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名古屋市中学校教員嫌煙事件【受動喫煙】

事件の分類
その他
事件名
名古屋市中学校教員嫌煙事件【受動喫煙】
事件番号
名古屋地裁 − 平成8年(ワ)第2740号
当事者
原告個人1名

被告名古屋市
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
1998年02月23日
判決決定区分
棄却(控訴)
事件の概要
 原告は、昭和44年4月被告公立学校教員に任命され、昭和60年4月からがG中学校、平成5年4月からS中学校に勤務している者である。

 被告は、G中学校において、平成2年9月、ソファー及び換気扇のあるサロンを設置し、喫煙はサロンで行うよう教職員に協力を求め、平成5年6月にはサロン入口にビニール製の透明カーテンを、サロン内に空気清浄機をそれぞれ設置した。また、被告はS中学校においても、平成7年4月には換気扇のある喫煙コーナーを設置して教職員に対し喫煙は同コーナーで行うよう要請し、同年7月にはたばこの煙が職員室に流入することを防ぐため同コーナー入口部分に透明プラスチック板を設置したほか、会議等の際には禁煙とした。

 原告は、被告が教職員の喫煙を放置したことによって、両中学校において、他の教員の喫煙により、喉が痛くなったり、頭痛が起こったりしたほか、がんや循環器系の病気にかかりやすくされ、生命・身体という一般的諸権利を侵害されたと主張したほか、生徒に対したばこの害について教育しているところ、他の教員が喫煙しているために十分な教育効果が挙がらず、教育遂行上の権利侵害も受けていると主張した。原告は、これらの主張を踏まえて、被告に対し、国家賠償法1条1項、民法709条、715条又は雇用上の債務不履行に基づく損害賠償として、100万円の損害賠償を請求した。
これに対し被告は、他の公共団体と比較しても相当に進んだ喫煙対策をとってきたこと、両中学校の分煙措置等の状況からすれば、原告が喫煙による被害を被っているとは考えられないこと、教員の喫煙を禁止する法的根拠は何ら存せず、喫煙する自由についても考慮する必要があること、教職員の喫煙は喫煙コーナーに限られており、生徒の面前で喫煙することは通常考えられないから、教職員の喫煙によって生徒の教育に大きな弊害が生じているとはいえないことを主張し、争った。
主文
原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。
判決要旨
1 原告の身体に対する侵害

 原告は、被告の教員に任命され、被告との間において勤務関係にある者であるから、被告はその職員である原告に対し、公務遂行のために設置すべき場所、施設若しくは器具等の設置管理又は公務の管理に当たっては、原告の生命及び健康を危険から保護するよう配慮すべき義務を負うものと解される。

 受動喫煙の肺がん等疾患に対するリスクの存在を肯定する研究が少なからず公表されていること、各国、あるいは国際機関の勧告において受動喫煙の危険性について公衆衛生上の注意が喚起されていることに加え、周知のとおり。我が国においても、近年医療機関や列車を含む公共の場所や職場での喫煙に対する規制が進んでおり、職場においていわゆる分煙化が定着しつつある状況にあることを併せ考えると、被告は、公務遂行のために設置した施設等の管理又は公務の管理に当たり、当該施設等の状況に応じ、一定の範囲において受動喫煙の蔵する危険から職員の生命及び健康を保護するよう配慮がなされるべきである。しかし、右危険に対する配慮としてどのようなことを公共団体に義務付けるかについては、右危険の態様、程度、被害結果の状況等に応じ、具体的状況に従って決すべきものである。特に、受動喫煙の身体に対する影響は、曝露の時間及び量その他諸種の条件の違いにより変動し、一律に断じ得ない性質のものであるから、それに対する配慮としてどのような措置が求められるかを論ずるに当たって、この点を軽視することはできない。

 また、喫煙は我が国において個人の嗜好として長きにわたり承認されてきたところであり、非喫煙者も、職場における喫煙について若干の寛容さを持することも依然として期待されているといわざるを得ないのであって、このような喫煙に対する世の大方の見方も看過すべきでない。したがって、被告が、受動喫煙の蔵する危険に対して配慮すべき義務の具体的な程度、事項、態様としては、当該施設の具体的な状況に応じ、喫煙室を設けるなど可能な限り分煙措置を執るとともに、原則として職務のために常時在室する部屋においては禁煙措置を執るなどし、職場の環境として通常期待される程度の衛生上の配慮を尽くす必要があるというべきである。

 このような見地に立ってみると、被告は、両中学校の職員室において喫煙をすることのできる場所の範囲を画然と区別した上、その空気が他の部分に流入することを防止する設備を設け、他の部分では喫煙しないように求め、教職員も皆了解して喫煙を控えるに至ったというのであり、禁煙措置等の実効はそれ相応に上がったとみて妨げない(両中学校の庁舎の構造上、物理的に他の場所に喫煙室を設けることは容易ではなく、現時点では最大限可能と思われる分煙措置を講じていることも認められる)。他方、原告の自覚する受動喫煙の影響は、のどの痛み及び不快感、頭痛という程度のものに留まるのであるから、被告の講じた措置をもって、原告の生命及び健康を受動喫煙の蔵する危険から保護するような配慮をすべき義務を尽くしていないとはいまだ評価することはできない。そうすると、被告が公務遂行のために設置すべき施設等の管理等又は公務の管理に当たり、原告の生命及び受動喫煙の危険から保護するよう配慮すべき義務に違反したということはできない。

2 原告の教育遂行上の権利の侵害の主張について

 教師には、憲法上、高等学校以下の普通教育の場においても、一定の範囲における教育の自由が認められるものと解されるが、これを超えて、他の者に対し、教育している見解に同調することや、これに反する行動をとらないことを求める権利を有するというべき根拠は見当たらない。
 そもそも、教師がある理想、理念について教育する場合に、その理想、理念と異なった見解を有し、又はこれと相容れない態度をとる者がいたならば、教師としては、そのように見解、態度の分かれる所以を説いて生徒自らに考えさせるべきであり、あるいは、他の立場が是認される余地のないものであったとしてもこれをいわゆる他山の石として指導の材料とする姿勢こそが求められるのであって、右のような者が周囲に存在することをもって、自己の教育が害されたかのようにいうことは当を得ず、原告の教育の自由や権利利益が侵害されたといえるものではない。したがって、原告のいうような権利の侵害を理由とする国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求は失当である。
適用法規・条文
収録文献(出典)
判例タイムズ982号174頁
その他特記事項
本件は控訴された。