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加古川労基署長(K社)自殺事件【うつ病・自殺】
- 事件の分類
- うつ病・自殺
- 事件名
- 加古川労基署長(K社)自殺事件【うつ病・自殺】
- 事件番号
- 神戸地裁 - 平成3年(行ウ)第40号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 加古川労働基準監督署長 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 1996年04月26日
- 判決決定区分
- 認容
- 事件の概要
- 原告の長男であるPは、大学卒業後の昭和58年4月にK社に入社し、同年5月、新入社員に対する実地研修として、同社高砂事業所回転機工場工務課に配属された。
K社は、Pが英語を得意としており、Pの将来に有益であるとの判断から、同年12月4日、2ヶ月間の予定で、Pに対しインドのボンベイ近くに所在するタールサイトへの出張を命じた。K社は当地において空気圧縮機及び冷凍機の据付け工事を請け負っており、Pが現地に着いた後、本件工事のため3名の技術指導員が日本から派遣されることになっていた。ところが、当初予定された3名が宿泊する予定だったゲストハウスが、手違いにより使えなくなったことから、昭和59年1月13日に到着した3名はやむを得ず他のホテルに宿泊することとなった。Pはそのことについて非常に責任を感じ、ゲストハウスとホテルの費用の差額負担などに悩み、3名に対し繰り返し執拗に不手際を詫びたほか、食欲不振、不眠、話しかけても応えないなどの異常が見られるようになった。そこでPの上司であるSは、同月16日、Pの気分転換を図り、必要ならば医師の診断を受けさせるため、Pを連れてボンベイに行った。その日の夜2人はボンベイのホテルにチェックインしたが、翌17日未明、Pがホテルの部屋の真下の地上に倒れて死亡しているところが発見された。そして、本件事故は、事故に至る経緯及び現場の状況から、Pがホテルの自室から身を投げた自殺であると判断された。
Pの父である原告は、Pの自殺は業務に起因するものであるとして、被告に対し、労災保険法に基づき、葬祭料及び遺族補償一時金を請求したが、被告はこれらを支給しない旨の処分を行ったため、原告はこれを不服として審査請求、更に再審査請求をしたが、いずれも棄却されたことから、被告の行った処分の取消しを求めて本訴を提起した。 - 主文
- 1 被告が、昭和60年3月12日原告に対してした労働者災害補償保険法による葬祭料及び遺族補償一時金を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 心因性精神障害発症の有無等
本件事故発生時のPの精神状態として、(1)宿舎問題が発生する昭和59年1月9日までは精神状態は概ね安定していたこと、(2)同年1月13日以降は、Pは素人目にも様子がおかしいと感ぜられたことが認定できる。すなわち、13日の夜には、Pに、精神医学上、思考障害ないし思考の遅滞化と認めるべき症状(担当でありながら会食の準備をしていなかった)が生じており、14日以降には、精神医学上、自閉・絨黙と認めるべき症状(話しかけても応答しない)が生じていた。また、同日夜の会食時のPには、うつ状態の症状と認めるべき精神運動抑制、抑うつ感情、悲観、自責感等の症状、更に食欲不振、不眠の症状が生じており、これらの症状は、うつ病ないしうつ状態の典型的な症状である。翌15日にもPは思考障害或いは絨黙に類する症状を呈しており、翌16日のどうして良いかわからないとのPの言葉は現実検討能力を失っていることを示している。以上によれば、Pは本件事故当時、精神障害により心神喪失状態にあったということができ、その精神障害の診断名としては、DSMの3のRにいう短期反応精神病ないしは反応性うつ病とみるのが相当である。
2 Pの心因性精神障害の業務起因性
Pは、入社前に数回の海外旅行の経験があり、語学にも秀でていたが、留学等の相当期間にわたる海外生活の経験はなく、インドにおけるビジネスの場の語学力としては十分なものではなかった。また、Pは入社後1年に満たない新入社員であり、本件出張当時は研修期間の途中であって、営業部門での経験は積んでおらず、海外勤務はむろん初めてであった。もっとも、入社1年未満の海外出張は、K社では先例がないわけではなく、直ちに他の社員と比較して特に過重な業務を課されたとはいえない。
派遣先のインドは、発展途上国であり、言語はもとより、風土、生活習慣、風俗、衛生状態、人種、民族、宗教等あらゆる面で我が国との差異があり、特にタールサイトは通信事情が極めて悪いため、何らかのトラブルがあれば会社からの指示を得るのに時間がかかり、Pが自分の判断で処理しなければならないことが多かった。また、Pが業務上接触した相手方は国籍も様々な外国人である上に、インドにおけるビジネス上の約束の履行に対するルーズさは日本とは比較にならず、Pもそのことに悩まされていた。これらの点に照らせば、タールサイトは、入社1年未満の新入社員の初めての海外派遣の派遣先としては、いささか過酷なものであったということができる。
更にタールサイトにおけるK社の社員のみならず、Pにとって交流ある日本人はSのみであり、特に就業時間中Sは現場におり、Pは事務所で外国人と執務していたほか、通信事情が悪いため、国内の親しい者とコンタクトを取ることも困難であった。Sは、Pにとって唯一の上司であったが、相当年齢が離れている上、同人の職務は基本的には技術指導であったため、営業分野の問題については東京に問い合わせるほかなかった。そうすると、PはSとは良好な関係を保っていたとはいえ、公私にわたって悩み等を腹蔵なく話すことは事実上極めて困難であったといえる。
このような状況の下で、宿舎問題が発生したのであるが、これはPが派遣先で初めて遭遇した難問であり、Pは技術指導員が到着するまでの間、その解決に精力的に取り組んでいた。しかしながら、通信事情等のために会社からの適切な指示が得られなかったこともあって、Pは宿舎問題について適切な解決法を見出すことができず、宿舎問題はPにとって強度の精神的負担となっていた。そして、技術指導員の到着後、同人らとの会談の頃から、Pに各種の症状が現れるようになってきたことからみても、同人らとの接触により、Pの不安、緊張が高められ、心因性精神障害の発症に至ったものと認められる。
以上を総合すると、Pの精神障害は、海外勤務で余儀なくされたインドでの生活自体からもたらされるストレスが積み重なっていた上に、宿舎問題という業務上のストレスが加わったことによって発生した心因性の精神障害であると認めるのが相当である。
以上のとおり、Pについては、K社が命じた海外勤務による業務に関連して、短期反応精神病ないしは反応性うつ病を発症させるに足る強い精神的負担が存在していたと認められるところ、Pに右精神障害の有力な発病原因となるような業務以外の精神的負担が存在したとは認められず、かつ、精神障害の既往症その他当該疾病の有力な発病原因となるような個体側要因が存在したとも認められないから、Pの精神障害の発症については、業務起因性を肯定することができる。 - 適用法規・条文
- 労災保険法12条の2の2第1項、16条の2、17条
- 収録文献(出典)
- 労働判例695号31頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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