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前田道路営業所長叱責自殺事件【うつ病・自殺】

事件の分類
うつ病・自殺
事件名
前田道路営業所長叱責自殺事件【うつ病・自殺】
事件番号
松山地裁 − 平成18年(ワ)第101号
当事者
原告個人2名 A、B

被告前田道路株式会社
業種
建設業
判決・決定
判決
判決決定年月日
2008年07月01日
判決決定区分
一部認容・一部棄却
事件の概要
被告は道路建設を主たる業務とする会社であり、T(昭和36年生)は昭和61年に被告に入社し、平成15年4月に東予営業所長に就任した者である。

 Tは、所長に就任した1ヶ月後頃から、部下に指示して受注高、出来高、原価等につき現実と異なる数値を報告する不正経理を開始した。四国支店工務部長のMは、東予営業所の報告する数字に異常があることに気付き、Tが架空出来高の計上を認めたため、正しい数値に戻すよう指示した。Mは、直ちに支店に赴いて調査をしなければならない程の架空出来高はなかったと認識していたこと、Tの将来を配慮したこと等から、詳細な内容まで突き詰めることはせず、平成16年初め頃、Tから「架空出来高」を是正したとの報告を受けて信用し、それ以上の調査を行わなかったが、実際には是正されていなかった。

 Mの後任者であるJは、東予営業所の出来高と原価とのバランスの異常に気付き、Tから事実確認をして、約1800万円の架空出来高を計上しているとの報告を受けた。JはTに注意をし、本社への報告を避けるため、架空出来高を計画的に解消する手法を採用することとし、そのやり方をTに示唆し、他に不正経理の有無について確認したところ、Tは他にはない旨回答した。そのため、JはTの自殺後の調査で不正経理の全てが判明するまで、東予営業所の不正経理額は1800万円であると認識しており、その他の不正経理があることは認識していなかった。

 平成16年9月10日、J、四国支店営業副部長、課長、Tらは、東予営業所において業績検討会を開き、JはTの部下に対し資料の数字が違うことを注意したが、これはTにとっては、自分が指示した不正経理について、面前でその部下が注意されるという状況であった。その際、JはTに対し、「会社を辞めれば済むと思っているかも知れないが、辞めても楽にはならないぞ」と叱責するとともに、「皆が力を合わせて頑張ってやろう」と従業員全員を鼓舞した。そして業績検討委員会の3日後の午後6時30分頃、Tは東予営業所において「怒られるのも、言い訳するのも疲れました。自分の能力のなさにあきれました」といった内容の遺書を遺して自殺した。
 Tの妻である原告A及び子の原告Bは、Tの死亡は、社会通念上正当と認められる業務命令の限界を著しく超えたノルマの達成を強要、叱責されたことによりうつ病を発症したことによるものであり、主位的には不法行為責任、予備的には安全配慮義務違反を理由として、Tについて葬儀費150万円、逸失利益9752万6178円、慰謝料2800万円(原告A及び原告Bで折半して相続)、原告Aについて慰謝料300万円、弁護士費用665万1308円、原告Bについて慰謝料200万円、弁護士費用655万1308円を請求した。なお、労働基準監督署長はTの死亡を業務上の災害と認定し、平成17年10月27日、原告Aに通知した。
主文
1 被告は、原告Aに対し、522万6923円及びこれに対する平成16年9月13日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2 被告は、原告Bに対し、2602万3923円及びこれに対する同日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

4 訴訟費用は、これを5分し、その2を被告の負担とし、その余は原告らの負担とする。
5 この判決は、第1項、第2項に限り仮に執行することができる。
判決要旨
1 相当因果関係の有無

 訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして証拠を総合的に検討し、特定の事実が特定の結果の発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することである。

 Tは、自らの営業成績を仮装するために行った不正経理の是正のため、四国支店に呼び出されて上司から叱責を受け、早期に工事日報を報告するよう指導され、日報報告の際に電話で叱責されたことがあったこと、東予営業所を訪れた四国支店長から改善指導を受け、業績検討会においても上司から不正経理の責任を取るのは所長である旨叱責・注意を受けたこと、遺書を遺して業績検討会の3日後に自殺したことが明らかであり、遺書の内容や責任追及が行われた業績検討会に近接した時期に自殺が行われたことや遅くとも自殺の直前にはうつ病に罹患していたことを考慮すると、不正経理についての上司による叱責、注意が、Tの死亡という結果を生じさせたと見るのが相当である。以上によれば、上司の叱責・注意とTの死亡との間には相当因果関係が認められる。

