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新宿労基署長(K病院小児科医)うつ病自殺事件【うつ病・自殺】
- 事件の分類
- うつ病・自殺
- 事件名
- 新宿労基署長(K病院小児科医)うつ病自殺事件【うつ病・自殺】
- 事件番号
- 東京地裁 - 平成16年(行ウ)第517号
- 当事者
- 原告個人1名
被告新宿労働基準監督署長 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2007年03月14日
- 判決決定区分
- 認容(確定)
- 事件の概要
- F(昭和30年生)は、昭和62年4月からK病院に小児科医として勤務し、平成11年1月31日付けで同病院小児科部長代行に任命された者である。
Fの平成10年9月から平成11年8月までの勤務状況をみると、通常の勤務時間は午前8時30分頃から午後5時頃まで、部長代行になってからは午後6時頃まで、概ね週2~3回一般外来を担当していた。Fが部長代行に就任した直後、育児休業明けの医師を含む2名の医師が同年3月末で退職するなどしたため、Fは同月に8回の宿直を担当した。また、Fは小児科の管理者として、後任医師の確保に奔走したが、その補充を得ないまま4月を迎えたため、本来2名で行うべき外来診察を1人の医師が担当したり、一般外来診療と入院診療とを同時に受け持たざるを得なくなるなど、小児科は多忙を極めるようになった。同年5月に医師1名が確保されて繁忙状況も幾分緩和されたが、翌月には医師の退職問題が発生し、Fはその対応に追われた。
Fは、平成8年8月頃から宿直の前後に睡眠導入剤を服用していたが、平成11年3月になると服用回数も増加し、疲れ切った様子で、痛風も悪化し、家庭でも過敏に反応するようになった。同年6月になると、Fは原告らを責めたり、泣き出すなど、家庭での喜怒哀楽が激しくなり、夏期休暇に一家で旅行したものの、家族に断りのないまま帰京するなどし、夏期休暇の最終日である同年8月15日、Fは原告に対し、職直当番であると告げて早めに夕食を摂り、K病院に行き、翌16日午前6時40分頃、同病院の屋上から飛び降り自殺した。
Fの妻である原告は、平成13年9月17日、被告に対し、労災保険法に基づく遺族補償給付の請求をしたところ、被告は平成15年3月25日付けで不支給処分(本件処分)をした。原告はこれを不服として労災保険審査官に対し審査請求をし、同審査官の棄却の決定を受けて労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、裁決がないまま本件訴訟を提起した。 - 主文
- 1 被告が原告に対し平成15年3月25日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付を不支給とする処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 業務起因性の判断の枠組み
(1)労災保険法12条の8第1項4号及び第2項は、労働者の業務上の負傷、疾病、障害又は死亡に関する保険給付(同法7条1項1号)として、遺族補償給付を定め、「労働者が業務上死亡した場合」(労働基準法79条)に遺族補償を支給する旨定める。そして、精神疾患による自殺がこれに該当するには、当該精神疾患が労働基準法施行規則別表第1の2第9号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当すること、すなわち、当該精神疾患につき業務起因性が認められなければならないが、この業務起因性を肯定するには、業務と死亡の原因となった疾病との間に条件関係が存在するだけでなく、両者の間に相当因果関係があることが必要であると解される。そして、労働基準法及び労災保険法による労働者災害補償制度は、業務に内在ないし随伴する各種の危険が現実化して労働者に疾病等の結果をもたらした場合に、使用者等に過失がなくとも、その危険を負担して損失を填補すべきであるとする危険責任の法理に基づくものであるから、業務と疾病等との相当因果関係の有無は、社会通念上、当該疾病等が業務に内在又は随伴する危険が現実化したものと評価し得るか否かによって決せられるべきである。したがって、原告の、(イ)業務による疲労・ストレスに起因する心身の負荷が労働者の発症した疾病等の原因の一つになっていれば業務起因性を肯定すべきであるとの主張や、(ロ)業務の起因性を当該労働者本人を基準として判断すべきであるとする主張はいずれも採用できない。
