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大町労基署長(S社)自殺事件【うつ病・自殺】
- 事件の分類
- うつ病・自殺
- 事件名
- 大町労基署長(S社)自殺事件【うつ病・自殺】
- 事件番号
- 長野地裁 − 平成9年(行ウ)第2号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 大町労働基準監督署長 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 1999年03月12日
- 判決決定区分
- 認容(確定)
- 事件の概要
- T(昭和29年生)は、工業高校卒業後の昭和48年、金型、治工具、精密機械器具等のプレス加工品の製造・販売を主たる業とするS社に入社し、本社工場においてプレス工として稼働するようになった。
S社の労働時間は、4週平均して週48時間となっていたが、Tは数少ない熟練工の一人として、かつ自動プレス部門の責任者として現場作業に就くことも多く、二交代勤務に際しても、第一勤務を務めた後に第二勤務者よりも遅くまで仕事をすることも多かった。Tは、昭和59年1月以降、プレス課の繁忙さに対応して様々な業務を担当しており、午後10時前に帰宅することが数えるほどになり、休日出勤も月3〜4回に及ぶようになった。このようなTの就業状況は、昭和59年2月6日から20日までの間部長作成のノートによれば、Tが二交代勤務の際に午後10時以降勤務した深夜勤務時間数は59.5時間となっている。
Tは、同年夏頃から同僚や親族に対し、「仕事を辞めたい」、「班長にはなりたくない」などと漏らすようになり、原告に対し「夜眠れない」、「胃、腰、頭が痛い」、「疲れた」などと言って出勤を渋る様子を見せたりした。Tは、同年11月に実施された班長登用試験に合格し、プレス課における唯一の役職者となり、部下も2倍以上に増え、加えてロボットプレス部門の管理等の業務も行うこととなったが、同僚らに対して「班長になると責任が重くなり、残業手当もなくなるから班長にはなりたくなかった」などと漏らすことがあり、退職願を部長に拒まれ、仕事中に泣いたことがあった。
昭和60年に入って、Tは通常通り出勤していたが、1月11日には午前6時に目覚まし時計が鳴ったのに起きられず、午前7時に起床したが、午前8時頃Tの父親が自宅車庫内で自殺しているTを発見した。
Tの妻である原告は、Tの自殺は過重な業務により罹患したうつ病によるものであることから、Tの死亡は業務に起因するものであるとして、被告に対し労災保険法に基づく遺族補償給付等の支給を請求したが、被告がこれを不支給処分としたことから、処分の取消しを求めて本訴を提起した。 - 主文
- 1 被告が原告に対して平成7年1月19日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 業務起因性の意義及びその認定基準等
労災保険法に基づく労災保険給付の支給要件としての業務起因性が認められるためには、業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化として死傷病等が発生したと評価されることにより両者の間に相当因果関係が認められることが必要であるが、このような関係が肯定されるためには、当該業務に、医学経験則上、その死傷病等を発生させる一定程度以上の危険性が存することを要するものというべきであり、この理は、労働基準法施行規則別表第1の2第9号に定める「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当するか否かの判断、すなわち、非災害性の疾病の業務起因性の認定においても異なるところはない。
ところで、非災害性疾病のうちでも精神疾患は、当該労働者の従事していた業務とは直接関係のない基礎疾患、当該労働者の性格及び生活歴等の個体側要因、その他環境的要因等が複合的、相乗的に影響し合って発症に至ることもあるから、業務と当該疾病の発症との間に相当因果関係が肯定されるためには、単に当該疾病が業務遂行中に発症したとか、あるいは業務が発症の一つのきっかけを作ったというだけでは足りず、当該業務自体に、医学経験則上、その精神疾患を発症させる一定程度以上の危険性が存することが必要である。
