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地公災基金神戸支部長(N消防署)自殺控訴事件【うつ病・自殺】

事件の分類
うつ病・自殺
事件名
地公災基金神戸支部長(N消防署)自殺控訴事件【うつ病・自殺】
事件番号
大阪高裁 - 平成14年(行コ)第36号
当事者
控訴人 地方公務員災害補償基金神戸市支部長
被控訴人 個人1名
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
2003年12月11日
判決決定区分
控訴棄却(確定)
事件の概要
 T(昭和15年生)は、平成3年4月、N消防署管理係長に就任した。Tはそれまで、経理・庶務に携わったことがなかったこと、同日付けで署長に就任したSとは、以前上司と部下の関係で激しい確執があったことから、Tは業務面、人間関係面で非常な不安感、緊張感を感じることとなった。

 S署長は、経理に関し詳細なチェックを入れ、Tに対し部下の前で激しく叱責したり、書類を叩きつけたりしたほか、公舎の改修、備品の購入、駐車場の整備に関する近隣住民への説明等に当たり、ことごとくTに厳しく当たった。こうしたことから、Tは管理係長就任以来、時間外労働が増加し、著しいストレスに苦しめられ、休業するに至った。平成4年10月にTは防災センターに異動になったが、ほとんど出勤できず、退院後の平成5年5月1日から復職したものの、再び休業となり、結局同年9月8日、農薬を服して自殺した。
 Tの妻である被控訴人(第1審原告)は、Tの自殺は公務に起因するうつ病によるものであるとして、控訴人(第1審被告)に対し、地公災法に基づく公務災害の認定を請求したところ、控訴人はこれを公務外の災害と認定した。被控訴人はこの処分を不服として審査請求、更に再審査請求をしたがいずれも棄却の裁決を受けたため、本件処分の取消しを求めて提訴した。第1審では、Tのうつ病罹患と公務との間、うつ病と本件自殺との間のいずれも相当因果関係を認め、控訴人の処分を取り消したため、控訴人がこれを不服として控訴した。
主文
1 本件控訴を棄却する。
2 訴訟費用は控訴人の負担とする。
判決要旨
1 公務起因性の判断基準

 地公法31条の「職員が公務上死亡した場合」とは、職員が公務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合をいい、同負傷又は疾病と公務との間に相当因果関係のあることが必要であり、その負傷又は疾病が原因となって死亡事故が発生した場合でなければならないと解すべきである。そして、地方公務員災害補償制度が、公務に内在又は随伴する危険が現実化した場合に、使用者に何ら過失はなくても、その危険性の存在故に使用者がその危険を負担し、職員に発生した損害を補償するとの趣旨から設けられた制度であることからすると、上記相当因果関係があると認められるためには、公務と負傷又は疾病との間に条件関係があることを前提とし、これに加えて、社会通念上、公務が当該疾病等を発生させる危険を内在又は随伴しており、その危険が現実化したといえる関係にあることが認められることを要するものと解すべきである。なお、この公務の危険性は、当該職員と同種の公務に従事し、又は当該公務に従事することが一般的に許容される程度の心身の健康状態を有する職員を基準として判断すべきものと解する。

 また、本件のような精神障害に起因する自殺の場合には、(1)公務と精神障害との間の相当因果関係があることに加え、(2)当該精神障害と自殺との間に相当因果関係が認められることが必要である。

2 Tのうつ病と公務との相当因果関係

 精神障害の成因については、「ストレス―脆弱性」理論(ストレスが非常に強ければ個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起こるし、逆に脆弱性が大きければストレスが小さくても破綻が生ずるとされる。)によって理解することが多くの人に受け入れられ、各医師のTのうつ病についての医学的意見は、いずれも、仕事上のストレスとメランコリー親和型性格等の内的要因とが相まって発症したうつ病であることを認めるものであり、そうすると、Tのうつ病の症状に内因性うつ病の症状を示すものがあるからといって、そのことのみから直ちに公務起因性を否定するのは妥当ではなく、Tの罹患したうつ病についての内在的素因の程度、Tの従事した公務の内容・状況、公務外の事情等を総合考慮し、社会通念上、Tの公務がうつ病を発症させる危険を内在又は随伴しており、その危険が現実化したといえる関係にあることが認められるか否かによって判断するのが相当である。そして、Tの公務がうつ病を発生させる危険性については、Tと同種の公務に従事し、又は当該公務に従事することが一般的に許容される程度の心身の健康状態を有する職員を基準として判断すべきである。