(2)精神的破綻が生ずるかどうかは、環境由来のストレスと個体側の反応性・脆弱性との関係によって決まるというストレス;脆弱性理論によるのが相当であるが、業務と精神疾患の発症・増悪との間の相当因果関係の存否を判断するに当たっては、(1)当該労働者に発生した個別、具体的な業務上、業務外の出来事を把握した上で、(2)これを医学的経験則を基礎としつつ、社会通念に照らして、これらの出来事が労働者に与える心理的負荷の有無や程度を評価し、(ハ)上記(ロ)に当該労働者の基礎疾患等の身体的要因や、精神疾患への親和性の有無、程度といった個体側の要因をも併せ勘案することにより、総合的に検討・判断するのが相当である。
(3)労災保険法12条の2の2第1項は、労働者の故意による事故等を労災保険給付の給付対象から除外しているが、同条項は、業務との関連性の認められない労働者の自由な意思によって発生した事故等については、業務との因果関係が中断される結果、業務起因性が認められないこととなるとの理を確認的に示したものにすぎないと解すべきであるから、自殺行為のように外形的には労働者の意思的行為によって事故が発生した場合であっても、当該行為が業務に起因して発生した精神疾患の症状の発現と認められる場合には、労働者の自由な意思に基づく行為とはいえず、同条項には該当しないと解するのが相当である。
2 業務起因性
(1)本件疾病発生の機序
原告は、Fは小児科部長代行就任が管理職としての業務を付加することとなり、本件疾病発症の原因の一つになったと主張するが、Fは部長代行就任を非常に喜んでおり、就任当初はやる気に溢れている様子であったことに照らすと、部長代行への就任自体が本件疾病発症の原因になったとは認めるに足りない。また、平成11年1月以前のFは、他の医師よりも多くの宿直回数を担当するなど、疲労蓄積があったことは想像に難くないものの、宿直回数は他の医師と比べても月1、2回多い程度であるから、同月以前の事情が本件疾病発症の原因であったとは認めるに足りない。
平成11年3月には、K、L医師の勤務が軽減されたことにより、日宿直当番については2名減と等しい状況となったため、Fはその担当の割振りに腐心せざるを得なくなり、結局Fの3月の宿直回数は8回となったほか、4月の欠員補充の医師を確保できなかった。
そして、宿日直当番の調整や補充医師の確保を巡る諸事情や、人事面の努力が実を結ばなかったことが焦燥をかき立てたことなどを勘案すると、同年2月の両医師の退職表明に伴う宿直当番の調整や補充医師の確保という課題は、Fに対する強度の心理的負担となっていたとみるのが相当である。また、両医師が退職した後の4月のK病院の小児科は繁忙を極めており、この状況はFの疲労を蓄積させる結果となったとみるのが相当である。
(2)業務の過重性の評価
上記のような、医師2名の退職意思の表明を契機としてFに発生した出来事が与える心理的負荷の程度につき検討すると、日宿直等場の調整は、(イ)3月の宿直当番の実施が目前に迫っていたため、特に迅速な解決が求められたこと、(ロ)人員不足を埋める外医の確保が容易でなかったこと、(ハ)K病院当局としては、地域密着型の本件救急診察体制をできるだけ維持するため、365日・24時間の小児科医療体制を希薄化させかねない宅直の拡大には消極的であったと推定されることなど、当時の宿直当番の調整を巡る客観的状況に照らすと、上記問題の解決は相当困難であったと評価すべきである。また、補充医師の確保問題についてみても、小児科医の不足という事情に基づくことによる解決の困難さや、その確保のため多方面への働きかけをしたものの、困難を極めたという一連の過程をも併せ勘案するならば、その解決が極めて困難なものであったことは明らかである。してみれば、平成11年2月から3月にかけて発生した上記課題は、評価表に列記された出来事に当てはめてみると、「ノルマが達成できなかった」「同僚ないし部下とのトラブルがあった」といった出来事と同等の心理的負荷を与えるものというべきであり、それゆえ、その心理的負荷の強度は、少なくとも「2」には達していたと認めるのが相当である。
