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中央労基署長(Dデパート東京店)うつ病自殺事件【うつ病・自殺】
- 事件の分類
- うつ病・自殺
- 事件名
- 中央労基署長(Dデパート東京店)うつ病自殺事件【うつ病・自殺】
- 事件番号
- 東京地裁 - 平成17年(行ウ)第180号
- 当事者
- 原告 個人1名
被告 国 - 業種
- 公務
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2008年01月17日
- 判決決定区分
- 認容(確定)
- 事件の概要
- T(昭和18年生)は、高校卒業後の昭和37年にDデパートに入社し、関連会社への出向を経て、東京店に勤務し、昭和60年3月に寝具タオル課の係長、昭和62年3月には同課で販売専任の課長職として関連業務全般を担当し、同年6月25日付けで売場担当販売課長となった。
Tが係長になった当時の棚卸しでは品減りは問題にならなかったが、昭和62年2月の棚卸しで400万円程の品減りが報告され、更に業者の指摘から多額の品減りが明らかになり、調査の結果、約1億円の品減りが判明した。そのような高額の品減りについて、Tに経理上の処理・管理に規則違反があったことが判明したものの、横領等の犯罪行為は認められなかった。
Tは、タイムカード上はほとんど時間外労働の記録がなかったが、昭和62年5月下旬以降、帰宅が遅くなったほか、経理規則上禁止されているにもかかわらず、自宅に伝票等を持ち帰り、連日深夜、早朝まで調査を行うようになった。妻である原告が尋ねても、「数字が合わない」、「いくら調べてもわからない」などと答え、品減りの原因は、一部を除いて判明しなかった。
Tは、同年6月月29日欠勤したところ、顧客から自宅にクレームの電話がかかり、その客の自宅に謝りに行ったが問題は解決せず、その帰りに酒を飲んだまま外泊した。Tは翌30日午前9時過ぎに帰宅し、原告が外出している間に、遺書を遺した上で自宅の階段下においネクタイを首に巻いて自殺した。
原告は、Tの自殺は業務に起因するものであるとして、平成4年6月24日、労働基準監督署長に対し遺族補償年金の支給を請求したが、同署長は、Tの自殺当時精神障害を発症していたとは認められず、労災保険法12条の2の2第1項の「故意」に当たるとして、平成8年9月9日付けでこれを不支給処分とした。原告はこれを不服として労災保険審査官に対し審査請求をし、更に労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、いずれも棄却されたため、不支給処分の取消しを求めて提訴した。 - 主文
- 1 中央労働基準監督署長が原告に対し平成8年9月9日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償年金の支給をしないとした決定を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。 - 判決要旨
- 1 精神障害の発症の有無等
労災保険法に基づく保険給付は、労働者の業務上の死亡等について行われるが、同法による補償制度は、業務に内在ないし随伴する各種の危険が現実化して労働者に死亡等の結果がもたらされた場合には、使用者等に過失がなくとも、その危険を負担して損失を補填させるべきであるとする危険責任の法理に基づくものであることからすれば、労働者の死亡等を業務上のものと認めるためには、業務と死亡等の結果発生との間に条件関係があるだけではなく、業務に内在する危険性が原因となって結果が発生したという相当因果関係があることが必要である。
労災保険法12条の2の2第1項は、労働者が故意に死亡又はその直接の原因となった事故を生じさせたときは保険給付を行わない旨定めている。これは、業務上の精神障害によって正常の認識、行為選択能力が著しく阻害され、又は自殺行為を思い止まる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われた場合には、業務と精神障害の発症及び死亡との間に相当因果関係を認めることができるから、このような場合には、同条項の「故意」があるというべきではない。したがって、労働者が、業務に起因して発症した精神障害により、正常の認識、行為選択能力等を阻害されるなどした結果、自殺に至った場合には、労災保険法上の保険給付が行われるべきである。そうすると、自殺の場合には、労災保険法上の保険給付が行われる前提として、まず、当該自殺した労働者について、自殺念慮が出現する可能性が高いと医学的に認められる精神障害の発症が認められなければならない。
現在の医学的知見では、精神障害は、その成因ではなく、主として症状、状態等によって分類され、国際疾病分類ICD-10が示す分類によれば、F0ないしF4に分類される精神障害が一般的に自殺念慮を伴うとされ、労災補償における業務起因性を判断する前提として、精神障害を発症していたか否かを判断する場合にも、ICD-10の診断基準によるのが相当と認められる。
Tは、本件遺書を作成しているが、その内容は、品減りにより自責感や不安などによって気分が沈んでいる心情が記され、Tには抑うつ気分の症状があったと認められ、また、同遺書には、頭の中が品減りのことばかりになり、他に関心を向けることができず、興味と喜びの喪失や易疲労感の増大や活動性の減少の症状もあったと解することができる。更に、本件遺書には、集中力と注意力の減退を訴えた記載や、自己評価と自信の低下、罪責感と無価値感、将来に対する悲観的な見方を示す記載があり、以上によれば、Tは、自殺時にはうつ病エピソードの典型症状及び一般症状が見られたことが明らかに認められる。
