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三田労基署長(R社)自殺事件【うつ病・自殺】

事件の分類
うつ病・自殺
事件名
三田労基署長(R社)自殺事件【うつ病・自殺】
事件番号
東京地裁 − 平成11年(行ウ)第92号
当事者
原告 個人1名
被告 三田労働基準監督署長
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
2003年02月12日
判決決定区分
棄却(控訴)
事件の概要
 T(昭和20年生)は、昭和45年11月、R社の前身であるP社に入社し、サービス部門・技術部門に所属し、平成元年11月より、東京本部において現金両替機等の保守部門を統括する業務企画部技術企画担当の課長職に就任した。

 平成2年12月12日、M百貨店に納品されたT担当の両替機が間歇的に作動しなくなる障害が発生し、2度の部品ユニットの交換でも改善されず、年明けに改めて対応することとなった。また、同月中旬、都内の銀行において両替機からの現金詐取事件が発生し、同月21日及び平成3年1月4日、警察から両替機の性能、操作方法等についての事情聴取があり、Tが主に対応した。

 Tは、平成2年12月に入ってから帰宅時間が少し遅くなり、同月28日、Tは机からほとんど動かず、宴会にも参加せず、酒とつまみを届けられても無反応であった。翌日及び翌々日は休みであったが、同月31日の出勤日には家を出たが出勤せず、翌元日午前1時頃、憔悴した様子で帰宅した。1月3日には部長がT宅に電話をし、翌日の出勤日には何もなかったことにして普通に働くよう伝え、翌4日にTは出勤し、5日、6日は土曜・日曜のため家でごろごろしていたが、6日の夕方1人で車で出掛け、翌7日、営林署工場内において、仕事に疲れた旨の遺書を遺して、縊死により自殺した。
 Tの妻である原告は、被告に対し、Tの自殺は業務によりうつ病に罹患したことが原因であるとして、労災保険法に基づき遺族補償年金及び葬祭料の請求をしたが、被告はTの自殺を業務外として、いずれも不支給とする処分(本件処分)を行った。そこで原告は本件処分の取消しを求めて審査請求をしたが棄却され、再審査請求をしたが3ヶ月を経過しても裁決がなかったため、本件処分の取消しを求めて本訴を提起した。
主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
判決要旨
1 労災保険法における業務起因性の判断

 労基法79条、80条及び労災保険法7条1項にいう「労働者が業務上死亡した場合」、「労働者の業務上の死亡」とは、労働者が業務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合をいい、負傷又は疾病と業務との間には相当因果関係のあることが必要であると解すべきである。そして、労基法及び労災保険法による労働者災害補償制度は、業務に内在ないし随伴する各種の危険が現実化して労働者に傷病等をもたらした場合には、使用者等に過失がなくとも、その危険を負担して損失の填補の責任を負わせるべきであるとする危険責任の法理に基づくものと解される。この制度趣旨に照らすと、労災保険の補償の対象とされるためには、客観的にみて、通常の勤務に就くことが期待されている平均的な労働者を基準として業務自体に一定の危険性があることが大前提であり、これを前提とせず、単に当該労働者にとって危険であったかどうかを判断基準とすることは、上記制度趣旨を看過するもので採用し得ない。他方、労働者の中には、何らかの素因を有しながらも、特段の勤務軽減までを必要としないで通常の勤務に就いている者も少なからずいることから、上記基準となる平均的労働者には、このような労働者も含めて考察すべきである。そして、精神障害についての業務起因性の有無を判断するに当たっても、上記のような基準により業務の起因性を判断すべきであり、その結果業務外の危険すなわち当該労働者の私的領域に属する危険が存在し、かつそれが業務の危険性より有力な原因となったことがある程度明確に認められない限り、業務起因性を肯定すべきであり、単に当該労働者の病前性格が、仕事熱心、凝り性、強い義務感といったうつ病親和的性格ないし傾向にあることを個体側要因として考慮し、業務起因性を否定することは相当でない。

 以上によれば、精神的障害が発病した場合の相当因果関係の判断は、まず、当該労働者と同種の業務に従事し遂行することが許容出来る程度の心身の健康状態を有する労働者(平均的労働者)を基準として、労働時間、仕事の質及び責任の程度等が過重であるために当該精神障害が発病させられ得る程度に強度の心理的負荷が加えられたと認められるかを判断し、これが認められる場合は、次いで、業務以外の心理的負荷や固体側要因の存否を検討し、これらが存在し、しかも業務よりもこれらが発病の原因であると認められる場合でなければ相当因果関係が肯定され、それ以外の場合は相当因果関係が否定されるという手法によるべきである。