宿直勤務において実際に診察を行った患者数は必ずしも多いとはいえないものの、実際に6時間程度の睡眠を取り得る程度の仮眠可能時間がある日は、3月中の宿直日でも3日ほどしかなく、診察の多くは睡眠が深くなる深夜時間帯におけるものであることが認められる。そして、宿直勤務においては、少なくとも疲労を回復し得る程度の深い睡眠を確保することは困難であったといわざるを得ない。してみると、多数回にわたり宿直当番を担当することは、それだけ当該労働者の睡眠が奪われる危険性が高まるといえる。加えて、Fの平成10年9月から平成11年8月までの労働時間数をみると、宿直明けの日に必ず休日を取得することが保障されているわけではなく、同年3月から4月にかけて、宿直明けに連続勤務が組まれている日が3日あり、また3月の時間外労働時間数も83時間超に至り、更には、上記期間中にFが全く勤務から解放されていた日も2日しかない。このような同月のFの宿直勤務の回数(8回)の業務性質をみるならば、社会通念に照らして、当該業務は労働者の心身に対する負荷となる危険性のある業務であったと評価せざるを得ない。そして、上記の負荷の性質は、労働者の睡眠を奪う危険性を有するものであるから、評価表1の「勤務・拘束時間が長時間化した」にも比すべきストレス要因とみるのが相当であり、その心理的負荷の強度は「2」レベルにはあるということができる。
K、L医師が退職した後のK病院小児科及びFの勤務の各状況は、評価表1の「部下が減った」及び「部下とのトラブルがあった」に該当するところ、これらはいずれも心理的負荷としては「1」レベルではあるものの、高度の専門職である医師を束ね、かつ、補充医師の確保が極めて困難であることから個々の医師の去就につき大きな関心を抱かざるを得ない立場にある管理職が、上記のような状況に陥ることは、特に心理的負荷の程度としては「1」よりも強度であり、少なくとも「2」と評価すべきである。
以上によれば、Fが置かれた具体的状況を念頭に置いて、社会通念に照らして業務の危険性を判断すると、平成11年2月以降にFが従事した業務は、社会通念上、精神疾患を発症させる危険性の高いものであったというべきである。
(3)業務外のストレス要因及びFの個体的要因
Fの生活史、家族構成、経済事情などで、同人に心理的負荷となるような事情は、子の受験に伴うものが想定されるほかは、特に見当たらない。
3月時点でFに生じた不眠の原因については、当直当番の調整の失敗や補充医師の確保がままならない状況がこれに影響を与えた可能性は否定できず、これがFの精神状態を不安定にし、不眠をもたらした可能性はあるが、これらの課題自体がいずれも本件疾病の発症、増悪の原因となっていると解される以上、Fにこのような精神状態が生じていたことをもって、同人の個体側要因の問題つまりストレス脆弱性を示すものと評価するのは相当でない。また、Fには、従来から高脂血症・痛風といった生活習慣病が出現しているところ、これらの生活習慣病とうつ病との関連性が指摘されている。しかし、かかる生活習慣病に罹患した者がうつ病を発症しやすいとの関係を基礎付けるような専門的知見が形成されたと認めるには足りず、この点をもってFの個体側の脆弱性を認めることはできない。
(4)総合的検討
そこで、(2)(3)の検討結果に基づいて、本件疾病の業務起因性につき判断すると、Fが本件疾病罹患前に従事していた業務は精神疾患を発症させ得る程度の危険性を内在しており、他方で、Fの業務外の出来事で同人の心理的負荷をかけるような事情は、せいぜい「子供の入試・進学があった又は子供が受験勉強を始めた」(強度は「1」)が想定される程度で、被告が主張する遺産相続に関連する弟との不和などの事情を認めるに足りる的確な証拠はなく、また同人の個体側要因として問題となる性格傾向の脆弱性は、特に本件疾病発症との関係では有力な原因となったものとは認め難い。してみると、本件疾病は業務に起因して発症したものと認めるのが相当である。
以上、Fは平成11年3月から4月遅くとも同年6月頃には、業務に起因して本件疾病に罹患し、その判断能力が制約された状況で、同疾病による自殺念慮から本件自殺に及んだと認められるから、本件につき労災保険法12条の2の2第1項は適用されず、その業務起因性を認めることができる。以上の次第で、本件疾病につき業務起因性を否定した本件処分は違法であるから取消しを免れない。 - 適用法規・条文
- 07:労働基準法79条、労災保険法7条1項、12条の2の2第1項、12条の8第1項、第2項
- 収録文献(出典)
- 労働判例941号57頁
- その他特記事項
- 本件は、佼成病院に対する損害賠償請求としても争われた(東京地裁-平成14年(ワ)28489号 2007年3月29日判決)。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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