以上を総合すると、Tについては、抑うつ気分、興味と喜びの喪失、活動性の減退による易疲労感の増大や活動性の減少という3つの典型的症状がすべて認められ、他の一般的な症状である(1)集中力と注意力の減退、(2)自己評価と自信の低下、(3)罪責感と無価値感、(4)将来に対する希望のない悲観的な見方、(5)自傷あるいは自殺の観念が認められ、3つの典型症状と一般症状のうち(2)及び(3)については少なくとも2週間の持続が認められるから、IDDの10の診断基準によれば、うつ病を発症していたと認められる。
2 精神障害の業務起因性
一般に、労働者が精神障害を発症し自殺に至った場合、精神障害の原因や自殺を決意した原因として業務以外の事由を想定し得ないときには、原則として、業務と精神障害の発症及び精神障害の発症と自殺との間の条件関係はそれぞれ認められるといえる。
現在の医学的知見では、環境由来のストレスと個体側の反応性・脆弱性との関係で精神的破綻が決まり、ストレスが非常に強ければ個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起こるし、逆に脆弱性が大きければストレスが小さくても破綻が生じるとする、ストレス-脆弱性理論が広く支持されていることが認められる。この理論を前提にすれば、個体側の反応性・脆弱性が平均的労働者を超えて大きいときは、平均的労働者に破綻を生じさせない程度のストレスによっても精神的破綻が生じ得るのであって、そのような場合にまで労災保険法による災害補償の対象とすることが法の趣旨であると解されないことは明らかである。したがって、業務が精神障害を発症させる程度に過重であり、危険性を内在させるものであったかどうかは、業務の過重性ないし心理的負荷が、平均的労働者を基準として、精神的破綻を生じさせる程度のものであったかどうかによって判断されなければならない。
Tには、精神障害の病歴はなく、うつ病エピソードの発症がTの器質によると認めるに足りる証拠もない。また、Tに私生活上のトラブルといった職場以外の事情による心労が生じていたとも認められない一方、Tは品減りの調査の過程で、その原因を解明できない不安を原告らに漏らしており、本件遺書にもその記載がされていたことからすれば、Tがうつ病を発症した原因として品減り調査による負荷以外の原因を考えることはできない。したがって、品減り調査による負荷とTのうつ病エピソード発症及び自殺との間には条件関係が認められる。
自殺前6ヶ月間、Tには過重といえるような長時間労働は認められないが、Tは、5月25日頃から通常業務のほかに、伝票類の調査と品減りの原因の解明を行い、こうした作業は、深夜、早朝まで自宅で行っていた。品減りの原因と考えられる事実が多岐にわたり、1人で調べても2、3日で終わるような分量であったとは解されず、最終的に品減りの大部分の原因が解明できなかったことに照らせば、その調査が非常に困難であったことが明らかである。そして、品減りについては、Tの本来の職務として調査・解明が求められていた上、現にこれをD社から命じられていたものである。
品減りは、Tの仕事上の重大なミスであることは明らかであり、その金額が約8000万円という巨額であること、伝票類を経理に回さなかったから、Tの単なるミスに留まらず、品減りを拡大させたといえること、品減りが発覚し調査が開始された時点においては、Tによる横領等の犯罪行為を疑われかねない状態であったことなどを併せると、Tに対して極めて強度の精神的負担を与えたことは容易に想像できる。加えて、品減りの調査業務は非常に困難であり、相当の時間を要するものであったから、業務そのものとしても心理的負荷が強度であったといえる。しかも、長時間かけても品減りの原因は解明できなかったのであり、そのことが、更に責任者と考えているTに対して極度の心理的負荷を与えたと推測される。
Tは、自殺前1ヶ月に、調査をしていた昭和62年6月24日までのうち、遅く帰宅した日を除く18日間、自宅で少なくとも1日4ないし5時間調査をしていたと推測されるから、1ヶ月の合計では少なくとも80時間程度の調査をしていたと推定できる。以上のとおり、Tが行った品減り調査は、精神的負担の大きさ、遂行の困難さ、通常の業務時間以外に従事した時間の長さなどの面からみて、同種の労働者を基準としても過大な業務であったと認められる。
以上のとおり、Tが自殺前に行っていた業務は、通常の勤務に就くことが期待されている平均的な労働者にとっても、強度の心理的負荷を与える過重なものであり、社会通念上、精神障害を発症させる程度の危険性を有するものということができる。Tのうつ病エピソードの発症及び自殺に至る一連の過程は、これらの業務に内在する危険が現実化したものというべきであるから、Tの自殺には業務起因性が認められる。
本件処分後、精神障害に起因する自殺の業務上外の認定に関して、労働省労働基準局長から平成11年9月14日付けで「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針」(判断指針)が発出されている。本件判断指針は、行政庁における基準を示すものであるが、本件判断指針によっても、Tの自殺に業務起因性が認められる。
Tについては、自殺前に職場以外の心理的負荷となり得る出来事として、長男が高校入学後2ヶ月余で約20kgの体重減少をしたことが「子供の問題行動」に類似するものと見ることができなくもないが、そのストレスはせいぜい「1」であり、精神障害の発症について個体側の要因は認められない。Tが体験した出来事のうち、品減りの調査を担当したことは、心理的負荷は「3」と評価され、かつ評価は「相当程度過重」以上の「特に過重」であり、その総合評価は「強」となるから、Tの自殺には業務起因性が認められる。
以上によれば、Tの自殺につき業務起因性を否定した本件処分には誤りがあるから、本件処分は取り消されるべきである。 - 適用法規・条文
- 労災保険法7条、12条の2の2第1項、16条の2、17条
- 収録文献(出典)
- 労働判例961号68頁
- その他特記事項
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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