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土浦労基署長(T総合病院)新人外科医うつ病自殺事件【うつ病・自殺】

事件の分類
うつ病・自殺
事件名
土浦労基署長(T総合病院)新人外科医うつ病自殺事件【うつ病・自殺】
事件番号
水戸地裁 − 平成14年(行ウ)第20号
当事者
原告個人1名

被告土浦労働基準監督署長
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
2005年02月22日
判決決定区分
認容(確定)
事件の概要
 K(昭和37年生)は、昭和63年3月にA大学医学部を卒業し、同大学附属病院等に勤務した後、平成元年10月から平成4年3月31日までの間、本件病院第1外科に修練のため勤務し、同年4月1日よりA大学附属病院第一外科勤務となった。

 Kの本件病院における時間外労働時間は、日直、半日直を含めると、月間最高259.5時間、最低でも123.5時間、平均で170.6時間となっており、この間ほとんど休暇を取らず、1ヶ月に1度も休んでいない月及び1日しか休んでいない月が10ヶ月あった。特に平成4年3月には、宿直後連日手術を行い、連続勤務の後に宿直を行い、その後1日の休みを取った後は夜間の手術を含む深夜勤務等が続いた。こうした長時間労働や手術等によるストレスのため、Kは遅くとも平成4年3月中旬頃までにうつ病を発症し、同年4月1日に出身であるA大学附属病院第一外科勤務となって同月3日まで出勤したが、同月6日夜実家で母親と話をした後、翌日午前0時過ぎに自室に戻り、薬物を自己の体内に注射して自殺した。
 Kの父親である原告は、平成9年4月7日、労働基準監督署長に対し、Kの自殺が本件病院における過密業務によるものであるとして、遺族補償年金の支給を請求したが、同署長は同年10月23日、Kの死と業務との間に因果関係が認められないとして、本件不支給処分とした。そこで原告は労災保険審査官に対し審査請求をし、その棄却の裁決を受けて労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、これも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて提訴した。
主文
1 被告が、原告に対して、平成9年10月23日付でした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
判決要旨
 労災保険給付の対象となる業務上の疾病については、労働基準法75条2項に基づいて定められた同法施行規則35条により同規則の別表第1の2に列挙されており、精神疾患であるうつ病の発症が労災保険給付の対象となるためには、同規則別表第9号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当すること、すなわち業務起因性が認められることが必要である。そして、労災補償制度の趣旨は、業務に内在又は通常随伴する危険の発現としての労働災害について、使用者の過失の有無を問わず、被災労働者の損害を填補するとともに、被災労働者及びその遺族の生活を補償するところにあると解されるから、業務と疾病との間に業務起因性があるというためには、単に当該業務と疾病との間に条件関係が存在するのみならず、社会通念上、業務に内在又は随伴する危険の現実化として疾病が発生したと法的に評価されること、すなわち相当因果関係が認められることが必要である。

 精神疾患は様々な要因が複雑に影響し合って発症するものと考えられているが、業務と精神疾患の発症との間に相当因果関係が肯定されるためには、単に業務が他の原因と共働して精神疾患を発症させた原因の一つに含められると認められるだけでは足りず、当該業務全体が、社会通念上、当該精神疾患を発症させる一定程度以上の危険性を内在させ、又は随伴していると認められること、換言すると、業務が相対的に有力な原因となったと認められることが必要であると解するのが相当である。この観点から検討するに、Kが本件病院でした月間平均170時間を超え、時に200時間をも超えた時間外労働の時間の長さ及びその内容、性質に照らすと、Kのうつ病は、心理的負荷の重い本件病院における長時間の業務が相対的に有力な原因となって発症したものと認めるのが相当である。

 高度の専門技術と集中力が要求され、人の生命にかかわる外科手術を行うことは、熟練した外科医にとっては日常業務といえるとしても、順次、初めての症例に当たり、初めての手技を自らの手で行う新人外科医にとっては、次第に難度を増すそれぞれの外科手術の施術を担当すること自体が、相当の心理的負荷となるものと認めることができる。

 本件病院の外科医が皆激務であったということができるとしても、Kの業務上の心理的負荷の程度は、あくまで新人外科医として検討されなければならない。この意味でKと同程度であった医師はHとIだけであり、Hとでは時間外労働時間で2倍かそれ以上の差があり、Iは時間外労働時間の点ではKに匹敵するが、Kとは対照的に外向的な性格であり、物事について割り切った考え方ができる性格である。これに対しKは、真面目で、責任感が強く、他者配慮的で、几帳面な性格によって、患者のみならず看護婦等にも周到に配慮して気を遣い、常に患者の容態を心配していたことが認められるのであり、このような医師を心理的負荷の強度を判断する際の基準外とすることはできない道理である。そして、Kは本件病院で初めて、勤務医として人の生命を左右する責任の重い立場に立ち、自ら執刀して手術を担当したり、治療を行ったりして、場合によっては患者の死や再発に直面し、緊迫した事態のもとで治療、救命にかかわるようになったものであるから、業務がKに与えた心理的負荷は客観的にも相当に重いものであったということができる。

