1999号13頁
その他特記事項