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玉野労基署長(M社玉野事業所)自殺事件【うつ病・自殺】
- 事件の分類
- うつ病・自殺
- 事件名
- 玉野労基署長(M社玉野事業所)自殺事件【うつ病・自殺】
- 事件番号
- 岡山地裁 − 平成15年(行ウ)第7号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 玉野労働基準監督署長 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2005年07月12日
- 判決決定区分
- 認容(確定)
- 事件の概要
- M社は、船舶・艦艇事業、鉄構建設事業、機械・システム事業、プラント・エネルギー事業、環境事業を展開する株式会社であり、Tの所属するエネルギー事業部は、リストラにより、平成8年7月現在421名あった部員が、平成11年4月現在131名に削減されていた。
Tは、平成8年5月に第2事業本部エネルギープラント事業部プラント設計部課長、平成10年7月に同事業本部ボイラ設計部の一般ボイラグループ長に昇進し、入社以来、一時期を除き、一貫して産業用ボイラの設計業務に携わってきた。
Tは、平成6年12月、ボイラ基本設計担当の課長補佐としてタイに出張した際、粉塵爆発トラブルや人間関係の問題から強いうつ状態になったことがあるほか、平成8年6月頃、水素ガス燃焼テストのためタイに出張予定だったところ、うつ病を発症したため、出張を取り止めたことがあった。
Tは、当時のM社としての最大のプロジェクトであるサウジアラビア(サウジ)における火力発電設備の新設工事(AK3プロジェクト)に携わっていたところ、同契約では全工事完了予定は平成9年10月15日だったが、種々のトラブル等により数度にわたって工事が延期され、平成11年6月時点でも全工事は完了していなかった。最も問題とされたトラブルについてM社はまず技術的な解決を図ることとし、サウジ現地からボイラ責任者の派遣を求められたことから、同月24日、Tに対し同年7月4日から現地調査のため出張するよう命じた。Tは、本件出張について、不安感、恐怖感等から自信がないとして拒否を申し出たが聞き入れられなかったことからうつ病に罹患し、同年6月29日夜、仕事の行き詰まり、無能力等と記載した遺書を遺し、自動車内に排気ガスをホースで引き込んで自殺した。
Tの妻である原告は、同年10月20日、Tの自殺は業務上の事由によるものであるとして、被告に対し遺族補償年金及び葬祭料の支給を請求したが、被告は平成13年3月30日、これらを支給しない旨の決定(本件処分)をした。原告は本件処分を不服として労災保険審査官に対し審査請求をしたが棄却され、更に労働保険審査会に対し再審査請求をしたが3ヶ月を経過しても裁決がなされなかったことから、本訴に及んだ。 - 主文
- 1 被告が原告に対して平成13年4月2日付でした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償年金を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。 - 判決要旨
- 労災保険給付の対象となる業務上の疾病については、労基法75条2項に基づいて定められた施行規則35条により同規則の別表第一の二に列挙されており、精神疾患のうつ病の発病が労災保険給付の対象となるためには、同別表第9号の「その他業務に起因することが明らかな疾病」に該当することが必要であるところ、業務と傷病等との間に業務起因性があるというためには、労災補償制度の趣旨に照らすと、単に当該業務と傷病等との間に条件関係が存在するのみならず、社会通念上、業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化として死傷病等が発生したと法的に評価され、相当因果関係があることが必要であるものと解される。
業務と精神疾患の発病や増悪との間に相当因果関係が肯定されるためには、単に業務が他の原因と共働して精神疾患を発症若しくは増悪させた原因であると認められるだけでは足りず、当該業務自体が、社会通念上、当該精神疾患を発病若しくは増悪させる一定程度以上の危険性を内在又は随伴していることが必要であると解される。現在の医学的知見によれば、環境由来のストレス(業務上ないし業務以外の心身的負荷)と個体側の反応性、脆弱性(個体側の要因)との関係で精神破綻が生じるかどうかが決まり、ストレスが非常に強ければ個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起こるし、逆に脆弱性が大きければストレスが小さくても破綻が生ずるとする「ストレス脆弱性」理論が合理的であると認められる。そして、業務とうつ病の発病・増悪との間の相当因果関係の存否を判断するに当たっては、発病前の業務内容及び生活状況並びにこれらが労働者に与える心身的負荷の有無や程度、更には当該労働者のうつ病に親和的な性格等の個体側の要因を具体的かつ総合的に検討し、社会通念に照らして判断するのが相当である。
