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東京都衛生研究所禁煙要求事件【受動喫煙】

事件の分類
その他
事件名
東京都衛生研究所禁煙要求事件【受動喫煙】
事件番号
東京地裁 - 平成元年(行ウ)第99号
当事者
原告個人1名

被告東京都人事委員会
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
1991年04月23日
判決決定区分
棄却(控訴)
事件の概要
 原告は、昭和45年東京都衛生研究所に採用された女性職員であるが、受動喫煙によって、様々な健康障害が生じたとして、昭和61年7月11日付け書面で、被告に対し(1)衛生研究所に、換気系統が他の室と異なる喫煙室又は喫煙場所を設置すること、(2)喫煙による被害を受けない場所に移動する場合、他の職員と同等の条件、待遇とすること等の措置要求を提出した。

 原告は、本件措置要求に先立ち、昭和58年9月に被告に対し、(1)嫌煙者が在席する室では勤務時間中禁煙とすること、(2)休憩時間等における喫煙は定められた場所で行うこと、(3)図書室、洗面所、エレベーター、廊下は禁煙とし、食事をする場所では換気扇の傍らのみ喫煙席とし、他の箇所では禁煙とすること、(4)嫌煙者の加わる公的な会議等は原則として禁煙とすること、(5)それ以外の場所においても換気に注意すること、(6)半年毎に実態を調査し、トラブルが生じている場合は喫煙室を設置することを内容とする措置要求をし、被告は昭和60年5月22日に、(1)事務室研究室においては、換気の強化等により事務所衛生基準規則に適合させるようにする、(2)図書閲覧室は禁煙とする、(3)禁煙と定められた室には禁煙の表示をする、(4)喫煙しない職員と同席する場合は、喫煙が健康に及ぼす影響について、喫煙職員に自覚を促す措置をとるといったことを内容とする判定(昭和60年判定)を行い、衛生研究所はこの判定に従って対応した。
 原告は、ほぼ密閉状態にある室内においては受動喫煙が避けられず、たばこ煙の害については多くの報告があるほか欧米等では職場での禁煙の要求を認容する裁判例等が現れているのに対し、我が国では喫煙対策が遅れているとの主張の上に立って、昭和60年判定の勧告は不十分であり、その勧告を受けてなされた受動喫煙に対する配慮が不十分であると主張し、判定の取消を請求した。
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
判決要旨
 地方公務員法46条による措置要求制度は、同法が職員に対し、労働組合法の適用を排除したことに対する代償、補完の措置であり、職員の勤務条件について簡易、敏速な審査手続きによる人事委員会又は公平委員会の判定を通じて職員の勤務条件の適正を確保しようというものである。そして、これら委員会は、職員の勤務条件に関する法律上の諸原則に照らして適正な勤務条件のいかんを判断して判定を行い、それに基づいて、自らの権限に属する事項については自らこれを実行し、他の機関の権限に属する事項については当該機関に対して、適切な措置をとるよう勧告し、勧告を受けた機関がこれを可能な限り尊重すべき政治的、道義的責任を負うことになる。この勧告には法律上の拘束力はなく、一種の行政監督的作用を促す効果があるにすぎず、その手続きは司法手続きに準ずるというより斡旋、仲介の性質を持つものである。

 地方公務員法14条は、主要な点が法律、条例によって決定される公務員の勤務条件が、社会的経済的諸情勢の変化に容易に即応しにくい性質を帯有しているため、地方公共団体のそれぞれの機関に、社会情勢の変化に対応して適時適切な措置をとるように努力する義務を課し、職員の勤務条件に関する利益を保障しようとする側面を有している。しかしながら、他面、公務員は、理念的には国民又は住民を究極的使用者とする全体の奉仕者であって、その勤務条件の主要な点はいわゆる勤務条件法定主義のもとで民主的統制下にあるものであるから、公務員の勤務条件のみが多額の財政負担のもとに社会一般の労働条件から有利に乖離したものとなることが容認され難いこともいうまでもないことである。また、同法24条5項は、いわゆる均衡の原則を定めているところ、給与以外の勤務条件に関しても民間事業の従事者との均衡は当然に要請されるものと解すべきであり、勤務条件の適否の判断に際しては、広く民間の動向いかんも考慮すべきものと考えられる。

