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電車運転士自殺控訴事件【うつ病・自殺】
- 事件の分類
- うつ病・自殺
- 事件名
- 電車運転士自殺控訴事件【うつ病・自殺】
- 事件番号
- 大阪高裁 − 平成17年(ネ)第948号
- 当事者
- 控訴人 個人1名
被控訴人 個人3名 A、B、C
被控訴人 株式会社 - 業種
- 運輸・通信業
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2006年11月24日
- 判決決定区分
- 控訴棄却(上告)
- 事件の概要
- 被控訴人会社(第1審被告会社)は、西日本地域において旅客鉄道輸送業を営む株式会社であり、被控訴人(第1審被告)Aは尼崎電車区の区長、同Bはその首席助役、同Cはその指導総括助役であった。
Mは昭和51年4月に国鉄に入社し、昭和62年4月に被控訴人会社発足とともに同社に採用され、平成9年3月以降、尼崎電車区において運転士として勤務していた。Mは、平成13年同年9月3日からの日勤教育を命じられ、E助役の下でレポートの作成や、知悉度テストの受検をさせられたが、知悉度テストの成績が悪かったことなどから注意を受け、うつ状態となって、3日目の翌日である同月6日、自宅で首を吊って自殺した。
Mの父親である控訴人(第1審原告)は、被控訴人らは使用者としての安全配慮義務に違反したとして、葬祭料150万円、逸失利益5584万7205円、Mの慰謝料3000万円、控訴人固有の慰謝料3000万円、弁護士費用1000万円を請求した。
第1審では、本件日勤教育の内容等について一定の問題点があったことを指摘しつつ、Mに対する内容は他の運転士に対するものと変わらないこと、日勤教育は3日間に過ぎないこと、Mには外見上自殺を窺わせる様子がなく被控訴人らに予見可能性がなかったことなどを挙げて、本件日勤教育とMの自殺との間には相当因果関係が認められないとして、控訴人の請求を棄却した。 - 主文
- 1 本件控訴をいずれも棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。 - 判決要旨
- 当裁判所も、本件日勤教育とMの自殺との間には条件的因果関係が認められるが、日勤教育を原因とする自殺は、いわゆる特別損害であるから、日勤教育と自殺との間に相当因果関係があるというためには、自殺についての予見可能性を要するというべきところ、本件の認定事実からすると、そのような予見可能性は認められないから、控訴人の請求は理由がないと判断する。
被控訴人会社では、輸送の安全性の確保の実現のため、社員一人一人が安全確保の主役であるとすることによる安全意識の向上、基本の徹底や知識・技能の向上を掲げて、その理念の徹底を図ってきたところ、このような安全についての理念は、法令に基づく規範に適合し、理論的な根拠も有しており、妥当なものというべきである。また、その理念の実現については、各個人の取組みによるところが大きいといえるから、社員に対する個別の教育活動を用いることも、必要かつ有益な、当然の方策といわなければならない。したがって、社員に対する再教育の方法として日勤教育を行うことは、相当な方法であるといわなければならない。更に、日勤教育の内容や実施方法については、見せしめ的扱いなどといった不相当な扱いが見られるとか、後に「個人の責任追及を重視する風潮を醸し出し、事故の背景を分析する取組みを不十分にした」などと批判される部分があり、日勤教育を経験した過半数の運転士が改善の必要性があると答えているなど、問題点があることは否定できないが、上記の安全性の確保に関する理念からしても、その理念の徹底を図る目的からしても、日勤教育が不相当とはいい難いというべきである。
Mとしては、少なくとも、異常と疑われる事実が発生した際には、まず自らの手元での状況の確認をする必要があったのに、これをしなかったこと、及び出発運動の基本手順として定められている時刻の確認をしなかったことは明らかであり、これらはATSの取扱いに関する基本的知識の不十分さや、基本動作の不徹底によるものであって、いずれも重大事故につながりかねない過ちであったといえるから、Mに対して日勤教育を受けるよう命じたことは、相当の措置であったということができる。
