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地公災基金神戸支部長(N消防署)自殺事件【うつ病・自殺】

事件の分類
うつ病・自殺
事件名
地公災基金神戸支部長(N消防署)自殺事件【うつ病・自殺】
事件番号
神戸地裁 - 平成12年(行ウ)第22号
当事者
原告 個人1名
被告 地方公務員災害補償基金神戸支部長
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
2002年03月22日
判決決定区分
認容(控訴)
事件の概要
 T(昭和15年生)は、昭和34年5月に神戸市消防士に採用され、平成3年4月よりN消防署管理係長として勤務していた。Tは、消防士として採用されてから管理係長に就くまで、現場での職務にのみ従事し、経理・庶務等の業務は初めてであった。

 Tと同時に赴任したS消防署長は、かつてTと激しい確執があった者であり、着任直後から、署長公舎の改装、家具・什器の購入、駐車場工事に伴う近隣住民への挨拶回り等を巡ってTとS署長の間で激しい口論となった。またS署長は、経理関係事務の決裁には詳細なチェックを行い、部下の前でTを激しく叱責し、書類を叩きつけるなどした。

 Tは、管理係長に就任した平成3年4月以降は帰宅が遅くなり、4月38時間、5月35時間、6月20時間を超える超過勤務をするようになり、その頃から妻である原告に対し、疲れがとれないと訴えるようになり、同年6月頃からは憔悴しきって夜眠れなくなり、体重も減少し、辞めたいと泣くこともあった。そこで、Tは同年7月に精神科を受診し、1ヶ月間休業したが、休業明けも出勤拒否状態となり、うつ病と診断された。Tは同年9月に4日間出勤したが再度出勤拒否状態となり、同年10月1日付けで防災センターへの異動の内示を受けた。同年11月頃には、Tの症状は多少軽快したものの、一進一退状態であり、抗うつ剤等の薬物投与を受け、平成4年5月8日から同年8月21日までの間入院し、その後通院治療を行った後、同年11月24日に再入院し、平成5年4月30日まで入院加療を継続した。その後、Tは職場復帰可能という医師の判断を受けて、同年5月1日から防災センターに職場復帰したが、同年6月15日、作業を終えて事務所に帰る途中、約1メートルの壁から転落し、全治3ヶ月を要する左手首骨折の傷害を負って10日間休業し、同年8月頃からは出勤すると自殺するとの恐怖感に襲われて出勤しなくなり、同年9月8日、農薬を服して自殺した。
 Tの妻である原告は、平成6年11月24日、被告に対し、Tの自殺は公務に起因するうつ病によるものであるとして、地方公務員災害補償法に基づき公務災害認定の請求をしたところ、被告は平成8年8月19日付けで、請求を棄却する本件処分をした。原告は本件処分を不服として、審査請求更に再審査請求を行ったが、いずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。
主文
1 被告が原告に対し、地方公務員災害補償法に基づき平成8年8月19日付けでなした公務外認定処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
判決要旨
1 公務起因性の判断基準

 地公災法31条の「職員が公務上死亡した場合」とは、職員が公務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合をいい、同負傷又は疾病と公務との間には相当因果関係のあることが必要であり、その負傷又は疾病が原因となって死亡事故が発生した場合でなければならない。そして、地方公務員災害補償制度が、公務に内在又は随伴する危険が現実化した場合に、使用者に何ら過失がなくとも、その危険性の存在故に使用者がその危険を負担し、職員に発生した損失を補償するとの趣旨から設けられた制度であることからすると、前記相当因果関係があると認められるためには、公務と負傷又は疾病との間に条件関係があることを前提とし、これに加えて、公務が当該疾病等を発生させる危険を内在又は随伴しており、その危険が現実化したといえる関係にあることを要するものと解すべきである。その場合、当該被災公務員が疾病発生の素因や基礎疾患を有していたとしても、その程度、当該公務の内容、状況等を総合考慮し、社会通念上、公務の遂行が当該公務員にとって精神的及び肉体的に相当程度の負担と認められる程度の過重な負荷を加え、これによって、素因や基礎疾患が自然的経過を超えて急激に増悪し、発症したと認められる場合には、公務に内在する危険が現実化したということができるから、その疾病と公務との間に相当因果関係を認めることができるというべきである。なお、この公務の過重性は、当該職員と同種の公務に従事し、又は当該公務に従事することが一般的に許容される程度の心身の健康状態を有する職員を基準として判断すべきものと解する。