 更に、緊急かつ重大な業務に突発的に携わる可能性が常時ある状態に置かれていたオンコール制のもとでの当番の際や、受持ち患者の容態の急変等により、ポケベル等で呼び出される可能性のある状態が連続していたことによる心理的負担も軽いものとはいえない。また、帰宅後実際に呼び出されて患者の診療に当たったり、深夜、早暁に緊急手術を行ったり、深夜勤務、終夜勤務等を断続的に繰り返したりすることによる睡眠リズムの乱れ等も、長時間労働と相まって、うつ病発症の要因となる性質のものであったことは知見上明らかである。

 Kの時間外労働時間は、うつ病発症と強い関連性が指摘されている月間100時間以上どころか、最大259.5時間、平均170.6時間に及んでおり、しかもほとんど休みのない状態で、更に不規則な時間帯で、連続した勤務を長時間にわたって続けていたものであって、それ自体がうつ病発症と強い関連性のある負荷となっていたということができる。

 Kが担当した手術の難度が次第に高くなり、その心理的負荷が次第に重くなっていったことは前記のとおりであり、Kが本件病院勤務当初からの長時間労働に耐えたからといって、長時間労働がKにとって負担にならなくなったとはいえないことは多言を要せず、Kの労働の長さと質は、本件病院に勤務する前と比較すれば、格段の差があったと解される。そもそも、専門検討会報告や判断指針が発症前6ヶ月に注目すべきであるとしているのは、急性のストレス要因となる特定の具体的出来事の影響を検討するに際し、発症前6ヶ月に注目すべきこと、また持続性のストレスとなる長時間労働については、それ以前の労働時間と比較して顕著に長時間化することが発症の要因となり得ることを指摘するにすぎず、長時間労働がより長期にわたって常態化することが発症の要因にならないとの前提に立つものでないことは明らかであり、同報告も、発症の6ヶ月以上前から続く常態的な長時間労働が更に過重性を増す場合には、その変化の度合いが小さくても、強いストレスと評価すべきでるとしているのである。

 被告は、本件病院の勤務医の時間管理には裁量性が認められていたから、病院に滞在した時間が長いことは心理的負荷と評価し得ない旨主張するが、Kの性格や仕事振りからすると、Kは勤務時間内に適宜に休息を取ることが下手であり、むしろ裁量性が認められていたからこそ、業務に対する真摯な姿勢が業務の密度を濃くし、K自身の受ける負荷を高めたと考えられる。被告は、7時間未満の自由時間をもって初めて負荷と捉えるかのごとく主張するが、専門家会議報告や判断指針は、「極度の長時間労働」の例として、「数週間にわたる」「生理的に必要な最小限度の睡眠時間を確保できないほどの長時間労働」を挙げるが、「極度の長時間労働」がこれに限られるものでないことは当然であり、同報告や指針からは、労働時間としては上記の例よりもやや短い時間であろうと、はるかに長期間にわたる長時間労働の場合を除外する趣旨を読み取ることはできない。

 専門検討会報告や判断指針は、業務による心理的負荷の強度を評価する手法として、ストレス要因となる「出来事」を類型化してストレス強度を評価する方法、その際注目すべき点を示しているが、同時に、長時間労働が精神障害の準備状態を形成する要因となっている可能性があるとして、出来事の評価に当たって、特に恒常的な長時間労働が背景にある場合、ストレス強度はより強く評価される必要があると指摘している。その見解に沿って検討しても、Kの業務は、重症の受持患者等の診療それ自体が、自己の責任において他人の生命等を左右するという意味で、それぞれ「出来事」としての性質を有するものと評価することができ、本人の意思とかかわりのない患者の病状の変化という事態に対応を余儀なくされるという意味で、「仕事の裁量性の欠如」「本人の意思に反した強制的スケジュール」「仕事の密度が濃くなった」といった「仕事の量、質の変化」を伴うものであり、「責任の度合い」「作業困難度」という点からも、研修医であった当時、痲酔医の研鑽をしていた時期とは、格段の差があったと解されるのである。

 Kの個体側の要因の有無についてみると、医師はKの性格傾向について、メランコリー親和型性格であるとしており、Kは性格上一人で問題を抱え込んでしまうような面があったため、同じ出来事に対してでも、感じる心理的負担感がI医師より重かったことが窺われる。しかし、そもそもメランコリー親和型性格とは、あくまでも人格の特徴、人間の存在様式の一つであり、個性の多様さとして通常想定される範囲内のものにすぎず、それ自体がうつ病発症に直結するほどの強い関連性を持つとはいえないのであり、他にKの個体側にうつ病発症の原因となるような要因は、これを認めるに足りる証拠はない。
 以上のとおり、Kが本件病院における業務の上で感じていた心理的負荷は、社会通念上、うつ病を発症させる危険性を内在させているといえる程度に強いものであると認められるのに対し、同人の個体側要因にはうつ病発症と強い関連性を持つ要因は認められないのであって、Kのうつ病発症及びそれによる本件自殺は、同人のうつ病発症及びそれによる本件自殺は、同人の本件病院における業務に起因するものと認めるのが相当である。
適用法規・条文
07:労働基準法75条,労災保険法16条の2
収録文献(出典)
労働判例891号41頁
その他特記事項