2 業務起因性の判断

 Tの精神障害が平成2年12月28日のいずれかの時点で急激に発症したことは明らかであり、Tは、うつ状態等、自殺念慮を伴う精神障害に罹患し、何ら医師の診断や治療を受けないまま、平成3年1月4日の警察官による長時間の事情聴取により、一旦は軽快したかに見えたうつ症状を再び発現させ、その後も医師の治療を受けないまま、遂には、正常な認識、行為選択能力及び抑制力が著しく減退した状態で自殺に至ったものと認められる。

 Tの平成2年12月中の時間外労働総計は36時間45分となっており、休日労働もなかったことから、Tの従事していた業務は、時間外労働が恒常化してはいたものの、十分な休日が保障されていたから、平均的労働者にとって特に強度の心理的負荷を与える程度に至っていたとは認められない。また、Tの業務内容を見ると、一貫してサービス部門・技術部門に属しており、担当機種に関する業務は入社以来従事した業務の延長上にあると考えられる上、部下の勤怠管理等の業務も、平成2年12月時点では1年余が経過しており、Tがこれら業務を行うに当たり特段の困難や心理的負担を感じていたことを窺わせる証拠は存在しないことを考えると、これら日常業務の内容は、Tにとって、特に強度の心理的負荷を与えるものではなかったと考えられる。

 Tは、M百貨店の両替機に発生した障害の処理を行い、現金詐取事件に関し、平成2年12月21日と平成3年1月4日に警察の事情聴取を受けたところ、M百貨店の障害対応は日常処理する業務の一環とはいえ困難な業務であり、警察の事情聴取は日常業務とは異質なもので、対外的に会社を代表して行うものであるため、心理的に負担となる業務であったといえる。しかし、他方、M百貨店の件は年明けに取り組むことで、ユーサー及び部長の了解を得ており、現金詐取事件はR社に責任がある問題ではなく、事情聴取も2時間程度であったことなどを考慮すると、12月が繁忙期であったことを考慮に入れても、平均的労働者にとって精神障害を発症させられ得る程度に強度の心理的負荷を与えたものとは認め難い。

 12月28日のある時点を境にTの様子がおかしくなり、精神障害を発症したと認められること、12月31日の無断欠勤と自殺企画の直前直後における部長の対応やTの言動等を照らし合わせると、12月28日に部長がTを叱責した事実を推認することができる。しかし、上司が部下の仕事上のミスに対し叱責を行う行為は、通常見られることであり、叱責される側にとってはそれなりに心理的負荷を受けるものではあるが、これが一般労働者にとって精神障害を発症せしめ得るほど強い負荷となる行為とは考え難く、実際に部長のTに対する叱責が、管理職たる部下に対する通常の叱責の範囲を著しく超え、特に強い心理的負荷となるような内容・態様のものであったことを窺わせる証拠はない。

 以上、Tの従事した業務は、その精神障害を発症せしめ得るような危険性のある過重なものとは認められないから、この点のみをもっても、業務とTの精神障害発症ないし自殺との間に相当因果関係の存在を認めることができない。更に、Tは自殺を考えた12月31日以降医師の診断を受けるべき状況にあったといえるが、Tが警察の事情聴取を受けるまでの間、その後の1月5日、6日の休日に医師の診断を受ける機会があったこと、R社において医師の診断を受けるべきとの認識がありながらTに警察の事情聴取を命じたことを認めるに足りる証拠はないこと、事情聴取に応じる業務が平均的労働者に対し強度の心理的負荷を与えるようなものではなく、Tと部長との人的関係が発病に相当程度寄与しているとすると、部長との何らかの接触により症状が悪化し自殺するに至った可能性もあるといわざるを得ないこと、以上を考慮すると、結局、Tに対し同業務を命じたことで、業務に内在する危険性が現実化したものとはいえない。
 更に、Tの個体側要因についてみるに、部長はTが精神的に大きな拠り所とし、依存する存在であったことから、部長からの叱責はTにとって大きな衝撃となり、これが心因となってTの精神状態が急激に悪化し、うつ状態に陥った結果、出勤日であった12月31日に自殺未遂を図るに至ったと認められる。Tの精神障害発症には、Tのうつ病親和的病前性格の存在が関係すると考えられるが、上司からの不適切とはいえない叱責によって、ごく短期間で精神状況が急激に悪化し、心因性のうつ状態に陥ったという経過からは、単なるうつ病親和的病前性格を超えたTの精神的脆弱性の存在を窺わせる。なお、TはR社に長年勤務し、この間特に問題があった形跡はないものの、平成元年11月に課長に昇進し、平成2年4月に入社2年目のAが配属され、Tの責任が相対的に重くなったことを背景として、それまでは顕在化しなかった性格上の脆弱性が現実化したと理解できる。以上の次第で、いずれにせよTの死亡と業務との間には、相当因果関係があると認めることはできない。
適用法規・条文
07:労働基準法75条、79条、80条,

労災保険法7条、16条の2、17条
収録文献(出典)
労働判例848号27頁
その他特記事項
本件は控訴された。