判断指針は、各分野の専門家の報告書に基づき、医学的知見に沿って作成されたもので、現段階において合理的であることは否定できないが、これに対する当てはめや評価をなすに当たっては、当該労働者が置かれた具体的な立場や状況などを十分参酌して、幅のある判断をなすべきところである。
Tは、本件出張命令が出された平成11年6月24日以降、うつ病の症状を呈するようになり、これによる心神耗弱状態の下で本件自殺をしたものであるところ、Tの業務がうつ病発症の要因の1つになっていたことは明らかである。
AK3プロジェクトにおいてトラブルが生じ、現実に納期の遅延が発生していたところ、その解決のための技術的解決の目処が立たない中で、Tは技術的解決を模索するために「ボイラ責任者」としてサウジに派遣されることになった。M社関係者は、本件出張命令に係る業務は、極めて平易な業務であり心理的負荷を受けるものではなかった旨供述し、結果としては問題が沈静化したものの、当時問題の解決は困難であると関係者に認識されており、その沈静化に至るまで5ヶ月を要しており、技術的解決のための業務が心理的負担の大きいものであったことは否定できないところである。しかも、TはAK3プロジェクトの実質的責任者である自分には問題を早期に解決する責任があるのに、その能力がないと考え、強い無力感及び自責の念に囚われていたものであり、サウジに出張した際、「ボイラ責任者」として矢面に立たされ、厳しい追及に直面することを予想して強い不安を抱いたこと自体は、通常の思考過程を逸脱するものとはいえず、本件出張命令は、Tに対し通常の出張命令以上に重い心理的な負担となったものと認められる。そして、Tは、本件出張命令直後、不安感、恐怖感、無力感、自責の念等に苛まれた結果、本件うつ病が発症し、部長に対し問題解決の自信がない旨申し出たが、それが認められない結果となったことから、うつ病が急激に増悪したものと推認される。
Tの個体側要因を検討するに、その既往歴から同人が反復性うつ病性障害であったということはできるものの、治療期間は比較的短く、余後も良好であった上、いずれの発病時にも、強度の心理的負荷が予想される業務上の出来事が存する。また、2回罹患したうつ病が寛解するまでの期間を除けば、Tは相当の心理的負荷がかかると予想される業務に従事してもうつ病が発病しなかったことに鑑みると、2度の既往歴が存在することを考慮しても、Tのストレス脆弱性がそれほど高かったものとはいえない。また、Tの性格は、真面目で几帳面で責任感が強い、いわゆる「メランコリー親和性性格」であって、うつ病親和的なものであったが、社会適応状況等に照らせば、その性格が通常人の正常の範囲を逸脱して偏ったものということはできない。
上記を総合すれば、本件において、業務外の要因による心理的負荷が強度であるとは認められず、本件うつ病は、Tにおいて、AK3プロジェクトにおける種々の問題解決に忙殺されて心身の疲労が蓄積される中で、本件出張命令が下されたことから生じた心身的負荷と、Tのうつ病親和的な性格傾向が相乗的に影響し合って発病したものであり、更にTの期待に反して本件出張命令が維持されたことから、うつ病が急激に増悪して、Tはうつ病による希死念慮の下に発作的に自殺したものというべきである。そうすると、本件出張命令等に伴って生じた心身的負荷は、Tに対し、社会通念上、うつ病の発症だけではなく増悪の点でも、一定程度以上の危険性を有するものであったと認められ、上記うつ病の発症・増悪は、業務に内在する危険性が現実化したものといわざるを得ず、業務とうつ病の発症・増悪、これによる本件自殺との間の相当因果関係が肯認される。
労災保険法12条の2の2第1項は、労働者の故意による事故を労災保険の給付対象から除外しているが、その趣旨は、業務と関わりのない労働者の自由な意思によって発生した事故は業務との因果関係が中断される結果、業務起因性がないことを確認的に示したものと解するのが相当である。それゆえ、自殺行為のように外形的に労働者の意思的行為と見られる行為によって事故が発生した場合であっても、その行為が業務に起因して発生したうつ病の症状として発現したと認められる場合には、労働者の自由な意思に基づく行為とはいえないから、同規定にいう故意には該当しないものと解される。本件自殺は、本件うつ病の症状として発現したものであるから、労災保険法12条の2の2第1項の「故意」には該当しない。そうすると、Tのうつ病の発症及び増悪とそれに基づく本件自殺には業務起因性が認められるものというほかないから、これを否定した本件処分は違法であるものといわざるを得ない。 - 適用法規・条文
- 労働基準法75条、労災保険法12条の2の2第1項、16条の2、17条
- 収録文献(出典)
- 労働判例901号31頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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