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携帯電話会社人事異動後自殺事件【うつ病・自殺】
- 事件の分類
- うつ病・自殺
- 事件名
- 携帯電話会社人事異動後自殺事件【うつ病・自殺】
- 事件番号
- 名古屋地裁 - 平成15年(ワ)第2950号
- 当事者
- 原告 個人2名以上
被告 株式会社 - 業種
- 運輸・通信業
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2007年01月24日
- 判決決定区分
- 棄却
- 事件の概要
- Tは、平成6年4月にJ社に在籍出向した後、平成13年4月同社(その後他社との合併により被告)に転籍し、平成14年12月から保守センターに異動した者である。
Tは、平成6年11月17日、精神科を受診し、うつと診断され、うつ病に効果があるとされる薬を処方された。Tはその後抑うつ状態が残る部分寛解に至り、平成7年7月28日頃以降は、概ね抗うつ剤の処方がない場合に日常生活を続けることに幾分かの困難を生じる程度のうつ病の症状を呈していた。
平成14年11月に、被告はTに対し保守センターへの異動を打診したが、Tは業務が過重になることや、通勤が長時間になることなどから難色を示した。被告は、同月中旬以降、Tと3回程度面接し、Tには保守業務の経験があることや同じ技術サポートグループ内の業務であること、保守センターの業務量が減少することなどを説明し、説得に努めた。しかし、この説得過程において、Tが「自分を辞めさせたいのか」と言ったことに対し、上司が「勝手にしたらいい」と述べ、Tは妻である原告に対し、「会社で異動に伴う件で頭に来た。嫌なら辞めろとの暴言を受けた」と携帯メールを送信した。そして、Tは、最終的には異動を受け容れ、同年12月2日から保守センターで勤務するようになったが、その5日後の同月7日、自宅で自殺した。
Tの妻及び子である原告らは、Tの自殺は、被告がTに対して長時間労働等の過重労働を課し、新規事業等に従事させたために、Tが心理的負荷を受けてうつ病を発症し、その後の異動の強行等によりうつ病を悪化させたことによるものであるとして、被告に対し、安全配慮義務違反に基づき、逸失利益、慰謝料等損害賠償を請求した。 - 主文
- 1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。 - 判決要旨
- 1 Tのうつ病罹患の有無、発症時期、程度及び経過
Tは、平成6年11月17日精神科を受診し、うつと診断され、うつ病に効果があるとされる薬を処方されているから、遅くとも同日までにうつ病に罹患していたと認めるのが相当である。Tは、その後抑うつ状態が残る部分寛解に至り、平成7年7月28日頃以降は、概ね抗うつ剤の処方がない場合に日常生活を続けることに幾分かの困難を生じる程度のうつ病の症状を呈し、メイラックスの効果により日常生活を支障なく送れる程度の抑うつ状態が残存する部分寛解に程度にあったものといえる。
2 Tの業務と本件自殺との間の相当因果関係
原告らは、相当因果関係の判断に際しての業務の過重性は、当該労働者を基準に考えるべきである旨主張するが、かかる考え方に立って業務の過重性を検討することは、結果責任につながりかねず妥当ではない。したがって、業務の過重性を検討するに際しては、当該労働者が置かれた個別具体的事情を基に当該業務が社会通念上許容される範囲を超える過剰な業務であったかどうかを検討すべきである。
原告らは、本件出向後の未経験の業務がTにとって過重であった旨を主張するが、これらの変化が通常の学習能力をもってしても対応できない程度に達していたと認めるに足りる証拠はないし、Tの経歴からすれば、通常の学習能力を有していたと推認できる。したがって、Tが従事した業務が未経験であったとしても、かかる業務が社会通念上許容される範囲を超える過剰な業務であったということはできない。また原告らは、時間的余裕がない状況における未経験の取扱店指導業務がTにとって過重であった旨主張するが、先行した関連会社で作成されたマニュアルを参照して、マニュアル等作成業務に従事していたこと等を考慮すると、その業務が社会通念上許容される範囲を超える過剰な業務であったということはできないし、Tが自ら作成に関与した取扱店マニュアルを使用した取扱店指導業務が社会通念上許容される範囲を超える過剰な業務であったということはできない。更に原告らは、Tが長時間労働をしており、それがTにとって過重であった旨主張する。確かに、平成6年6月から同年10月までの間におけるTの時間外労働時間は、47時間から69時間と比較的長時間に及んでいるといえるが、上記期間における休日出勤回数は1回に留まり、有給休暇を合計5日取得していることからすると、Tは時間外労働による疲労やストレスを過度に蓄積するような状況にはなかったといえる。
以上より、本件出向後、平成6年11月までの間のTの業務内容及び業務量は、社会通念上許容される範囲を超える過剰なものであったということはできず、したがって、同月頃のうつ病発症と業務との間に、相当因果関係はないといわざるを得ない。