 また、本件のような精神障害に起因する死亡の場合には、(1)公務と精神障害との間の相当因果関係があることに加え、(2)当該精神障害と自殺との間に相当因果関係が認められることが必要である。

2 本件うつ病の発症と公務との相当因果関係

 精神障害の成因については、「ストレス―脆弱性」理論(ストレスが非常に強ければ個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起こるし、逆に脆弱性が大きければストレスが小さくても破綻が生ずるとされる)によって理解することが多くの人に受け入れられていることが認められる。各医師のTのうつ病についての意見は、いずれも仕事上のストレスとメランコリー親和性性格等の内的要因が相まって発症したうつ病であること、及びその発症については仕事上のストレス要因が大きな要素を占めていることを認めるものであり、それらは、精神障害の成因についての現在の精神医学の理解・知見に鑑みれば、Tのうつ病が従前使われてきた分類によっては截然と分類し難いうつ病であることを示すものにほかならないと考えられる。そうすると、Tのうつ病の症状及びその経過中に内因性うつ病のそれを示すものがあるからといって、これを内因性うつ病と分類し、そのことのみから直ちに公務起因性を否定するのは妥当ではなく、Tの有したうつ病についての内在的素因の程度、Tの従事した公務の内容、状況等を総合考慮し、社会通念上、公務の遂行がTにとって精神的及び肉体的に相当程度の負担と認められる程度の過重な負荷を加え、これによって、内在的素因が自然的経過を超えて急激に増悪し、うつ病を発症させたと認められるか否かによってこれを判断するのが相当である。そして、この場合の公務の過重性は、Tと同種の公務に従事し、又は当該公務に従事することが一般的に許容される程度の心身の健康状態を有する職員を基準として判断すべきである。

 Tは、長田消防署管理係長の職に就くまでは、経理、庶務等の業務を行ったことがなかったこと、署長SとTは以前上司・部下の関係にあったが、Sのワンマンぶりに我慢できず、Tから異動を申し出たことがあったことが認められ、これらの事実によれば、管理係長への就任は、Tに対し、初めて携わる経理・庶務等の業務に対する不安及び緊張並びに過去に軋轢のある上司との人間関係に対する極度の不安及び緊張といった、通常の配置転換に伴う不安や緊張等のストレスを超えた、かなりの精神的負荷を与えたことが窺われる。

 S署長が格別にTに対し嫌がらせやいじめを行う意図を抱いていた事実は認められないものの、経理関係の決裁の際には逐一詳細なチェックを行い、Tが十分に説明できなかったときには部下の面前で大声で怒鳴り、書類を机に叩きつけたりたりしたこと、駐車場工事についてTを通さず直接業者に交渉・催促したため、Tの業務量が増えたこと等、Tの自尊心を傷つけるような指示・命令・叱責等を行ったため、Tに強度の心理的負荷を与えたことが認められる。そして、Sは他の部下職員に対しても、職員の前で厳しい言葉で叱責したこと等から、Sを「殺したい」と思わせるほど精神的苦痛を与えたり、反感を持たれたりしていたことなどの事実に照らせば、S署長の指示命令及び言動は、Tと同種の公務に従事し、又は当該公務に従事することが一般的に許容される程度の心身の健康状態を有する職員を基準としても、強度の心理的負荷を与えるものであったと認めるのが相当である。