法的概念としての因果関係の立証は、自然科学的な証明ではなく、ある特定の事実が特定の結果の発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることで足りるのであるから、発症前の業務の内容及びこれが当該労働者の心身に与えた影響の有無及びその程度、心因性精神疾患を招来せしめる性格要因や基礎疾患等の身体的要因の存否、発症前の生活状況等の関連する諸事情を具体的かつ全体的に考察し、これを当該疾病の発生原因に関する医学的知見に照らし、社会通念上、当該業務が労働者の心身に過重な負荷を与える態様のものであり、これによって当該業務にその心因性精神疾患を発症させる一定程度以上の危険性が存在すると認められる場合に、当該業務と心因性精神疾患発症との間の相当因果関係を肯定するのが相当である。そして、右精神疾患を発症した労働者が自殺した場合において両者の間に相当因果関係が存在することを是認するためには、医学経験則上、当該精神疾患が自殺という結果を招来したと認められるか否かについても検討しなければならない。
2 本件自殺の業務起因性の有無
Tには、昭和59年夏頃から抑うつ感情や睡眠障害が認められたが、更に班長試験合格を契機として稼働意欲の低下や無気力、行動の抑制といった様子が認められるようになり、吐き気、食欲不振、足の冷えなどが認められ、本件自殺に至るまでの間、その症状が増悪化する傾向が見られる。また、Tは同年12月には、同僚に対し、希死念慮を表明するに至っており、結果的には遺書も遺さずに突然自殺を敢行している。これらの事実は、IC10の診断ガイドラインに照らしてみても、うつ病の症状として複数の該当症状があると認めることができる。他方、Tにつき外因性精神障害の徴候は認めることはできず、またTはもともと明るく多趣味で面倒見のよい人物であって、内因性精神障害に親和的な素因があったと認めることはできない。そして、Tは精神的・肉体的に過重な業務に従事しており、少なくとも反応性うつ病の誘因となり得ることが肯定され、Tは、本件自殺の時点からさほど乖離していない時期に反応性うつ病を発症し、遅くとも本件自殺を行うまでには中等度の反応性うつ病に罹患していたものと認めるのが相当である。
Tは、プレス部門の管理の責任者たる地位と実務の責任者たる地位とを双肩に担わされて納期に追われ続けていたような状況にあったとみることができ、Tが右のような負担の軽減を期待することは困難な事態にあったということができる。そうすると、Tの担当業務は、反応性うつ病の誘因となったであろうことを了解し得る程度に、肉体的のみならず特に精神的に過重な負荷となるものであったというべきである。そうすると、Tの従事した業務には、医学経験則上、反応性うつ病を発症させる一定程度以上の危険性が存し、この業務に内在ないし通常随伴する危険性が現実化して発症したということができ、両者の間に相当因果関係が存在すると認めることができる。
3 本件自殺の業務起因性
労災保険法12条の2の2第1項の規定は、当該負傷、疾病若しくは死亡の結果がそもそも業務を原因とせず、業務と右死亡結果等との間に条件関係すら存在しない場合に労災保険給付を行わないという当然の事理を確認的に規定したものと解される。そして、業務に起因する反応性うつ病に罹患した労働者が自殺により死亡した場合に、当該自殺の業務起因性について判断するためには、当該労働者の自殺当時の病状、精神状態、自殺に至った動機や背景事情等を具体的かつ全体的に考察し、これを反応性うつ病と自殺との因果関係に関する医学的知見に照らし、社会通念上、反応性うつ病が当該労働者の自殺という結果を招いたと認められるか否かについて検討し、これが肯定される場合には、当該自殺は反応性うつ病の発症ひいては当該業務との間に相当因果関係があるということができる。
以上の諸点に医学的知見を併せ考慮すれば、社会通念上、本件自殺は、反応性うつ病の通常の因果経過として発生したものと解することができる。右反応性うつ病がTの過重な業務と相当因果関係を有することは前判示のとおりであるから、本件自殺は、結局、業務に内在ないし通常随伴する危険性が現実化したものとして業務との間に相当因果関係が肯認されるというべきである。 - 適用法規・条文
- 労災保険法12条の2の2第1項、16条、17条
- 収録文献(出典)
- 労働判例764号43頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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