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佐伯労基署長(けい肺)自殺控訴事件【うつ病・自殺】

事件の分類
うつ病・自殺
事件名
佐伯労基署長(けい肺)自殺控訴事件【うつ病・自殺】
事件番号
福岡高裁 - 平成3年(行コ)第11号
当事者
控訴人佐伯労働基準監督署長

被控訴人個人1名
業種
公務
判決・決定
判決
判決決定年月日
1994年06月30日
判決決定区分
原判決取消・請求棄却(上告)
事件の概要
隧道工事に長期間従事してきたKは、昭和51年10月に、じん肺の管理区分「管理三」の決定を受け、昭和52年9月には、「管理区分四要療養」の決定を受けた。Kは動脈硬化症、高血圧症、けい肺結核症の診断も受けており、通院治療を行っていたところ、昭和53年7月27日、自宅において縊死により自殺した。

 Kの妻である被控訴人(第1審原告)は、Kの自殺は業務上災害が原因であるから、その死亡は業務上災害に当たるとして、控訴人(第1審被告)に対し労災保険法に基づく遺族補償給付等の支給を請求した。これに対し控訴人がKの死亡を業務上災害と認めず不支給処分としたことから、被控訴人は同処分の取消しを求めて提訴した。
 第1審では、けい肺結核症は業務上災害であり、その療養中に自殺したから、けい肺結核症の罹患と自殺との間にも相当因果関係が認められるとして、控訴人の処分を取り消したことから、控訴人はその取消しを求めて控訴した。
主文
1 原判決を取り消す。

2 被控訴人の請求を棄却する。
3 訴訟費用は、第1、2審とも被控訴人の負担とする。
判決要旨
1 労災保険法12条の2の2第1項について

 被控訴人は、同条項の「故意」を否定するためには、自殺の意思の形成が業務ないし業務上の疾病と相当因果関係にあることを要し、かつこれをもって足りると主張し、他方、控訴人の見解によれば、自殺の場合にも、それがおよそ自由意思の入り込む余地のないものでない限り、業務と自殺との間の相当因果関係の有無について判断するまでもなく、同条項により自殺の業務起因性は否定されることになる。しかし、控訴人の解釈を杓子定規に適用するときは、実際的にも妥当性を欠く結果を招きかねないといわなければならない。実際の事例では、自殺時の精神状態が極度の精神異常又は心身喪失の状態にあったとまではいえないために、故意が完全に否定しきれないという場合であっても、自殺の業務起因性が肯定されるのでなければ不都合だという場合があり得ないではないからである。他方、被控訴人の見解によると、同条項は当然のことを確認的に規定したに過ぎないことになり、自殺の業務起因性の判断に同条項はおよそ関係がないということにならざるを得ないが、到底そのような帰結を受け入れることはできない。

 思うに、労働者が自殺したという場合においても、業務と右自殺との間に相当因果関係が認められるときは、自殺の業務起因性を肯定してよいものと解される。そして、本件のように、業務上の疾病により療養中の労働者が自殺した場合においては、右業務上の傷病と自殺との間に相当因果関係が認められるときは、結局は業務と自殺の間に相当因果関係があるものとして、自殺の業務起因性を肯定してよいものと解すべきである。

 ただ、業務上の傷病により療養中の労働者が自殺したという場合には、(1)当該傷病が精神的障害である場合と、(2)それ以外の傷病である場合との大別され、(2)は更に(イ)精神的障害を経由して自殺に至る場合と、(ロ)それ以外の場合とに分類されるところ、(2)(イ)の場合には、業務上の傷病と精神的障害との間及び精神的障害と自殺との間にそれぞれ相当因果関係があること(二段階の因果関係)が必要である。

2 業務起因性(相当因果関係)の判断基準に関する考え方

 業務上の傷病により療養中の労働者が精神的障害を生じて自殺した場合においては、右傷病と精神的障害との間にも相当因果関係があることが必要であるところ、右の有無は、故意(自由意思)の介在を排し得るような特別の事情、或いはそれ程までに明確かつ強度な因果関係が認められる場合に、初めて相当因果関係があるとする通常の判断基準と手法により判断されれば足りるものというべく、その意味では控訴人の主張する業務と心因性精神障害との相当因果関係についての具体的な判断基準はいささか厳格に過ぎるものといわなければならない。

3 本件自殺の業務起因性について

 Kにはその死亡時まで抑うつ状態が続いており、そのような精神状態の中で自殺したのであるから、右抑うつ状態と本件自殺との間に因果関係があるのではないかと考えるのは自然の成り行きである。しかし、他方で、Kには脳動脈硬化症があり、これによる痴呆状態が見られたことも明らかであり、右脳動脈硬化症がKのうつ状態の一因になっていることが十分考えられるほか、妻である被控訴人との葛藤、通院に対する欲求不満なども影響していることが考えられないではない。このように、本件自殺ないしはその前駆となったKの抑うつ状態の原因としてはこれら複数の要因が併存していることが考えられるところ、果たして、この要因とKの抑うつ状態及び本件自殺との間に相当因果関係が認められるか否かが本件の最大の争点となる。

 Kが「管理区分四、要療養」の決定を受けてむしろ精神的に安定をみたことは、同人が最終区分の決定を受けた重みよりも労災保険給付を受けられるということを重視していたものといわざるを得ず、検査を受けて症状が寛解していると労災保険給付が打ち切られるのではないかと気に病んでいたことが認められる。加えてKは、入院中の昭和52年4月頃から夜間徘徊や見当識欠如など痴呆の症状を呈していることなどからすれば、同人は加齢による心身の衰えが顕著であり、特に高血圧性脳症、動脈硬化症は相当深刻であったものといわなければならず、このことが同人の正常な判断力を阻害し、また生への執着を著しく損ねていたことは否定するべくもない。

 以上検討してきたことをまとめれば、以下の(1)ないし(3)のような経過を辿って、Kの心身の衰えは急速に進行したものということができ、元来気が小さく心配症であったKが、右のような心身の衰えの中で正常な判断力を著しく損ない、いよいよ瑣末なことにこだわたり、気に病んだりするようになり、抑うつ状態から解放されることのないまま、被控訴人との些細な口論がきっかけとなって本件自殺にまで至ったものである。

(1)Kは、昭和49年12月頃から動脈硬化症や高血圧症の影響と考えられる頭痛や眩暈を訴えていたが、このほかにもけい肺結核症の症状も加わって、昭和51年5、6月頃から病気の恐怖心による抑うつ気分を訴えるようになった。

(2)その後、同年10月に「動脈硬化症、高血圧症、けい肺結核」の診断を受けて、右の恐怖心は客観的にも裏付けられたことになり、うつ状態が進行して入院するまでになった。

(3)昭和昭和52年4月頃からは夜間徘徊や健忘、見当識欠如などの痴呆症状を呈するようになり、同年5月には意識を失って倒れ、数日経過後も意識障害が持続するなどした。
 そうすると、業務上の疾病であるKのけい肺結核症(甲)と同人の抑うつ状態(乙)、ひいては本件自殺(丙)との間に、それぞれ一定の関連性があることを否定できないが、甲と乙との間に法的な意味での相当因果関係があるということができるか否かはなお疑問があるものといわざるを得ず、まして、甲と丙或いは乙と丙との間に明確かつ強度な因果関係があるものということはできない。
適用法規・条文
労働基準法79条、80条、労災保険法7条1項、12条の2の2第1項
収録文献(出典)
判例タイムズ876号130頁
その他特記事項
本件は上告された。