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鉄道会社(受動喫煙)事件【受動喫煙】

事件の分類
その他
事件名
鉄道会社(受動喫煙)事件【受動喫煙】
事件番号
大阪地裁 - 平成14年(ワ)第3929号
当事者
原告 個人2名A、B
被告 鉄道会社
業種
運輸・通信業
判決・決定
判決
判決決定年月日
2004年12月22日
判決決定区分
棄却(確定)
事件の概要
 被告は、旅客鉄道事業を営む株式会社であり、原告Aは昭和51年12月、原告Bは昭和44年4月に、それぞれ被告の前身である旧国鉄に正社員として雇用され、車掌業務に従事していた者である。

 原告Aは、明石車掌区長に対し分煙対策を要望し、被告は平成12年2月に乗務員詰所のテーブルの1つを禁煙としたところ、原告Aは同年5月10日、簡易裁判所に対し、被告を相手方として、室内を分煙又は禁煙とし、喫煙に関する教育等を社員に行うこと等を求めて調停を申し立てたが、平成13年3月6日に不成立となった。被告は平成14年7月から、本件各施設のうち一部については禁煙とし、その余の一部についても分煙対策を講じたが、原告らは、被告の分煙対策が不十分なため、受動喫煙によってストレスを感じ、がん等重篤な疾患等に罹患する危険性にさらされているとして、人格権に基づく妨害排除・予防請求権又は安全配慮義務履行請求権に基づき、本件各施設を禁煙室とすることを求めるとともに、不法行為又は安全配慮義務違反に基づき、慰謝料500万円及び弁護士費用50万円を請求した。これに対し被告は、受動喫煙の危険性は立証されておらず、原告らに損害は生じていないこと、被告は受動喫煙に対する十分な対策を講じていることなどを主張して争った。
 なお、平成4年の労働安全衛生法改正により、事業者に対する快適職場環境の形成についての努力義務が規定され、労働省はこれを踏まえて平成8年2月、職場において喫煙の影響が非喫煙者の健康に及ぼすことを防ぎつつ、喫煙者と非喫煙者が良好な人間関係の下に就業できるよう、施設面での分煙等を内容とする「職場における喫煙対策のためのガイドライン」(旧ガイドライン)を策定した。また、平成15年5月には健康増進法が施行され、多数の者が利用する施設を管理する者に対する、利用者の受動喫煙を防止するための努力義務を定めている。
主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
判決要旨
1 本件作為請求における請求の特定の有無

 本件作為請求は、被告の有する施設管理権限に基づき、本件各施設を利用する者に対して、施設内における喫煙を禁止するとともに、その旨を室内に表示するなどの方法でこれを周知することによって、一般に禁煙室と観念される状態に作為を請求するものであることは明らかである。その内容は、社会通念上容易に理解できるものであって、被告に対し困難ないし不可能な措置を求めるものではない。被告もまた明石駅車掌区乗務員詰所や本件各施設の一部のものについて禁煙化しているのであるから、本件作為請求について、被告において、その方法ないし手段が明らかでないことを理由として、その履行が困難又は不可能であるということはできない。またこのような請求が認容された場合、その強制執行については、第三者が被告に代替して行うことはできないから、間接強制によるほかないが、執行裁判所において、債務の履行を確保するための金銭の支払いを命ずるに際し、当該作為義務が履行されているか否かを判断することは可能であると考えられる。

2 被告の原告らに対する安全配慮義務

 雇用契約は、労働者の労務提供と使用者の報酬支払をその基本的内容とする双務契約であるが、通常の場合、労働者は使用者の指定した場所に配置され、使用者の供給する設備、器具等を用いて労務の提供を行うのであるから、使用者は報酬支払義務にとどまらず、労働者が労務提供のため設置する場所、設備若しくは器具等を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程において、労働者の生命及び身体等を危険から保護するよう配慮すべき義務(安全配慮義務)を負っているものと解するのが相当である。

 たばこの煙には、発がんを引き起こし、又は引き起こす可能性のあるとの報告がある化学物質が含まれており、受動喫煙により、急性影響として、流涙、鼻閉、咳等の眼や鼻、喉への刺激による症状を始め、頭痛等様々な自覚症状による苦痛や呼吸抑制、心拍増加、血管収縮等生理学的反応を引き起こすことが認められ、慢性影響として、肺ガン、副鼻腔がんや虚血性心疾患のリスク上昇を、また受動喫煙と関連する可能性があるものとして呼吸機能の低下や成人の気管支喘息の悪化のリスクの上昇を挙げる多くの疫学的研究が報告されており、これによれば、受動喫煙により前記リスクが増加することは否定できないと考えられる。

 我が国では、受動喫煙の健康に対する影響を踏まえ、職場における受動喫煙等に関し、喫煙対策が進められているところ、被告は、労働安全衛生法上、快適な職場環境を形成する努力義務を負っており、同法の規定に基づき労働省が公表した指針によれば、必要に応じ作業場内における喫煙場所を指定する等の喫煙対策を講ずることとされている。また被告は、健康増進法により、その管理する事務所その他の多数の者が利用する施設において、受動喫煙を防止するために必要な措置を講ずる努力義務を負っている。そして、事業場において関係者が講ずべき原則的な措置を示した新ガイドラインにおいては、施設・設備面の対策として、可能な限り喫煙室を設置することとし、喫煙室の設置が困難な場合には喫煙コーナーを設置すること、喫煙室等にはたばこの煙が拡散する前に吸引して屋外に排出する方式の喫煙対策機器を設置することとし、やむを得ない措置として、たばこの煙を除去して排気する方式である空気清浄機を設置する場合には、喫煙室等の換気に特段の配慮を行うこととされている。したがって、被告としては、事業場において喫煙室を設置するのが望ましく、それが困難であるとしても、たばこの煙が拡散する前に吸引して屋外に排出する方式である喫煙対策器を設置するという空気分煙を実施するよう努力することが要請されているといえる。