 Tは、N消防署管理係長の職に就くまでは経理・庶務等の事務に携わったことがなかったこと、S署長とTが上司・部下の関係にあったとき、TはS署長のワンマンぶりに我慢できず、自ら異動を申し出たことがあったと認められることに鑑みると、初めて携わる経理・庶務等の事務に対する不安及び緊張にとどまらず、過去に軋轢のあった上司との人間関係に対する極度の不安及び緊張が加わった、通常の配置転換に伴う不安や緊張等のストレスを超えた、かなり強度の精神的負荷を与えるものであったと認めるのが相当である。S署長は、Tに対し格別嫌がらせやいじめを行う意図を抱いていた事実までは認められないものの、経理関係事務の決裁の際には詳細なチェックを行い、特に前署長当時の会計帳簿上の使途不明箇所についてTを追及し、Tが十分に説明できなかったときは、部下の面前で大声で怒鳴り、書類を机に叩きつけたこともあったこと、署長公舎の備品購入に際しては、費用の捻出方法に配慮せずTに指示したこと、署長公舎の駐車場設置工事については、Tを通さずに直接業者と交渉するなどしたため、Tの事務量が増えたこと、駐車場設置工事に伴う近隣住民への挨拶回りでは、Tの自尊心を傷つけるような指示・命令・叱責等を行ったため、Tに強度の心理的負荷を与えたものと認められる。そして、S署長は、他の部下に対し職員の面前で厳しいことばで叱責したこと等から、同部下に「殺したい」と思わせるほどに精神的苦痛を与えたり、他の職員からも強い反感を持たれていたことなどの事実にも照らせば、S署長のTに対する指示命令及び言動は、Tと同種の公務に従事し、又は当該公務に従事することが一般的に許容される程度の心身の健康状態を有する職員を基準としても、強度の心理的負荷を与えるものであったものと認められる。

以上検討した点を総合考慮すれば、Tがうつ病に罹患したことについては、公務外のストレスはその要因とはなっておらず、Tのメランコリー親和型性格等の素因が介在していたことは否定できないとしても、メランコリー親和型性格自体は格別異常なものではなく、むしろ肯定的な評価もされている上、T自身のメランコリー親和型性格も通常人の正常な範囲を逸脱するものではなく、「内因性うつ病を起こしやすい脳内の何らかの素質」も、脆弱生を強める要素として大きく評価することはできず、そのほかにTの素因として異常な点は存しない。他方、公務によりTには精神的・肉体的に相当程度の負荷が加わっていたものであり、素因よりも公務上のストレスがより大きな要因となっていたものと認めるのが相当である。したがって、本件においては、社会通念上、Tの公務がうつ病を発生させる危険を内在又は随伴しており、その危険が現実化したといえる関係にあるものと認められるから、Tの公務とうつ病との間に相当因果関係を認めることができる。

3 本件うつ病と自殺との相当因果関係

 Tの自殺は、うつ病発症後、2年以上が経過していたものであり、その間にTは治療も受け、また公務上も他の部署への異動といった配慮もなされていたが、それにもかかわらず、Tのうつ病は平成3年11月初め頃に多少軽快したものの、一進一退の状態を続け、また、平成4年1月から3月までの間は、S署長に対する怒りや恨みが強く表面かしつつも、症状自体は比較的落ち着いたが、これも長続きせず、症状の改善は見られず、平成5年5月には症状軽減をもって復職したが、出勤に対する抵抗感、緊張感が強く現場への適応困難な状況のため、復職に際し、不眠・焦燥感・抑うつ気分・意欲減退・自殺念慮が再燃し、その後も症状は一進一退をたどったもので、結局そのうつ病はTの死亡まで治癒には至らなかったこと、その間、復職及び左手首骨折といったことにより生じたと思われる新たなストレスも、それらが独自にTを自殺に向かわせた要因になったものとまでは認められないこと、一般的にうつ病罹患者の自殺念慮は強く、特に焦燥型うつ病には自殺の危険が高いこと、今日のうつ病の10~15%が十分な治療にもかかわらず慢性化していることが認められ、その他本件うつ病以外にTを自殺に至らしめる事情があったことを窺わせるような証拠はないことをも総合すると、Tは本件うつ病の自殺念慮により自殺したものであり、本件うつ病と自殺との間には相当因果関係があるものと認めるのが相当である。

 なお、控訴人は、原則として公務と自殺との間に相当因果関係は認められず、Tの自殺についても自由意思によるもので、公務との間に相当因果関係がない旨主張するが、公務上の精神障害によって、正常な認識、行為選択能力が著しく阻害され、又は自殺行為を思い止まる精神的な抑制力が著しく阻害された状態で自殺が行われたと認められる場合には、結果の発生を意図した故意には当たらず、公務と自殺との間に相当因果関係が認められると解するのが相当である。そして、Tの病状及びうつ病罹患者の自殺念慮の強さによれば、Tの自殺は、うつ病によって、正常の認識、行為選択能力が著しく阻害され、又は自殺行為を思い止まる精神的な抑制力が著しく阻害された状態で行われたものと推認するのが相当であり、結果の発生を意図した故意によるものとはいえないから、控訴人の上記主張は採用することができない。
 以上によれば、Tは過重な公務によりうつ病に罹患し、その自殺念慮によって自殺したものといえるから、公務起因性を認める野が相当であり、これを否定した本件素分は違法である。
適用法規・条文
地方公務員災害補償法31条、労災保険法12条の2の2第1項
収録文献(出典)
労働判例869号59頁
その他特記事項