Mが自殺を決意するに至った心理的メカニズムやそのときの精神状態について不明な点はあるものの、大まかな流れとして、Mは日勤教育の指定を契機として、その辛さを想起して不安感に見舞われ、周囲に不安をにじませるようになり、本件日勤教育開始後は、文章を書くことに対する苦手意識があったところに、分量を書くようにとの指示を受けたりしたことが加わって、苦悩を募らせていた。次いで2日目には、レポートの分量を増やすために虚偽を書いたことから、心情を大いに乱し、本来なら出来るはずの知悉度テストの回答ができず、自責感や自己卑下を伴ううつ状態に陥り、それが3日目の午前中まで続いた。同日昼休憩時にレポートの虚偽を告白したことから、少なくとも一つの重しが取れたが、レポート作成の負担そのものは軽減せず、運転士としての基本知識に関する知悉度テストに十分答えられなかったことの衝撃、日勤教育の長期化に対する不安の増大などがあって、これらがMに対する持続的なストレスとなり、これらによって思い詰めた結果のうつ病が持続し、受診するかどうかを迷っている間に、発作的に自殺に至ったと推認されるものである。
以上によれば、Mの自殺の原因として、本件日勤教育そのものによる心理的負担があることは疑いを容れないところであり、本件日勤教育とMの自殺との間の事実的因果関係を否定することはできない。しかし、Mの自殺の原因はそれだけではなく、Mに伝えられていた内容が、日勤教育を受けたことのないMの心情に不安感を呼び起こしたこと、M自身がレポート作成に当たって虚偽を記載したことによる心理的負担を負ったことなども、Mの自殺に影響を与えた(因果関係を有する)ものといわなければならない。
被控訴人会社において、日勤教育を行う意義と必要性があること、及びMに対して日勤教育を指定したことに相当性があるところ、このような場合、指導・教育を行ったことにより、あるいは指導・教育方法の誤り等で被用者を精神的に追い詰め、精神状態を悪化させたことが事実として認められるとしても、その精神状態の悪化から自殺までに至るということは、極めて特異な出来事というべきであって、通常生ずべき結果ではないといわなければならない。本件において、日勤教育の指定ないし実施とMの自殺との間に法律上の因果関係があるというためには、被控訴人A、B、C又はE助役あるいは被控訴人会社において、日勤教育を受けさせたことによってMの精神状態を悪化させ、その結果自殺したという結果について予見可能性があったことを要するというべきである。
Mは、自殺の2日前の9月4日夜、「クリスチャンでは自殺は大罪」、「仕事を辞める」などと漏らしているが、18歳から25年にも及ぶ職業生活に決別し、自ら命を断つという思い詰めた言は、生前病歴に見るべきものもなく、性格的にも明朗で、過去に短慮に出た行動一つなかったMの健康・性格・行動傾向に照らせば、本件日勤教育従事後に徐々に形成された苦悩の凝縮を見出さざるを得ない。しかし、死に直結する苦悩を醸成した原因を、日勤教育一般に随伴する問題に解消することができないことや、本件日勤教育が他の運転士の場合と異なる肉体的・精神的負荷を課すものではなかった。そして、本件日勤教育3日目において、Mは普段の乗務では難なくこなせてきた実践を、日勤教育担当者の期待水準に達する形でレポートとして文章化することに躓いたばかりか、果ては、本来の力量を発揮できずに、運転士としての基本知識に関する知悉度テストにも十分答えられなかった衝撃が、職業人としての自信を喪失せしめ、思い詰めた結果のうつ状態が引き金となって自己の全否定につながったものと推認するのが相当である。
このような日勤教育の中心となったレポート作成作業は、運転士一般に慣れない業務でもあるし、ものを書くという作業は話し言葉と異なる精神作用を要することであるが、反面、物事の見方、判断を整理するという教育的効果を発揮するものであってみれば、これを積極的にとらえる被控訴人らが、Mが3日間の教育課程で、それに十分な対応ができなかったとて、それが死という極端な選択をするまでの受け取り方をするという心理展開の予測可能性はなかったというほかない。この点は、教育効果が上がらずに1ヶ月以上に及ぶ日勤教育を受けた同僚運転士が、いずれも同様の精神的負担を乗り越えて通常勤務していることからして明らかである。管理者側においても、Mがレポート作成に呻吟していることを認識していたことは首肯できるが、本件では、自殺による死の結果が法益侵害として問責されており、管理者側のいずれも、死に直結するMの言動を認識していたわけではないから、自責感、自己卑下の感情を露わにしたMのレポートの内容から、心身の異常の予見可能性が否定できないとする控訴人の主張を考慮に入れても、やはり予見可能性の存在を納得せしむべき事情とは解されない。したがって、日勤教育とMの自殺との間の相当因果関係を認めることはできない。 - 適用法規・条文
- 収録文献(出典)
- 労働判例931号51頁
- その他特記事項
- 本件は上告された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
---|---|---|
大阪地裁 - 平成14年(ワ)第8802号 | 棄却(控訴) | 2005年02月21日 |
大阪高裁−平成17年(ネ)第948号 | 控訴棄却(上告) | 2006年11月24日 |