 しかし、更に進んで事業場内のすべての箇所において禁煙措置を講じることを義務づけられているわけではなく、現時点においては、少量の環境中たばこ煙(ETS)に暴露されただけで生命身体に現実的な危険が生じるとまでは認め難いことや、日常生活においてもETSに暴露される可能性があることも考慮すれば、安全配慮義務の内容として一義的に事業場内のすべての箇所において禁煙措置を講じなければならない義務が導かれているものでもない。被告が原告らとの関係において、安全配慮義務の内容としていかなる受動喫煙対策を講じるべきかは、原告らが業務中に受動喫煙を余儀なくされる場所に滞留することが義務付けられているのか、原告らが受動喫煙に暴露される程度、それによって原告らに生じた健康上の影響等を踏まえて判断されるべきものである。

原告らは、ETSに暴露されることによって、たばこのにおいなどについて不快感を感じるとともに、息苦しさ、目の充血、咳、頭痛等の症状を覚えることがあるものの、それらは一過性で生じるものである蓋然性が高く、それらの症状があるからといって、受動喫煙により原告らの健康が現実に医師の治療を要するほどに侵害されたとまではいい難い。以上によれば、(1)原告らは、受動喫煙により何らかの疾病に罹患するなど現実に医師の治療を要するほど健康が害されたとまでは認められないこと、(2)本件各施設は、その性質上乗務員等が常時そこで業務を処理することが義務付けられている場所とはいい難いこと、(3)本件各施設に滞留可能な時間の上限は、原告Aについては1ヶ月4時間程度、原告Bについては1ヶ月当たり16時間程度に留まる上、(4)原告らが、その間に終始本件各施設に滞留することを義務付けられているわけではないし、実際に滞留している時間に常に受動喫煙にさらされているわけでもないこと、(5)我が国の現時点の喫煙対策において、事業場内のすべての場所において禁煙措置又は完全分煙措置までが義務付けられているわけではないことなどを考慮すれば、被告が原告らとの関係で安全配慮義務の一内容として、本件各施設を禁煙室とすべき作為義務、すなわち原告らの受動喫煙を完全に防止するに足りる分煙措置を講じるべき作為義務を負っているということはできない。

3 人格権に基づく妨害排除・予防請求に基づく本件作為請求

 一般に、人の生命、身体及び健康についての利益は、人格権としての保護を受け、これを違法に侵害された者は、損害賠償を求めることができるほか、人格権に基づき、加害者に対し現に行われている侵害行為を排除し、又は将来生ずべき侵害を予防するため、侵害行為の差止めを求めることができるものと解される。したがって、原告らが人格権に基づき本件作為請求を行う前提としては、被告が原告らの人格権に対する違法な侵害行為を行っているか、行うおそれがあることを要するが、原告らに受動喫煙を余儀なくさせる直接の行為を行っているのは、他の乗務員等であり、その行為は業務とは何ら関係のない私的な行為であって、被告の指示に基づくものでもないから、それを被告の行為とみなすことはできない。したがって、人格権に基づく妨害排除・予防請求権としての本件作為請求も理由がないといわなければならない。

4 本件損害賠償請求について
 被告が本件各施設について喫煙対策をとった平成14年7月頃以降については、被告が本件各施設を禁煙にするなどして原告らの受動喫煙を完全に防止するに足りる分煙措置を講じる作為義務を負っているとはいえず、不法行為における加害行為や雇用契約に基づく安全配慮義務違反行為が認められないというべきであるから、不法行為又は安全配慮義務違反に基づく本件損害賠償請求も、いずれも排斥を免れない。また、被告が喫煙対策をとった平成14年7月頃以前は、被告は兵庫駅男子更衣室を除く本件各施設について旧ガイドラインの推奨する施設・設備面での対策も含め喫煙対策を講じていなかったのであるから、原告らがそれらの施設に滞留した際に一定の受動喫煙を余儀なくされたことは否定することができず、被告の喫煙対策が適切なものであったとはいい難い。しかし、原告らが平成14年7月頃までの間に本件各施設においてどの程度受動喫煙に暴露されていたかを客観的に裏付ける証拠は存在しないこと、原告らは受動喫煙により何らかの疾病に罹患するなど現実に医師の治療を要するほど健康が害されたとまでは認められないこと、本件各施設は、その性質上乗務員等が常時そこで業務を処理することが義務付けられている場所とはいい難い上、原告らが終始滞留することを義務付けられておらず、実際に滞留している時間に常に受動喫煙にさらされているわけでもないこと、喫煙・健康問題報告書等で受動喫煙の健康に対する影響が指摘され、それらの知見に基づき具体的な分煙効果判定基準が策定され、また健康増進法により施設管理者に受動喫煙防止に必要な措置を講じる努力義務が法定されるなどしたのは、概ね平成14年頃以降であることを併せ考慮すれば、被告が同年7月まで本件各施設において分煙措置を講じていなかったことが原告らとの関係で直ちに違法であると評価することはできない。したがって、この点に関する本件損害賠償請求も理由がない。
適用法規・条文
労働安全衛生法71条の2、健康増進法25条
収録文献(出典)
労働判例889号35頁
その他特記事項