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ホテルN料理長くも膜下出血死事件【過労死・疾病】
- 事件の分類
- 過労死・疾病
- 事件名
- ホテルN料理長くも膜下出血死事件【過労死・疾病】
- 事件番号
- 和歌山地裁 − 平成15年(ワ)第115号
- 当事者
- 原告 個人3名 A、B、C
被告 個人2名 X、Y
被告 株式会社 - 業種
- サービス業
- 判決・決定
- 判決
- 判決決定年月日
- 2005年04月12日
- 判決決定区分
- 一部認容・一部棄却(控訴)
- 事件の概要
- 被告会社は、勝浦湾内に存在する「ホテルN」を経営する株式会社であり、被告Xは平成12年3月当時の代表取締役、被告Yは当時の常務取締役であった。
K(昭和16年生)は、昭和40年からホテルNで調理師として働き、昭和55年頃からは料理長を務め、副支配人の地位にあった。Kは、平成12年3月3日昼前、ホテルの定例会議の最中に、脳動脈瘤破裂による重度のくも膜下出血により倒れ、その後入院して治療を受けたが、意識を取り戻すことなく、平成14年7月2日に死亡した。
労働基準監督署長は、平成14年12月9日、Kの死亡を業務災害と認め、遺族補償年金、遺族特別支給金、遺族特別年金・一時金(葬祭料)等の支給決定をした。
Kの妻である原告A,Kの子である原告B及び同Cは、本件発症前にKが従事していた業務は、著しく長時間かつ精神的・肉体的負担の大きいものであった一方、Kが本件発症当時抱えていた危険因子はさほど大きいものではなかったから、Kの死亡は過重な労働に起因するものであること、Kがくも膜下出血を発症した際、十分な救護が行われなかったために手遅れになったことなどを主張し、被告らに対し、連帯して、原告Aに対し3136万0558円、原告B及び同Cに対し各2678万0757円の損害賠償を請求した。 - 主文
- 1 被告らは、連帯して、原告Aに対して1080万円、原告B及び原告Cに対し各679万5675円、並びにこれらの各金員に対する平成14年7月3日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告らのその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は、これを3分し、その1を被告らの負担とし、その余を原告らの負担とする。
4 この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。 - 判決要旨
- 1 Kの勤務時間等
Kは遅くとも午前7時前後に出勤し、午前11時頃からの中抜けの休みを取った後、午後2時半頃に再度出勤して仕事を開始し、午後8時頃まで勤務するのが通常であったが、忙しいときには出勤時刻が午前6時頃まで早まったり、中抜けの休みが1時間程度になったり、退勤時刻が午後9時頃になることもあったものと認められる。しかしながら、被告会社において、Kに対して、自ら食材を選定することを職務の一内容として課していたことや、材料費削減という被告会社の方針に従いつつも、料理の質は落としたくないという料理長の意地と誇りをかけたKの自主的な判断があったものと推認されるから、被告会社において、Kのかかる行動を把握することは極めて困難であったと認められる。
被告会社において献立の作成や新しい料理の考案が料理長であるKの職責とされていたこと、ホテル内ではそれらの作業を行うことが困難なため自宅で行わざるを得なかったこと等を総合すれば、自宅における献立等の作成に要した時間についても、料理長としての業務を遂行していた時間と評価することができる。
以上、Kの勤務時間は9時間30分を下らず、忙しいときは更に2ないし3時間程度は延びる状況にあり、公休日にも月に3回程度は調理場に来て仕事をするのが恒常的であったものと認められ、その1ヶ月当たりの時間外労働は、恒常的に、業務と脳血管疾患等の発症との関連性が強まり始めるとされる1ヶ月当たり45時間をはるかに超えて、関連性が強いとされる80時間に近いか、これを超えるものであった上、発症前1ヶ月については、これに更に新しい料理の考案などに要した自宅での業務遂行時間も加わることから、かなりの時間外労働を負担していたと認めることができる。
2 労働時間以外の負荷要因