保守センターにおける業務は、Tが本件異動当時所属していた技術センターの1部門であり、その業務は一定の関連性を有しており、Tの経歴からすれば、保守センター業務における修理品の流れ等については、一定の理解を有していたというべきである等本件異動後の業務は、客観的にはTに不可能を強いるものとはいえない。Tが、未経験、負担が重くなる、通勤時間が長くなるなどを理由に本件異動を拒絶したことに対し、上司らは3回程度面接を実施し説得を試みたが、Tが態度を硬化させ、保守センターへの異動を、自らを退職に追い込もうとする意図の下になされたものと否定的かつ重大に受け止め、憤激したと推認される。本件異動がTを退職に追い込む意図の下になされたことは認められないが、Tはそのようなものと否定的に捉えた上、平成14年11月当時、抗うつ剤の処方がない場合は日常生活に幾分かの困難を生じる程度のうつ病に罹患していたため、最終的に本件異動に応じざるを得ないことに強い心理的負荷を受け、うつ病を罹患したものといえるから、本件異動の打診及び説得経過とTのうつ病増悪との間には相当因果関係があるといえる。
うつ病に罹患した者が、その症状として、自傷又は自殺の観念や行為を呈することがあり、うつ病に罹患したことにより、正常の認識、行為選択能力が著しく阻害されて、又は自殺行為を思い止まる精神的な抑制力が著しく阻害されて自殺に至ることは、今日の精神医学において広く認められているところである。Tは、自宅の和室を荒らした上で、遺書を作成せずに自殺している事情からすると、本件自殺当時正常な精神状態にあったということはできない。以上により、平成6年11月頃のTのうつ病発症と業務との間、その後のうつ病の部分寛解後の増悪と業務との間には、いずれも相当因果関係があるとはいえないが、平成14年11月中旬頃の本件異動の説得状況とTのうつ病の増悪及びその後の本件自殺との間には相当因果関係があるというべきである。
3 被告の安全配慮義務違反の有無
一般に、使用者は、その雇用する労働者に対し、当該労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことのないように注意すべき義務(安全配慮義務)を負う。そして、使用者が労働者に対し異動を命ずる場合にも、使用者において、労働者の精神状態や異動のとらえ方等から、異動によって労働者の心身の健康を損なうことが予見できる場合には、異動を説得するに際して、労働者が異動に対して有する不安や疑問を取り除くように努め、それでもなお労働者が異動を拒絶する態度を示した場合には、異動命令を撤回することも考慮すべき義務があるといえる。
ところで、異動に伴う業務量や通勤時間の変化については、Tに対し説明されており、その説得状況は、通常の精神状態にある者に対するものであったならば、当該労働者の精神状態を著しく害して自殺等の結果に至ることを予見できるようなものであったとまではいえない。したがって、詰まるところ、被告は本件異動の打診をした当時、Tがうつ病等に罹患していることを認識していたか、又は認識することが可能であったことを前提にしなければ、本件異動命令や本件異動の説得状況により、Tがうつ病を悪化させて自殺に至るという結果について予見することはできなかったといえる。
Tは、本件異動の説得がなされていた当時通院しており、気分が憂鬱である旨の愁訴や不活発な感じがする旨の所見があるものの、医師は投薬内容の変更や入院等の勧奨をしていないことからすると、平成14年11月21日当時にTが何らかの異変を呈していたとしても、医師ですら気づき得ない程度のものであったといえるから、被告は、本件異動当時、Tがうつ病に罹患していたことを認識していたとはいえず、またこれを認識することが可能であったということはできない。
原告らは、予見可能性に関して、(1)被告がTのうつ病の発症や増悪、それによる自殺の予見までは必要なく、Tが業務に従事したことにより健康状態への悪影響を生じることが予見できれば、予見可能性に欠けるものではない旨、(2)適正労働条件措置義務、健康管理義務、適正労働配置義務及び看護・治療義務の4つの義務を履行したとしても、Tの健康状態への悪影響が予見できなかった場合に初めて予見可能性がなかったといえる旨主張する。確かに(1)の主張は一定の合理性を有しているといえるが、本件異動命令自体は格別不合理ではなく、本件異動命令に係る説得状況は、Tがうつ病に罹患していたことを併せ考慮することにより初めてうつ病を増悪させたといえるのであるから、予見可能性の前提として、少なくともTがうつ病又はその他の精神疾患に罹患していることの認識又は認識可能性を前提にしなければ、被告に不可能を強いることになり、(1)の主張は採用できない。
原告らは、安全配慮義務の具体化として、健康管理義務、すなわち、必要に応じて、メンタル対策を講じ、精神障害を早期に発見すべき義務を負う旨主張するが、労働者に異常な言動が何ら見られないにもかかわらず、精神的疾患を負っているかどうかを調査すべき義務まで認めることは、労働者のプライバシーを侵害する危険があり、法律上、使用者に上記健康管理義務を課すことはできないというべきである。
したがって、Tのうつ病罹患に関する被告の認識及び認識可能性を認めることができない本件において、Tの自殺について、被告の安全配慮義務違反を問うことはできない。 - 適用法規・条文
- 収録文献(出典)
- 平成20年版労働判例命令要旨集209頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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