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電信電話会社北海道支店心筋虚血死控訴事件【過労死・疾病】

事件の分類
過労死・疾病
事件名
電信電話会社北海道支店心筋虚血死控訴事件【過労死・疾病】
事件番号
札幌高裁 − 平成17年(ネ)第135号
当事者
控訴人 株式会社
被控訴人 個人2名 A、B
業種
運輸・通信業
判決・決定
判決
判決決定年月日
2006年07月20日
判決決定区分
控訴棄却(上告)
事件の概要
K(昭和18年生)は、控訴人(第1審被告)の構造改革の一環としての雇用形態・処遇体系の選択に当たって、全国転勤・業績主義を伴う60歳満了型を選択したことにより、法人部門に異動となり、平成14年4月から6月までの2ヶ月以上にわたる本件研修を受講することとなった。Kは心臓に基礎疾患を有することから、控訴人は医師と協議の上、Kが安定した状態にあると判断して受講を命じたものである。

 Kは、札幌での研修中、同年6月7日の研修後、旭川の自宅に帰宅し、同月9日、先祖の墓の前で死亡しているのが発見された。Kの妻である被控訴人(第1審原告)A及び子である同Bは、平成13年以降時間外労働が顕著になり、雇用形態の選択で心理的負荷が過大になった上、長期的な宿泊を伴う研修に参加したことが急性心筋虚血症の危険因子となったから、Kの業務と死亡との間には相当因果関係があり、控訴人には安全配慮義務違反ないし不法行為があったことを主張し、控訴人に対し、逸失利益、慰謝料など総額約7175万円を請求した。
 第1審では、控訴人の使用者としての不法行為責任を認め、逸失利益3086万円余、慰謝料2800万円など、総額6628万円余の支払いを命じたため、控訴人がこれを不服として控訴した。
主文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
判決要旨
当裁判所も、被控訴人らの請求は、原判決が認容した限度で理由があると判断する。

(1)相当因果関係の有無

 急性心筋虚血は、冠状動脈の血流が何らかの原因で途絶えることによって心筋に酸素が供給されなくなった状態を指すところ、その原因としては、心筋梗塞、狭心症や不整脈を含む心疾患によるものと心疾患以外の病態によるショック等が考えられるが、心筋梗塞などの急性の冠状動脈疾患等が関与して発症した急性心筋虚血の可能性が強いと解される。

 心筋梗塞を含む虚血性心疾患の危険因子としては、加齢、冠状動脈疾患の家族歴、喫煙習慣、高血圧、高コレステロール症、精神的・肉体的ストレス等が挙げられているが、Kには30年にわたる喫煙習慣があり、家族性高コレステロール血症にも罹患していて、年齢的にも死亡当時58歳であるなど、上記危険因子を有するということができる。しかし、Kは死亡当時には8年半を超えて禁煙していたのであるから、喫煙によるリスクは相当程度減少していたということができるし、コレステロール値は管理目標値を超えていたとはいえ、投薬により一定程度コントロールされていたと評価することが可能である。

 Kは、雇用形態・処遇体系の選択に際して60歳満了型を選択したが、その選択に際して精神的ストレスがあったということができる。更に、本件研修は、研修後にこれまでと全く異なる職種の仕事に従事しなければならなくなるといった点でKの精神面に大きな作用を及ぼしたと考えられること、研修担当者自身が、本件研修は参加者の心労の蓄積も相当あると考えるほどの内容のものであったこと、Kの病状からして相当のストレスがかかっていたと思うとの感想を述べていること、本件研修が長期間の連続する宿泊を伴うものであることから、Kの従前からの生体リズム及び生活リズムに大きな変化をもたらしたことが十分に考えられ、実際にもKは睡眠不足に陥ったことなどからすると、Kには本件研修に参加することによって精神的、身体的にも多大なストレスがあったというべきである。

 一般に、心筋梗塞、動脈硬化などの基礎疾患が存在している場合に、業務に起因する過重な精神的、身体的負担によって労働者の基礎疾患が自然的経過を超えて増悪し、急性心筋虚血等の急性心疾患を発症するに至ったといえる場合には、業務と急性心筋虚血等との間の因果関係を肯定できると解するのが相当である。これを本件についてみるに、家族性高コレステロール血症に罹患していたというだけでは急性心筋虚血の確たる発症因子ということはできず、他に急性心筋虚血の確たる発症因子が窺えない。以上、Kの雇用形態・処遇体系の選択の際の精神的ストレス、本件研修参加に伴う精神的、身体的ストレスが自然の経過を超えて冠状動脈の状態を増悪させる要因となり得たものというべきである。そして、Kの雇用形態・処遇体系の選択の際の精神的ストレス、本件研修参加に伴う精神的、身体的ストレスが心筋梗塞などの冠状動脈疾患等を発症させ、急性心筋虚血により死亡したとみるのが相当である。したがって、Kの急性心筋虚血の発症と控訴人がKに対し、雇用形態・処遇体系の選択を迫り、60歳満了型を選択したKに本件研修に参加させたこととの間に相当因果関係が存在するというべきである。