Kは、他の調理課員のようなシフトは適用されず、未明からの勤務や深夜にわたる勤務といった生理的リズムを害するような負担を課されていたわけではなく、勤務時間が不規則であったこと自体がKの負担を増大させていたとは認められない。Kは各調理場での調理や盛りつけなどを点検したり、自ら調理を行うこともあったと認められるが、一般に調理業務に求められる程度を超えて時間に追われるような業務であったとは認められないのであって、Kが特段の緊張を強いられる業務を行っていたとまでは認められない。加えて、Kが冷凍庫、冷蔵庫に毎日直接入るということは想定し難く、調理場の温度環境が特段過ごしにくいとまではいえない状況であったものと認められるから、このような調理場の温度環境を負荷要因として考慮することはできない。
Kは、日常の調理業務を行いながら、若手の調理課員を育成・指導し、被告会社に対し調理課員の増員及び待遇改善を要望していたこと、これに対し被告会社は人件費の削減を基本方針としたことから、待遇に不満を持った調理課員2名が一緒に辞めたり、調理課員が病気で入院したりしたことに心を痛めていたこと、調理課員に十分な休日を確保するため、自らは規定の公休日を取得していなかったことが認められる。以上によれば、Kは本件発症当時、調理場の現場の実情、調理課員の勤務実態と被告会社の基本方針との間で板挟みとなり、肉体的・精神的に強いストレスを負っていたことが窺える。
3 発症原因
Kについては、自ら糖尿病などの危険因子を抱えており、また、本件発症の数ヶ月前には、父親の死亡及びその後の法事などの精神的、身体的負担となる出来事があったことが認められ、本件発症については、業務外の要因も少なからず影響を及ぼしていると考えられるものの、主たる原因は業務上の負担によるものと解するのが相当である。
4 安全配慮義務
使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、労働者との間の雇用契約上の信義則に基づいて、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負うところ、その具体的な内容としては、労働時間、休憩時間、休日、休憩場所等について適正な労働条件を確保し、更に健康診断を実施した上、労働者の年齢、健康状態等に応じて従事する作業時間及び内容の軽減、就労場所の変更等適切な措置をとるべき義務を負うものというべきである。
Kの出退勤時刻や休日の割当は、K自身が自らの責任で直接管理することとされていたものの、被告会社は出勤簿を見れば、Kのみが恒常的に公休日を取得し切れていないことを容易に把握できたはずである。このような事情に加えて、公休日の未消化分を含め、Kの超勤時間が月80時間前後ないしはそれ以上にまで達していたことを併せ考えると、被告会社において、タイムカードに代わる労働時間管理の手段もとられていなかったことが認められる。したがって、被告会社は、Kに対し、労働時間の管理につき適正な労働条件を確保すべき前提たる義務に違反したものということができる。
使用者には、労働契約上の安全配慮義務の一内容として、労務負担に応じて適正な人員を配置することが要求されるものと考えることができる。平成6年10月から本件発症当時にかけて、調理課員の人数は全体として緩やかな減少傾向は見られるものの、パート等を含めるとほぼ一定であった一方、宿泊者数は減少し、調理課員には一応規程通りの公休が与えられていたことが認められる。このような事情によれば、過去からの経緯に照らし、調理課員の人員配置自体についてバランスが崩れたという事情は認められないものの、Kは従前から調理課における人員不足を訴え続け、しかも現実にK自身が過重な労働を負担していたことに照らせば、被告会社において、調理課員の現実の労働時間を正確に把握していないことから、それを確認すること自体困難であったことが認められる。
使用者には、安全配慮義務の一内容として、事実上過重労働が強制されることがない程度に代替要員等を配置することも、要求されるものというべきである。しかしながら、高度あるいは専門的な能力が要求される非代替的なポストについては、代替要員の能力は多少なりとも劣ることはむしろ当然というべきであるから、労働者本人に委ねられた業務について、代替要員に対する日常的な指導・指示や業務態勢の整備をもってしても、労働者本人の不在中の正常な業務遂行が期待できない程度に至って初めて、上記の義務違反が認められると解すべきである。本件発症当時、Kの下には、いずれも30年前後の職歴のある課長補佐、係長が配属され、Kが休暇を取った場合に、日常の業務遂行が困難となる状況にあったことを窺わせる事情は特段認められない。したがって、被告会社が、Kの代わりを務める従業員を調理課に配置していなかったとは必ずしも認められず、Kの主観的な認識はともかく、客観的には、代替要員が存在しないために事実上過重労働を強制する結果になっていたとまでは認められない。