2 不法行為又は債務不履行(安全配慮義務違反)の有無

 営業所は独立採算を基本にしており、年間計画はTが過去の実績を踏まえて作成し、四国支店から変更要請がなかったことから、被告がTに対し過剰なノルマ達成を強要したとは認められない。しかし、約1800万円の架空出来高を遅くとも会計年度の終わりまでに解消することを踏まえた上での目標値は、営業環境に照らして達成困難な目標値であったというほかなく、平成16年お盆以降に、Tが端から見ても落ち込んだ様子を見せるに至るまで叱責したり、検討会の際に、「辞めても楽にならない」旨の発言をして叱責したことは、不正経理の改善や工事日報を報告するよう指導すること自体が正当な業務の範囲内に入ることを考慮しても、社会通念上許される業務上の指導の範疇を超えるものと評価せざるを得ないものであり、Tの自殺と叱責との間に相当因果関係があることなどを考慮すると、Tに対する叱責などは過剰なノルマの達成の強要あるいは執拗な叱責として違法であるというべきである。

 原告らは、更に恒常的長時間労働、計画目標の達成強化、支援の欠如、叱責と改善命令、業務検討会等における叱責等を安全配慮義務違反を根拠づける事実として主張するところ、不正経理是正に伴って設定された目標値が達成困難なものであり、不正経理是正等のためにTに対してなされた叱責は違法と評価せざるを得ないものであるから、これらが安全配慮義務違反を基礎付ける事実に当たることは明らかであるので、Tの上司の行った電話及び検討会における叱責等は、不法行為として違法であり、被告に債務不履行(安全配慮義務違反)も認められる。

3 予見可能性の対象及びその有無

 労働者の疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険のあることは周知のところであること、Tの上司は、Tに対し不正経理是正のため叱責等を繰り返し行っており、その中には社会通念上許される業務上の注意の範疇を超えるものと評価せざるを得ない叱責等もあること、会社を辞めても楽にはならない旨の発言をするなどTが会社を辞めなければならなくなる程度に苦しい立場にあること自体は認識していたこと、東予営業所の実情を調査せず、Tの申告による約1800万円の架空出来高の背後に更に大きな不正経理があることに気付かないまま、結果的には効果的ではなかった是正策を厳しく求めたことなどに照らすと、Tが心理的負荷から精神障害等を発症して自殺に至ることもあるということを予見することもできたというべきである。

 被告は、Tの上司らはTがうつ病に罹患していることやその兆候となる事実を認識していた事実は認められず、認識し得る事情もないと主張するが、うつ病に罹患していることやその兆候となる事実を認識しあるいは認識可能でなかったとしても、自殺に至ることは予見可能であったというべきであるし、適切な調査をしていれば、更にその認識可能性はあったというべきであり、自殺に至ることも予見可能であったというべきである。また、被告は、Tが被告に秘匿してきた一部の不正経理等についてはTの上司は認識していなかったと主張するが、東予営業所の実情からは、申告された約1800万円の架空出来高を短期間に解消することは無理であったと思われるから、そのような是正策を厳しく求めたというだけでも、Tの上司においてTが自殺に至ることを予見することが可能であったというべきである。以上によれば、Tに対する叱責等の時点で、被告の上司らがTが心理的負荷から精神障害等を発症して自殺に至ることは予見可能であったと認めるのが相当である。

4 損害額

 Tの平成15年度における所得は1009万6902円であり、死亡時は43歳であって60歳定年までの就労可能年数は17年である。定年後は67歳まで就労可能であったと思われるから、その間は平成16年度における産業計・企業規模計・男性労働者の60歳の平均年収443万1500円程度の収入があったものと考えられ、生活費控除は30%と認めるのが相当である。以上により、逸失利益額は8751万4165円となる。葬儀費は150万円、慰謝料は2800万円が相当である。また夫の死亡によりストレス性疾患を来した原告Aを慰謝するには300万円が相当であり、原告BはT死亡時に高校在学中であったこと等を考慮すると、慰謝料は200万円が相当である。

5 過失相殺及び損益相殺

 Tの上司による叱責等はTが行った不正経理に端を発することや、上司に隠匿していた不正経理がうつ病の発症に影響を及ぼしたと推認できることは明らかであり、これらの事情は損害の発生又は拡大に寄与した要因であると認められる。そして、一連の経緯の発端、東予営業所に関する経営状況、Tの上司の叱責等の内容、Tが隠匿していた不正経理の総額とそこに至った事情等を総合的に考慮すると、Tにおける過失割合は6割を下らないと認めるのが相当である。

 原告Aに対する労働者災害補償保険法60条、64条による遺族補償年金前払一時金は、損益相殺として原告Aに生じた損害額から控除すべきである。弁護士費用は、原告Aについては50万円、原告Bについては240万円が相当である。
適用法規・条文
民法415条、709条、労災保険法60条、64条
収録文献(出典)
労働経済判例速報2013号3頁
その他特記事項