 以上のような措置要求制度の趣旨及び性質に鑑みると、人事委員会は、広範な諸事情を総合的に考慮して最終的な判定内容を決定することができるというべきであり、人事委員会はその広範な裁量権の範囲内で、措置要求者の要求事項をそのまま採用するか、採用しないかという観点のみならず、要求事項そのものとは異なる措置をとることを妥当とする判定をし、その旨勧告することも許されているものと解される。

 右のような人事委員会に与えられた裁量権の性質に照らすと、裁判所は、判定当時の措置要求者の勤務条件が法令の規定する基準に達しない違法な状態にあるとか、当該判定を導いた審理の手続きや認定、判断の内容に法令に違反し、あるいは重大な瑕疵があって、当該委員会に認められた裁量権の範囲を逸脱していると認められる場合、又はその裁量権の行使としてした判断、選択自体が社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権を濫用したと認められる場合に限り、当該判定を違法であると判断すべきものと考えられる。

 原告が昭和60年11月には鼻前庭炎、昭和61年5月には急性鼻咽喉炎、昭和62年4月には上気道炎、同年9月には両側性副鼻腔蓄膿症及び急性咽喉炎、昭和63年3月には急性鼻咽喉炎、同年4月には気管支炎と診断され、この間相当回数にわたって耳鼻咽喉科で診療を受けていることが認められ、その原因がたばこの煙にあると原告が考えていること、少なくとも原告につきたばこの煙が多い場所での就業が不適当とされていることが認められる。もとより、原告のような嫌煙者にとって、分煙化が最も望ましい措置であり、社会の趨勢は喫煙できるのは限られた空間とする方向に向かっているものと考えられ、公共の場では喫煙しないこともかなり一般化しつつあるマナーであると考えられる。しかしながら、これは喫煙者を含めた社会の一般的意識、通念の変革に従って生じてきた変化であると解されるところ、本件判定当時の我が国における職場での喫煙に対する対応の状況は、職場の構成員の自発的意思を重視した扱いが多く、その態度いかんにかかわりなく規制するというところまでいっている例は少なかったのであり、昭和60年5月22日付けの判定、勧告及びこれに従った衛生研究所の措置は、社会一般の情勢に対比すると、当時としては、むしろ原告の考える方向に相当進んだ内容のものであったと評価することができる。

 人事委員会は、広範な裁量権行使の一方法として、当該要求者の要求の趣旨に副った要求事項そのものとは異なる何らかの措置を相当と判断するときは、その旨の判定、勧告をなし得るものと解されるが、他面、それは正に人事委員会の裁量権の範囲内の問題であって、要求者の主張の中から一定の要求が明らかに看取され、これを取り上げてしかるべき対応をすることが容易であるのに敢えてこれを無視するなどの特段の事情のない限り、積極的に要求者の内心の意向をくみ取って勤務条件の改善策をあれこれ案出しなければならない義務を負うものとはいえない。したがって、本件において、原告が完全分煙化の措置要求が入れられないと知ったとき、次善の策として求めるかも知れない要求が何かについてまで審按することが措置要求の手続きとして要求されるものではないというべきである。
以上であるから、原告の請求は失当である。
適用法規・条文
05:地方公務員法14条、24条5項、46条、
収録文献(出典)
労働判例601号45頁
その他特記事項
本件は控訴、上告されたが、いずれも理由がないとして棄却された。控訴審:東京高裁-平成3年(行コ)63号 平成3年12月16日判決上告審:平成4年―最高裁(行ツ)62号 平成4年10月29日判決