 控訴人は、Kの死の直前の行為が急性心筋虚血の直接的原因となったのであり、業務と死亡との間に因果関係はない旨主張するところ、Kが先祖の墓参りをすべく1人で出掛け、墓の前で仰向けになって死亡していたこと、傍らにスコップ、鎌があったことが認められるものの、それ以上に、Kが死の直前にスコップを用いて穴を掘ったり、鎌を用いて草刈りをするなどの作業をしたことを具体的に窺わせるような周囲の状況や証拠もない上、Kは3回目の入院以降激しい運動を避けていたことも考慮すると、Kが心臓に負担がかかるような作業をしたとまでは認めることはできない。

2 控訴人の過失又は安全配慮義務違反の有無

 本件研修は、新たに担当する法人営業業務の遂行に必要な知識・技能の習得を目的として参加を命じられたものであって、これまでの業務とは異なる全く新たな分野の研修内容で、その意味で研修の必要性があったというべきである。本件研修は、2ヶ月以上の長期にわたって札幌及び東京で実施され、その全期間を通じて宿泊を伴うもので、札幌での研修においては週末には旭川の自宅に戻ることが可能であったものの、それ以外では生活習慣の異なる他の研修生との同室を余儀なくされることとなり、生体リズム及び生活リズムが変わるなど大きな環境の変化があることは明らかである。

 控訴人は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の健康を損なうことがないように注意する義務を負うと解される。Kは、平成5年8月の入院の原因が「陳旧性心筋梗塞」と合併症として「高脂血症」と記載されていたのであるから、控訴人はそれを前提に指導区分「要注意C」の指定をし、原則として時間外労働や休日勤務を禁止し、過激な運動を伴う業務や宿泊を伴う出張をさせないこととしていたのであるから、その例外事由としてのやむを得ぬ理由があるかどうかの協議に際しては、Kのその後の治療経過や症状の推移、現状等を十分検討した上で時間外労働や宿泊出張の可否が決定されるべきであったというべきである。

 具体的には、高脂血症を合併する陳旧性心筋梗塞で「要注意C」に指定されていたKを本件研修に2ヶ月以上にわたって参加させることになれば、同人の生体リズム及び生活リズムに著しい変化を生じさせ、過度の精神的、身体的にストレスを与えることが十分予測されたというべきである。したがって、Kを本件研修に参加させるか否かを決定するに当たっては、慎重な検討をすべきであって、控訴人が行った健康診断の結果やKから得た情報のみで判断するのではなく、カルテを取り寄せたり、主治医から病状の経過や意見を聴取するなどすべきであったのであり、そうすれば、Kが家族性高コレステロール血症に罹患している等の情報を入手でき、その結果Kを本件研修に参加させることについての危険性に気付き、Kを本件研修に参加させることはなかったものと考えられる。にもかかわらず、健康管理医と課長は協議の上、前年における面談等で特別問題がなかったこと、毎月の保健師の巡回の際に、Kから病状の悪化や体調不良等の訴えがなく、上司との話し合いの中でも特別な事情が出てこなかったことから、控訴人は漫然とKが研修に耐えられる状態にあると判断して、Kの本件研修への参加を決定したのであって、その結果Kが急性心筋虚血によって死亡するに至ったのであるから、控訴人の担当者には、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の健康を損なうことがないように注意する義務に違反した過失があるということができる。

 控訴人は、労働者自身の健康管理義務を主張するが、本件研修が雇用形態・処遇体系の選択に伴うものであって、Kが控訴人に対し本件研修への参加を見合わせることを要請することを期待できるような状況にあったとは考えにくいことを考慮すると、Kがその申し入れをしなかったといった事情は、控訴人の注意義務違反を否定ないし軽減するものではない。

 以上によれば、控訴人の担当者は、Kの生体リズム及び生活リズムに大きな変化を招来し、これを壊しかねない本件研修への参加を止めさせるべきであったというべきであり、それにもかかわらずKを本件研修に参加させた控訴人の担当者には上記注意義務に違背した過失がある。よって、控訴人は、民法715条に基づき、Kが死亡したことにより、同人及び被控訴人らが被った損害を賠償する責任がある。

3 損 害

 Kは、死亡当時58歳であって、疾患を抱えてはいたものの、心筋梗塞発症後8年間は安定した状態で生活、稼働していたところ、Kは昭和13年1月から12月までの間、少なくとも被控訴人らが請求する620万3288円の限度で年収があったものと推認するのが相当である。生活費控除割合は30%とし、67歳まで就労が可能であったと考えられるから、9年に相当する年5%の割合によるライプニッツ係数により逸失利益を算出すると、Kに生じた逸失利益の原価は、3086万4211円となる。本件に顕れた一切の事情を考慮すると、本件によりKが被った精神的苦痛を慰謝するには、2800万円の支払をもってするのが相当である。また、弁護士費用は600万円と認めるのが相当である。
 控訴人は、原審において過失相殺の主張をしない旨答えていたことが認められるところ、当審において控訴人が上記主張をすることは著しく信義に反するものであり、また第一審の軽視にもつながるものである。したがって、当裁判所は、訴訟上の信義則に反するものとして、控訴人が上記主張をすることを許さない。また、上記経過に照らすと、控訴人の主張がないのに過失相殺規定の類推適用をすることも相当ではないと判断する。
適用法規・条文
民法709条、715条
収録文献(出典)
労働判例922号5頁
その他特記事項
本件は上告された。