5 救護義務違反
労働時間中に労働者が傷病を負った場合、使用者には、必要な救護措置を講じる義務があるというべきである。そこで具体的に要求される救護措置は、一般人を基準として当該状況において必要と考えられ、かつ、応急手当や病院への搬送といったような一般人に可能な措置を講じることをもって足りると解される。本件では、平成12年3月3日午前10時40分頃Kが椅子からずり落ちるようになったが、直ぐに座り直し、午前11時35分頃までの間にKが体調不良を訴えることはなく、かつ周囲の者に変調が分かるような兆候があったわけでもないことを併せ考えれば、仮に午前10時40分頃Kがくも膜下出血を発症していたとしても、被告らにおいて、この時点で直ちに救急車の出動を要請してKを病院に搬送することを要求することは酷であり、そこまでの救護措置を講じる義務があったとまでは認められない。
6 被告らの過失の有無
以上によれば、Kの本件発症は、業務外の要因も一定の寄与をしているものの、主として被告会社における恒常的な公休日返上や長時間勤務と、発症前の献立作成作業による過重な心身の負担に起因したものと認められるところ、被告会社には、Kの労働時間の管理をK自身に委ねたまま、その労働時間を把握するための実効的な措置を講じることを怠って、Kの恒常的な公休日返上や長時間勤務を放置していた点につき、雇用契約上の安全配慮義務違反が認められ、またこれは同時に不法行為にいう違法性を帯びる行為であったと認めることができる。そして、これを怠ったことについて被告には過失があると認めることができる。
被告X及び被告Yは、被告会社の運営全般に責任を負い、かつ日常的に被告会社の業務に関与していたものであって、被告会社の労働者について業務上の負担が過大となることを防止するための制度を整備する義務があると解されるところ、本件においては、被告会社がKの状態を放置したものであるから、この点について違法性があると認めるべきである。そして、事後的にでも具体的な勤務時間を把握したり、勤務簿の記載から過重労働が疑われる場合に具体的な勤務時間の調査を実施する体制を整えていたわけではないことによれば、被告X及び被告Yについては、重過失までは認められないものの、一定の過失があったものと認めることができる。
被告Yは、常務取締役として、Kの労働実態を十分に把握しないまま、Kに対し新しい料理の発案を指示し、更には本件発症当日の定例会議において突如調理課員の売上手当の削減を提案して心労の負担を一層増大させたものであるから、Kに対して適正な労働条件を確保すべき注意義務に違反した過失があるといえる。また、被告Xは、被告会社の代表者として、業績悪化等に対する対応のほぼ全般につき被告Yに委ね、人件費・人員削減等につき容認、了承していたものと推認されるから、Kにつき適正な労働条件を確保すべき注意義務に違反したという過失があるというべきである。
7 被告らの損害賠償義務
Kは、本件発症がなければ、この後も6年間は就労稼働し、年441万2200円の収入を得ることができたと認められる一方、死亡により免れることとなった生活費支出は4割と認めるのが相当である。Kは本件発症後、2年を超える長期間にわたって回復の見込みが立たないまま入院生活を強いられた末に、家族に対して別れの言葉を残すこともできないまま死亡したものであり、このKの精神的苦痛を金銭をもって慰謝するとすれば、2400万円が相当である。
原告A、同B、同Cの精神的苦痛は、Kの精神的苦痛が慰謝されることを考慮してもなお、更に個別に慰謝されるべきものである。このような原告ら固有の精神的苦痛を金銭をもって慰謝するとすれば、原告Aについては200万円、原告B及び同Cについては各100万円が相当である。
一方、本件発症当時、Kの側にも、父親が死亡したことによる心痛、法事などによる肉体的・精神的負担があったと考えられ、これも本件発症に一定程度寄与しているものと考えられる。また、Kは労働時間を自ら管理する立場にあったところ、必ずしも業務上要求されていない仕事まで自ら背負い込んでしまった面も否定できないほか、Kには身体的に幾つかの危険因子を保有していたことも否定できない。これらの諸事情を総合すれば、本件発症についてのK側の寄与要因を3割と評価するのが相当である。 - 適用法規・条文
- 民法44条1項、709条、722条2項
- 収録文献(出典)
- 労働判例896号28頁
- その他特記事項
- 本件は控訴された。
顛末情報
事件番号 | 判決決定区分 | 判決年月日 |
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