 Tが実際に従事した職務の内容は、管理係の統括に加え、S署長から決裁の内容について厳しく追及されたり、署長公舎の近隣住民への挨拶回りを行ったり、公舎駐車場工事のために消防局や業者と連絡をとったり、コミュニティーセンター利用者らからの苦情処理をしたり、クーラー修理のために外部業者らと連絡折衝を行ったり、工事に立ち会ったり等、多くの雑務処理を行っていたことが認められ、また、これらの職務は署外での業務を伴うものが多いから、決裁書類の作成や統括事務を勤務時間内に終わらせることができず、超過勤務も相当多かったであろうことが推認され、これらの事実を総合すれば、Tがかなり多忙な状況にあり、過重な公務を遂行していたことが認められる。

 以上の事実を総合すれば、Tがうつ病を発症するについては、そのメランコリー親和型性格等の素因が介在していたことは否定できないとしても、公務上のストレスがより大きな要因となって発症に至ったものと認めるのが自然であるし、公務の内容・状況に照らせば、社会通念上、公務の遂行がTにとって精神的及び肉体的に相当程度の負担と認められる程度の過重な負荷を加え、これによって、素因が自然的経過を超えて急激に増悪し、発症したものと認めるのが相当である。そうすると、Tのうつ病の発症は当該公務に内在又は随伴する危険が現実化したものとして、当該公務とうつ病との間に相当因果関係を認めることができる。

3 本件うつ病と自殺との相当因果関係

 Tの自殺は、うつ病発症後2年以上経過してのものであり、その間にTは治療も受け、また他の部署への異動といった配慮もなされていたが、それにもかかわらず、Tのうつ病は平成3年11月初め頃に多少軽快したものの、一進一退の状態を続け、また、平成4年1月から3月までの間は、S署長に対する怒りや恨みが強く表面化しつつも、症状自体は比較的落ち着いていた。しかしこれも長続きせず、症状の改善は見られず、平成5年5月1日には症状軽減をもって復職したが、出勤に対する抵抗感、緊張感が強く現場への適応困難な状況のため、復職に際し、不眠・焦燥感・抑うつ気分・意欲減退・自殺念慮が再燃し、その後も症状は一進一退をたどったもので、結局そのうつ病はTの死亡まで治癒には至らなかったこと、その間、復職及びそれに伴う仕事の変更やその後の骨折といったことにより生じたと思われる新たなストレスも、それらが独自にTを自殺に向かわせた要因になったものとまでは認められないこと、一般的にうつ病罹患者の自殺念慮は強く、特に焦燥型うつ病には自殺の危険が高いこと、今日のうつ病の10〜15%が充分な治療にもかかわらず慢性化していることが認められ、その他本件うつ病以外にTを自殺に至らしめる事情があったことを窺わせるような証拠はないことをも総合すると、本件うつ病と自殺との間には相当因果関係があるものと認めるのが相当である。

4 労災保険法の「故意」について

 業務上の精神障害によって、正常の認識、行為選択能力が著しく阻害され、又は自殺行為を思い止まる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われたと認められる場合には、結果の発生を意図した故意には該当せず、労災保険法12条の2の2第1項の「故意」によるものではないと解するのが相当である。

 これを本件について検討すると、一般的にうつ病罹患者の自殺念慮は強く、特に焦燥型うつ病には自殺の危険が高いこと、今日のうつ病の10〜15%が十分な治療にもかかわらず慢性化していることが各認められるところ、Tのうつ症状は、焦燥感と生気感情の喪失に支配され、平成3年7月16日の初診時から平成5年9月8日の自殺に至るまで、多少の軽快はあっても治癒には至らなかったことに鑑みれば、Tの自殺は、うつ病によって正常の認識、行為選択能力が著しく阻害され、又は自殺行為を思い止まる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で行われたものと推認するのが相当である。したがって、Tの自殺は、上記「故意」に該当しないと解するのが相当である。
 以上のとおり、Tは本件過重な公務によりうつ病に罹患し、その自殺念慮によって自殺したものといえるから、公務起因性を認めるのが相当であり、これを否定した本件処分は違法である。
適用法規・条文
地方公務員災害補償法31条、労災保険法12条の2の2第1項
収録文献(出典)
労働判例827号107頁
その他特記事項
本件は控訴された。